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第184話:綿密な迎撃戦略

 玉座の間の空気は、一夜にして劇的に変わっていた。


 昨日までこの場所を支配していたのは、どうしようもないほどの絶望と、答えなき問いがもたらす重苦しい沈黙だった。

しかし今、そこにあるのは死の淵から生還した者だけが持つ、静かだが燃え盛るような熱気を帯びた緊張感だった。


 円卓の中央には、古びた一冊の手帳……アルスが遺した最後の希望が置かれている。

その隣では、ハムスターのような妖精リルが、自らが果たした大役を誇るかのように小さな胸を張っていた。


「……これなら、勝てる……!」


 エリックが昨日絞り出すように呟いたその言葉が、今やこの部屋にいる全ての指導者たちの心に、共通の、そして唯一無二の合言葉として刻み込まれていた。


◇ ◇ ◇


「反撃作戦を開始する、と言ったな、レオ」


 議論の口火を切ったのは、戦術家としての冷静さを完全に取り戻したエリックだった。

彼の瞳にはもはや迷いはなく、この絶望的な戦局をいかにして覆すかという、純粋な知的な挑戦への炎が燃え盛っていた。


「弱点は判明した。

だが問題は、どうやってその弱点を突くかだ。

敵は我々の常識を遥かに超えている」


 彼は広げられたアースガルド大陸の地図を指し示した。

その上には斥候たちがもたらした断片的な情報と、アルスの日誌から読み解かれた異星人の拠点と思われる場所が、赤い印でいくつも記されている。


「第一の課題は、奴らの『見えない壁』だ。

アルスのメモによれば魔法攻撃は完全に無効化されるが、剣や矢のような物理的な攻撃は通る、とある。あの王都での戦いでも、俺の剣は奴らの壁を砕いた」


 その言葉に騎士団長が頷いた。

「ならば、我ら騎士団の出番ですな。全軍で突撃をかければ……」


「いや、それだけでは足りん」


 エリックは即座にその意見を否定した。


「奴らの拠点の多くは、我らが容易に近づけぬ場所にある。

空に浮かぶ母船、あるいはモルグ・アイン山脈の地下深く。

我々の剣が届く前に、あの物質崩壊光線で塵にされるのがやっとだろう」


 その言葉に、会議は再び重い沈黙に包まれた。


「……アルスは、こうも書き残している」


 沈黙を破ったのはレオだった。

彼はアルスの日誌の、リルが解読したページを指さした。


「『魔法そのものではなく、魔法によって生み出された“質量”を叩きつければよい』、と」


 その言葉に、指導者たちの顔に困惑の色が浮かんだ。

「……“質量”……ですと?」


「そうだ」


 レオは力強く頷いた。


「つまり、こういうことだ」


 彼は立ち上がると、その覚醒した魔力を解放した。

玉座の間の床の大理石が、ごごご、と音を立てて蠢き始める。

そして次の瞬間、床から直径数メートルにも及ぶ巨大な岩の塊が、ゆっくりとせり上がってきたのだ。


「なっ……!?」

ゴウキをはじめとする魔族たちでさえ、その圧倒的な光景に息を呑んだ。


「俺のこの力や、凍土の民が操る氷の魔法。

これらで巨大な岩や氷の塊を作り出し、それを物理的な『砲弾』として敵の拠点に直接叩き込む。

これこそが、奴らの見えない壁を遠距離から打ち破る唯一の方法だ」


 そのあまりにも大胆な発想。

それは、人間が持つ「投石機」という古典的な兵器の概念と、魔族が持つ「創造魔法」という超常の力を融合させた、まさに人間と魔族の共闘の象徴とも言える戦術だった。


「なるほど……!」

騎士団長が、膝を打った。


「我ら人間が投石機を組み上げ、その射角や風を計算する。

そして魔族の方々が生み出した強力な砲弾を装填し撃ち出す……。

それならば、可能かもしれん!」


「それだけじゃねえ!」

ゴウキが興奮したように叫んだ。


「東部平原の俺たちの中には、風を操る魔法を得意とする者もいる!

