第189話:最後の抵抗
ドッゴオオオオオオオオオオオンッ!!!!
凄まじい衝撃音と地響きが、王都の郊外を揺るがした。
レオたちが乗る巨大な黒竜は、異星人たちの絶望的な十字砲火を受け、その巨体を維持できずに王都の外れにある廃墟地区へと墜落したのだ。
濛々と立ち上る土煙と、崩れ落ちる建物の残骸。
その全てが静まり返った時、瓦礫の中から最初に姿を現したのはレオだった。
「……ぐっ……はっ……!」
彼の身に纏う漆黒の鎧は至る所が砕け散り、その隙間から鮮血が流れ落ちている。
彼は折れた腕を押さえながら、瓦礫の山を必死にかき分けた。
「リリス! リオ!」
その魂からの叫びに応えるように、瓦礫の下からリリスが這い出てきた。
彼女は自らの身を盾にして、その腕にリオを固く、固く抱きしめていた。
幸いなことにリオは気を失っているだけで、リリスの決死の守りによって大きな怪我はないようだった。
しかし、リリス自身の体は無数の切り傷と打撲でボロボロだった。
「……早く……逃げなさい……レオ……!」
彼女はレオに、かすれた声で言った。
「あの子を……私たちの、未来を……!」
しかし、その言葉を遮るように、空から複数の影が音もなく舞い降りてきた。
レオたちを追撃してきた、異星人の生体機械兵士たちだった。
「……ここまで、か」
突入部隊の一員であった北部凍土の老戦士が、静かに呟いた。
彼もまた墜落の衝撃で、その片足を失っていた。
彼は残された仲間たちを見渡した。
レオと共にこの無謀な作戦に志願した、各部族の最強の戦士たち。
そのほとんどがこの墜落で命を落としたか、あるいは虫の息だった。
『……目標個体、生存を確認。
これより、完全なる破壊を実行する』
異星人たちの、冷たい声。
その腕の砲口が、青白い絶望の光を集め始めた。
「――行かせは、せんぞっ!!!!」
凍土の老戦士が、最後の力を振り絞るように雄叫びを上げた。
彼はレオとリリス、リオの前に立ちはだかると、大地にその手を突き立てた。
「我が命に代えても……王と姫、そして王子をお守りする!
これぞ、我ら凍土の民の誇りなりっ!」
彼の叫びに呼応するように、大地から巨大な氷の壁がせり上がった。
それは彼の生命そのものを魔力へと変えて創り出した、最後の、そして最も壮絶な絶対零度の盾だった。
青白い光線が氷壁に直撃し、凄まじい水蒸気爆発を引き起こす。
爆風が晴れた後、そこに老戦士の姿はどこにもなかった。
ただ、彼の誇りの欠片である無数の氷の粒子が、キラキラと舞い散るだけだった。
「……ジジイ……!」
生き残っていた西部砂漠の若い戦士が、悔しげに叫んだ。
「……ったく、格好つけやがって……。
手柄を独り占めさせるかよ!」
彼は不敵に笑うと、その俊敏な体で異星人の一体へと襲い掛かった。
彼の動きは砂嵐のように捉えどころがなく、異星人の完璧な予測さえも翻弄する。
しかし、数の上ではあまりに不利だった。
彼はレオたちを守るための盾となり、その身に数発の光線を受けながらも、最後の瞬間に敵の一体の首をその爪で引き裂き、壮絶な笑みを浮かべたまま爆発の中に消えた。
一人、また一人と、かけがえのない仲間たちが、レオたちを守るためにその命を散らしていく。
それは、あまりにも悲しく、そしてあまりにも気高い最後の抵抗だった。
◇ ◇ ◇
その頃、地上の戦いもまた、完全な崩壊へと向かっていた。
城壁は異星人たちの多脚戦車から放たれるエネルギー砲によって、その数か所が巨大な風穴を開けられていた。
そこから異形の兵士たちが、濁流のように市街地へと雪崩れ込んでくる。
「持ちこたえろ! 持ちこたえるんだ!」
騎士団長は血を吐きながら叫び続けた。
彼の率いる騎士団はもはや半数以下にまでその数を減らし、その誰もが深手を負っている。
「ゼノン!
負傷者を王宮の奥へ! 一人でも多く救うんだ!」
東部平原の商人ゼノンは、もはや商人としての穏やかな顔を捨て、必死に負傷者たちを担ぎ後方へと運んでいた。
「くそったれがぁぁぁぁっ!!!!」
ゴウキは鬼神のような形相で、その巨大な戦斧を振り回していた。
彼の周りには、数十体もの異星人の残骸が転がっている。
しかし、彼の体もまた限界だった。
その毛皮の鎧は引き裂かれ、全身から流れる血が大地を赤黒く染めていた。
「……隊長……!」
彼の副官であった若い魔族が、ゴウキを庇うようにその前に立ちはだかった。
「……隊長こそ……我らの、誇り……」
次の瞬間、その若い魔族の体は物質崩壊光線に飲まれ、声もなく砂となって崩れ落ちた。
「……ああ……あああああ……」
ゴウキの瞳から、血の涙が溢れ出した。
仲間が、目の前で次々と倒れていく。
彼らが信じた王も、空の闇へと消えた。
もはや、これまでか。
そんな絶望が、連合軍の全ての兵士たちの心を黒く塗りつぶし始めていた。
武器を捨て、その場に座り込む者。
故郷の名を叫びながら、泣き崩れる者。
敗戦濃厚の絶望的な空気が、王都全体を死の沈黙で覆い尽くしていく。
「――まだだっ!!!!」
その絶望を打ち破ったのは、一人の男の魂からの絶叫だった。
「まだ、終わっていないっ!!!!」
エリックだった。
彼は脇腹を貫かれた深手を自らの衣で固く縛り上げ、血の海の中から亡霊のように立ち上がっていた。
その顔は蒼白で、その足元はおぼつかない。
しかし、その瞳だけは英雄として、そしてこの軍の指揮官としての最後の誇りの炎が、消えることなく燃え盛っていた。
「諦めるなっ!!!!」
彼は、崩れかけた兵士たちの間を駆け抜けながら叫んだ。
「顔を上げろ! 剣を取れ!
