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第180話:魔族たちの決死の避難

 王都エルトリアの空気は、重かった。


 数日前に異星人たちが空に残していったあの禍々しい傷跡は、物理的には消え去っていた。

しかしその記憶は、人々の魂に決して消えることのない、深く重い傷として刻み込まれている。


 束の間の勝利の後に訪れた、四つの大陸の沈黙。


 そのあまりにも残酷な現実は、芽生え始めたばかりだった人間と魔族の和解の兆しを、絶望という名の分厚い暗雲で覆い尽くそうとしていた。


 しかし、彼らはまだ折れてはいなかった。


「……来る……」


 レオが、あの通信室で呟いた言葉。


「……生き残った者たちが、この大陸を目指して……来る……!」


 その言葉は、この星に残された最後の、そして唯一の希望の光だった。


 エリックとレオ、リリス、そして騎士団長をはじめとする人間と魔族の指導者たちは、その言葉を信じて行動を開始した。


 王都の城壁には、人間と魔族の兵士たちが肩を並べて立ち、遥か彼方の水平線を固唾を飲んで見つめている。


 広場ではリリスの指揮の下、女子供たちが必死に食料や医薬品を蓄え、巨大な避難キャンプの設営を進めていた。


 王宮の作戦室ではエリックが、騎士団長やゴウキたちと共に、大陸全土の防衛戦略を不眠不休で練り上げていた。


 誰もが祈っていた。

そして、覚悟を決めていた。


 アースガルド大陸。

この場所が、この星の最後の砦となることを。


◇ ◇ ◇


 最初にその光が目撃されたのは、異星人たちの襲撃から三日が過ぎた、夜明け前のことだった。


 西の空。

カルディア砂漠が広がる方角の水平線上に、一つの小さな、しかし力強い光が灯ったのだ。


「……来たぞ!」


 見張りの兵士の絶叫が響き渡る。

その光は、驚くべき速度で王都へと近づいてきた。

やがて、その正体が明らかになる。


 それは、砂漠の魔族たちが操る巨大なサンドワームだった。

その背には、数十人の砂色の鱗に身を包んだ、誇り高き砂漠の民が傷つき疲れ果てた姿でしがみついていた。


 彼らの顔には故郷を失った深い悲しみと、それでもなお生き延びたという、凄まじいまでの意志の光が宿っている。


 彼らが王都の城門の前に力なく崩れ落ちるようにその身を横たえたのを皮切りに、悪夢のような、そして奇跡のような光景が始まった。


 南の海から、巨大な亀のような魔獣の背に乗って、密林の民がその姿を現した。

彼らの多くは異星人の兵器によって体を焼かれ、森の精霊の力も尽きかけているようだった。


 北の空から、翼に傷を負った巨大な氷の鳥に乗って、凍土の民が舞い降りてきた。

彼らの寡黙な顔には、これまで決して見せることのなかった深い絶望の色が浮かんでいた。


 そして東からは、ゴウキのかつての同胞である東部平原の魔族たちが、傷ついたグリフォンに乗って次々とその姿を現した。


 ぞくぞくと。


 まるで最後の光に引き寄せられる蛾の群れのように。


 四つの大陸でかろうじて生き延びた魔族たちが、アースガルド大陸を最後の希望の地として、決死の覚悟で逃げ延びてきたのだ。


 彼らの姿は、あまりにも無残だった。

その誰もが深く傷つき、その瞳には故郷と仲間を失った、底なしの絶望を宿していた。


 しかし、彼らは生きていた。

この星の最後の希望を、その身に宿して。


 リリスはその先頭に立ち、彼らを自らの民として迎え入れた。


「……よくぞ、ここまで……。

辛かったでしょう……。もう、大丈夫よ。

ここは、あなたたちの新しい家なのだから」


 彼女の、母として、そして女王としてのその温かい言葉と気高い姿は、絶望の淵にいた魔族たちの心をどれほど救ったことだろうか。


◇ ◇ ◇


 その夜、王宮の大広間は野戦病院と化していた。


 人間とアースガルドの魔族たちが種族の壁を越えて、必死に、新たに来訪した傷ついた同胞たちの手当てにあたっている。


 その騒がしさの中で。

エリックとレオは、各大陸の生き残った部族長たちから、彼らが経験した地獄の報告を聞いていた。


 その報告は、エリックが、そしてレオが予想していた以上に、絶望的なものだった。


「……抵抗は、しました」


 最初に口を開いたのは、北部凍土の若い戦士だった。

彼の顔には、新たな凍傷の跡が生々しく刻まれている。


