第18話:感情の破綻
国王歴1001年10月。
秋風が吹き抜け、勇者育成学校の木々は、赤や黄色に色づき始めていた。しかし、その美しい季節とは裏腹に、校内には張り詰めた空気が満ちていた。特に、訓練場は、いつになく重苦しい雰囲気に包まれていた。
その日、セレーネは、実戦形式の模擬訓練に臨んでいた。
教師たちは、彼女の卓越した魔法の才能を高く評価している一方で、その精神的な脆さを懸念し、あえて厳しく指導することがあった。今日の訓練も、その一環だった。
セレーネは、次々と押し寄せる仮想の魔物たちを、強力な攻撃魔法で一掃していく。火球が炸裂し、雷が轟く。その魔法の威力は、相変わらず群を抜いていた。しかし、完璧主義者である彼女は、わずかなミスをも許さない。
一つ、小さなミスを犯した。
放った氷の槍が、狙いよりもわずかに逸れ、仮想の魔物を仕留め損ねたのだ。他の生徒からすれば些細なことだったが、セレーネにとっては、それは許しがたい失敗だった。
「セレーネ! 何をしている! その程度の精度で、本当に勇者になれるとでも思っているのか!」
教師の厳しい叱責が、訓練場に響き渡った。
その言葉は、セレーネの心の深奥に突き刺さった。これまで、常に完璧を求められ、完璧に応えてきた彼女にとって、教師からの叱責は、計り知れない屈辱だった。
彼女の顔から、血の気が引いていく。
その瞬間、セレーネの感情が、まさに堰を切ったように爆発した。
「うるさい! あなたたちに、私の何がわかるっていうのよ!」
彼女の声は、訓練場全体に響き渡るほどの激情を帯びていた。
セレーネは、周囲の生徒に当たり散らし始めた。
「何よ、その目!
あなたたちなんかに、私の気持ちがわかるわけないでしょ!」
周囲にいた生徒たちが、彼女の突然の豹変に怯え、後ずさりする。セレーネは、構えられた魔法を、無差別に周囲へと放ち始めた。
訓練場の壁に、強力な風の刃が叩きつけられ、ひび割れる。地面には、氷の柱が突き立ち、その衝撃で砂埃が舞い上がる。備え付けられていた木製の訓練用ダミー人形が、火炎魔法によって一瞬で燃え上がり、灰と化した。
その姿は、これまで見せていた強気で完璧な「天才魔法使い」の態度の裏に隠された、彼女の脆さと深い劣等感を露呈させていた。
教師たちは、セレーネの暴走を止めようと声をかけるが、彼女の感情の嵐は止まらない。
レオは、訓練場の隅で、その光景を静かに見つめていた。
魔法を暴走させ、周囲に当たり散らすセレーネ。その姿は、まさに、彼自身がかつて経験した、無力感と絶望に苛まれる姿と重なった。
(彼女も……
苦しんでいるのか?)
レオは、これまでセレーネに対して抱いていた憎悪や反発とは異なる、ある種の感情が芽生えるのを感じた。彼女もまた、自分と同じように、何かに苦しんでいるのかもしれない。完璧であろうとすることで、自分を追い詰め、そして、その重圧に耐えきれずに感情が破綻している。
エリックは、セレーネの暴走を止めようと、彼女に駆け寄った。
「セレーネ! 落ち着け! なにやってるんだ!」
彼の声は、心配と戸惑いが入り混じっていた。エリックは、セレーネの感情の起伏の激しさに、どう対処していいか分からず、立ち尽くす。
「あなたには関係ない! あっちへ行って!」
セレーネは、エリックの方にまで魔法を放とうとしたが、寸前で思いとどまった。
その目に、一瞬だけ、怯えと後悔の色が浮かんだ。しかし、すぐにそれは怒りの感情に塗りつぶされる。
アルスは、図書館の窓からその様子を見ていた。
(やはり、来たか……)
彼が予感していた「何か」が、今、まさに目の前で起こっていた。これは、彼らが真のパーティーとなるための、最初の一歩なのかもしれない。
セレーネの感情の破綻は、学園内に衝撃を与えた。そして、レオの心には、これまでの一方的な憎しみとは異なる、複雑な感情が生まれ始めていた。
この出来事は、三人の関係性に、新たな亀裂と、しかし、同時に、変化の兆しをもたらすことになるだろう。