お前たちがここで諦めたら、誰がこの星の未来を守るんだ!」
彼はもはや戦略を立てる余裕もなかった。
ただ、目の前の敵を斬る。
ただ、目の前の仲間を守る。
その、あまりにも純粋で根本的な戦士としての本能だけが、彼の体を動かしていた。
「レオが……王が、必ず帰ってくる!
それまでの一秒、一瞬でも長く持ちこたえるんだ!
それこそが、俺たちに残された最後の戦いだ!」
その英雄の、血に濡れた最後の抵抗。
そのあまりにも気高い姿は、絶望の淵にいた兵士たちの心に最後の、そして最も熱い火を灯した。
彼らは再びその手に剣と槍を取り、最後の最後まで戦い抜くことを誓ったのだ。
◇ ◇ ◇
廃墟地区では、最後の突入部隊の戦士が、レオとリリス、リオを守るためにその命を散らしていた。
後に残されたのは、もはや三人だけ。
そして、彼らを取り囲むように十数体の異星人兵士が静かに、そして確実にその距離を詰めてきていた。
「……レオ……」
リリスは意識を失ったリオを固く抱きしめたまま、震える声で言った。
「……もう、いいわ……。貴方だけでも、逃げて……」
彼女は母として、そして妻として最後の決断をしようとしていた。
しかし、レオは静かに首を横に振った。
彼はゆっくりと立ち上がった。
その瞳はもはや、目の前の敵を見てはいなかった。
彼の脳裏に浮かんでいたのは、今はもういない二人の親友の顔だった。
(……アルス……)
穏やかな賢者の顔が浮かぶ。
『知識は、誰かを守るための力にもなるんだよ』
(……セレーネ……)
少しだけ拗ねたような、しかし愛おしい魔法使いの顔。
『信じてる……あなたたちを……そして、この世界を……』
(……お前たちの死を、無駄にはしない……)
レオは、深く、深く息を吸い込んだ。
(リリス……リオ……。俺の、愛する全て……)
(そして……エリック……。我が、たった一人の親友……)
(お前たちが生きる未来を……俺が、この手で創る……)
「――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」
レオの全身から、黄金色の魔力のオーラが天を突くほどの巨大な光の柱となって立ち上った。
それは彼がこれまで制御してきたような穏やかな力ではない。
自らの生命そのものを燃料として燃え上がらせる、最後の、そして最も壮絶な魔力の解放だった。
周囲の大地がその力に耐えきれずに裂け、空には暗雲が渦を巻く。
『……警告。目標個体より、予測不能なエネルギー反応を検知。危険レベル……計測不能』
異星人たちの無機質な声に、初めて明確な「警戒」の色が浮かんだ。
レオは、その光の中心で静かに両腕を天に掲げた。
彼の瞳はもはや人間のそれではない。
この星の怒り、この星の悲しみ、その全てをその身に宿した神、あるいは悪魔の瞳だった。
「――消えろ」
その、静かで絶対的な命令。
次の瞬間、レオの足元の大地が爆ぜた。
地面から無数の巨大な光の槍が天に向かって突き出し、彼を取り囲んでいた異星人たちをその根元から跡形もなく貫き消し去った。
その攻撃は廃墟地区だけにとどまらず、王都の市街地で暴れまわっていた多脚戦車や獣型兵器をもその射程に捉え、次々と光の塵へと変えていく。
しかし、その代償はあまりにも大きかった。
最後の力を振り絞ったレオは、その場に膝から崩れ落ちた。
彼の体は限界を超え、黄金色のオーラはまるで風前の灯火のようにか弱く揺らめいている。
「……はぁ……はぁ……」
彼の視界が、急速にかすみ始めた。
音が、遠くなっていく。
リリスの悲痛な叫び声さえも、もはや彼の耳には届かない。
(……ここまで、か……)
朦朧とする意識の中で、彼は見た。
空からさらに増援の、無数の異星人たちが舞い降りてくる光景を。
そして、遠くの市街地で戦っていたはずのエリックが、ついに力尽き、血の海に倒れ伏す姿を。
「……リリス……リオ……」
彼は愛する者の名を、声にならない声で呼んだ。
リリスは意識のないリオと倒れたレオを守るように、たった一人で絶望的な数の異星人たちの前に立ちはだかった。
彼女の瞳にはもはや涙はなかった。
あるのはただ、愛する者を守るための母として、そして妻としての最後の覚悟だけだった。
異星人の一人が、その腕の刃をきらめかせ、リリスへと無慈悲に振り下ろした。
誰もが、本当の終わりを覚悟した。
その、瞬間だった。
キィィィィィィィィィィィィィィィィィンッ!!!!
空が、再び、裂けた。
しかし、それは異星人たちが開いた黒い円ではない。
どこまでも気高く、そしてどこまでも力強い、白銀の光を放つ巨大な空間の亀裂だった。
そして、その光の中から、聞き覚えのある、しかし決してここにいるはずのない威厳に満ちた雄叫びが、この絶望の星に響き渡ったのだ。