「我らは、レオ様から教わった結束の力を信じ、人間たちの王国へ共闘を申し入れました。

しかし……」


 彼の言葉が、悔しさに震えた。


「……彼らの王は、我らを『異星人の攻撃に乗じて王国を乗っ取ろうとする、卑劣な悪魔』だと断じました。

そして……民衆の前で、我らの使者を惨殺したのです」


「なっ……!?」

エリックは思わず声を上げた。


「人間たちは、空から降り注ぐ異星人の破壊の光よりも、我々魔族の存在を恐れていました。

彼らの王は、異星人を『我らを古い悪から解放するために現れた、真の神』だと民衆に説いたのです。

……そして彼らは、異星人と我々を同時に攻撃し始めました」


「……挟み撃ち、だと……?」

エリックの声がかすれた。


「はい。

我々は、空からの理解不能な兵器と、地上からの憎しみに燃える人間たちの軍勢との間で、完全に身動きが取れなくなりました。

……我らに選択肢は残されていなかった。

戦う相手が多すぎたのです。

我々は長老の命令で、女子供を連れてこの大陸へと逃げるしか……ありませんでした……」


 戦士は、その場で崩れ落ちるようにむせび泣いた。


 そのあまりにも悲痛な報告は、他の大陸でもほとんど同じ形で繰り返されていた。

人間たちは、国王たちによって長年植え付けられてきた偽りの憎しみの呪いから、最後まで逃れることができなかったのだ。


 彼らは真の敵の正体を知ることなく、あるいは操られたまま異星人の手先として魔族にその刃を向けた。

そして、魔族を滅ぼした後、用済みとなった彼ら自身もまた、異星人の無慈悲な光によって、街ごと跡形もなく消し去られていった。


◇ ◇ ◇


「……なんて、ことだ……」


 エリックは、その場に立ち尽くしていた。

彼自身の罪がもたらしたあまりにも巨大な結果が、冷たい刃となって心臓を貫いていた。


(俺のせいだ……)


(俺が、英雄として偽りの世界を肯定し続けたから……)


(俺が、国王たちの嘘に加担し続けたから……!)


(彼らは……俺が信じさせた偽りの正義のために、死んでいったんだ……!)


 その耐えがたいほどの罪悪感。


「……エリック」


レオが、彼の肩に力強く手を置いた。


「お前のせいじゃない。

これは、俺たち全員の罪だ。

そしてその罪は、俺たちがこれから、共に償っていくんだ」


 その温かい言葉。

しかし、エリックの心は晴れなかった。


「……レオ」


 彼は顔を上げた。

その瞳には、深い絶望の色が浮かんでいた。


「……俺は……。

俺は、もう一度彼らに会わなければならない。

この星の真実を知ることなく死んでいった、あの国王たちに……。

そして、俺がこの手で殺してしまったアルスに……。

俺が裏切ってしまったセレーネに……」


 彼の言葉は、もはや復活への希望ではなかった。

それは自らの罪を直接謝罪しなければならないという、あまりにも痛切な、罪滅ぼしへの強い願いだった。


 レオは何も言わなかった。

ただ静かに、親友のそのあまりにも重い魂の叫びを、受け止めていた。


 広間には、傷ついた魔族たちの苦しげな呻き声と、彼らを必死に手当てする人間たちの優しい声だけが響いていた。


 それはあまりにも悲しく、そしてあまりにも美しい、和解の光景だった。

しかし、その光はあまりにも、か弱かった。


 この星のほとんど全ての生命が沈黙した今。

このアースガルド大陸に残された、わずか数十万の人間と魔族。


 彼らがこれから立ち向かわなければならない、絶望的な現実。

そのあまりにも巨大な闇を前に、この小さな希望の光は、あまりにも、あまりにも、儚く見えた。


 レオは顔を上げた。

彼の瞳は、王宮の遥か上空、今はもう何も見えないが、確かに存在する真の敵の気配を捉えていた。


(……待っていろ)


 彼の心の中で、静かだが燃え盛るような怒りの炎が、再びその勢いを増していた。


(お前たちが奪っていった、全ての命に懸けて)


(お前たちが踏みにじった、全ての魂に懸けて)


(俺たちは、決して屈しない)


 本当の絶望は、今、始まったばかりだった。

そして、それ故に本当の希望もまた、今この場所から始まろうとしていた。


 この星の最後の砦で。

最後の戦いが、始まろうとしていた。

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