そいつらの力で砲弾をさらに加速させれば、威力は数倍にもなるはずだ!」


 次々と、各部族の長たちが自らの得意な戦術を組み合わせ、その作戦をより強力なものへと進化させていく。

絶望の闇の中に、確かな反撃の光が一つ見えた瞬間だった。


「……だが、問題は第二の課題だ」


 エリックは熱を帯び始めた空気を、再び冷静な声で引き締めた。


「奴らの動力源、『核』の破壊。

これを成し遂げなければ、奴らを完全に沈黙させることはできない。

アルスのメモによれば、核は『特定の波長を持つエーテルの共鳴』によって暴走する可能性がある、とある。

……だが、その『特定の波長』とやらが、我々には分からない」


 その言葉に、誰もが再び押し黙った。

それは、この世界の誰も解き明かせない異星人の超技術の核心部分だった。


「……旧世界の、失われた古代魔法の中には……」

リリスが絞り出すように言った。


「……エーテルの流れに直接干渉し、その性質そのものを変質させるという禁断の呪術があったと、父の遺した書物には記されています。

しかし、その術はあまりにも危険すぎたため百年以上も前に完全に封印されて……」


 議論は、再び行き詰まったかに見えた。


 その重く張り詰めた静寂を破ったのは、これまで玉座の間の隅で、おとなしく母の隣に座っていた一人の小さな存在だった。


「……ここ……」


 か細い、しかしその場の誰もが聞き逃すことのできない澄み切った声。

声の主は、レオとリリスの息子、リオだった。


「リオ?」

リリスが、驚いて我が子の顔を覗き込む。


 リオは母の手をそっと放すと、おそるおそる巨大な円卓へと近づいた。

そして、その小さな指でエリックが赤い印をつけた地図の一点を、とん、と指し示した。


「……ここ……なんだか、気持ち悪い……。

むズムズする……」


 彼が指し示したのは、モルグ・アイン山脈の最も深く、そして最も巨大なエーテル鉱脈が眠るとされる場所。

異星人たちの最重要拠点と目される場所だった。


 指導者たちは、その子供の戯言のような言葉に最初は戸惑いの表情を浮かべた。

しかし、レオとリリスだけはその言葉の意味を瞬時に理解していた。


「……リオ、お前……」

レオの声が震えた。


「……感じるのか?

奴らの力の流れが……」


 リオはこくりと頷いた。

その純粋な瞳は、地図の一点だけを真っ直ぐに見つめている。


「うん……。

なんだか、ここだけ歌が変なんだ。

みんなと違う歌を、歌ってる……」


 その、あまりにも詩的な表現。

しかし、それはこの場の誰よりも正確に異星人の力の「異質さ」を捉えていた。


 リオが持つ、エーテル結晶への特別な感応力。

それは、異星人たちが動力源『核』から放つ、この星の理とは異なる微弱なエーテルの「歪み」……すなわち「特定の波長」を、直感的に感じ取ることを可能にしていたのだ。


「……そうか……」

エリックは、その小さな救世主の姿に愕然としていた。


「……コンパスは、ここにいたのか……」


 全てのピースが、はまった。

エリックは顔を上げ、その瞳を英雄としての、そして戦術家としての絶対的な輝きで満たした。


「……皆、聞いてくれ。

これより、我々の最終作戦を伝える」


◇ ◇ ◇


 彼の声には、もはや一点の迷いもなかった。

彼は地図の上に、大胆で、そしてあまりにも緻密な線を次々と描き込んでいく。


「作戦名は、『一点突破』」


「まず、我ら連合軍の主力を二つに分ける。

ゴウキ率いる魔族の主戦力と、騎士団長率いる人間兵団。

君たちには『陽動部隊』として敵の複数の拠点を同時に叩き、奴らの注意を完全に引きつけてもらう」


 ゴウキと騎士団長が、固い表情で頷いた。


「その隙に、我々は少数精鋭の『突入部隊』を編成する。

メンバーは俺とレオ。そして、各部族から選りすぐった最強の戦士たち。

我々はこの子、リオの案内を頼りに敵の中枢……母船か、あるいは地下要塞の動力源『核』へと直接潜入する」


 その、あまりにも危険な任務。

しかし、突入部隊に選ばれるであろう戦士たちの顔に恐怖の色はなかった。

あるのはただ、王と共に戦えることへの至上の誇りだけだった。


「そして、リリス」

エリックは、女王の顔を見据えた。


「君には、この戦い全体の指揮を任せたい。

密林の民による後方かく乱、凍土の民による防御支援。

君の頭脳と采配が、この作戦の成否を分けることになる」


 リリスは、気高く、そして力強く頷いた。

「ふん、当たり前じゃない。

貴方たち脳筋だけじゃ、どうせまともな戦いにもならないでしょうからね。

せいぜい、私の言う通りに動きなさいよ!」


綿密な迎撃戦略は、ついに完成した。

それは、この星に残された全ての生命がそれぞれの得意な戦術、それぞれの誇りを持ち寄り、一つの目的のために完全に結束した奇跡の作戦だった。


 レオは、仲間たちの顔を、そして愛する妻と子の顔を、その目に焼き付けるように見渡した。

彼の心に、迷いはなかった。


「……作戦は決まった」

エリックが静かに、しかし力強く宣言した。


「しかし、このあまりにも複雑な連携を成功させるためには、これまで互いを敵としてきた我々兵士一人一人が、一つの部隊として完璧に機能する必要がある。

……もはや、人間も魔族もない」


 彼はレオの方へと、その視線を向けた。

レオもまた、彼の言わんとしていることを完全に理解していた。


「ああ、その通りだ」

レオの声が、玉座の間に響き渡った。


「明日より、人間と魔族の垣根を越えた、最後の共同訓練を開始する」


「俺とエリックで、その訓練を直接指導する。異論は、認めない」


 その言葉は、新たな時代の始まりを告げる力強い号令だった。

種族の壁を越えた、最後の、そして最も過酷な訓練が今始まろうとしていた。


 この星の未来を、その双肩に担うために。

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