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第179話:分断された人々

 王都エルトリアに、束の間にしてあまりにも脆い平穏が訪れていた。


 異星人たちが、あの侮蔑に満ちた捨て台詞と共に空の傷口へと姿を消してから、数日が過ぎている。


 広場に残されたおびただしい数の死傷者と、破壊の爪痕。

その光景は、彼らが辛うじて手にした勝利がどれほど薄氷の上のものであったかを、はっきりと示していた。


 しかし、人々の心に絶望だけが残ったわけではなかった。


 絶望的な戦いを、人間と魔族が手を取り合って共に乗り越えた。

そのあまりにも強烈な体験が、彼らの間にこれまで決して存在し得なかった、確かな絆の種をまいていたのだ。


 広場では、人間と魔族が共に復興作業にあたっていた。


 騎士団の兵士たちが、北部凍土の魔族の戦士たちと協力し、崩れた建物の巨大な瓦礫を運び出す。

人間の母親たちが、南部密林の魔族たちが持つ薬草の知識を教わりながら、負傷者たちの手当てをする。


 言葉はまだほとんど通じない。

しかし彼らは、身振り手振りと、そして互いの瞳に宿る、同じ痛みを分かち合った者同士だけが持つ静かな信頼の光を頼りに、懸命にこの新しい関係を築こうとしていた。


◇ ◇ ◇


 エリックは、王宮の作戦室でその光景を複雑な思いで見つめていた。

彼の隣には、騎士団長が今や彼の最も信頼できる副官として控えている。


「……信じられませんな」


 騎士団長は、感慨深げに呟いた。


「ほんの数日前まで、我々は彼らを『悪』と信じ、殺し合っていたというのに……」


「……俺たちが、愚かだっただけだ」


 エリックは静かに言った。


「俺たちはあまりにも長く、偽りの世界に生きてきた。その罪は、俺たちがこれから償っていかなければならない」


 彼の瞳には、もはやかつてのような葛藤の色はない。

あるのはただ、この芽生え始めたばかりの脆い希望の光を、今度こそ自らの手で守り抜くという、揺るぎない覚悟だけだった。


◇ ◇ ◇


 その張り詰めた、しかし希望に満ちた空気を最初に切り裂いたのは、レオだった。


 彼は王宮の最上階、かつて国王が使っていた天体観測室で、この星全体のエーテルの流れをその覚醒した魂で常に監視していた。


「……おかしい」


 レオは険しい表情で、眼下の復興作業に汗を流すエリックとリリスの元へと舞い降りてきた。

彼の顔からは、血の気が引いている。


「どうした、レオ」

エリックが、いぶかしげに問いかける。


「……星が、泣いている」


レオは、絞り出すように言った。


「この星のエーテルの流れが……乱れている。それも、一箇所ではない。

遥か遠く……海を隔てた四つの大陸。

その全てから同時に、巨大で、あまりにも禍々しい魔力の悲鳴が聞こえる……」


 その、あまりにも不吉な言葉。

エリックとリリスは息を呑んだ。


 彼らは、レオが口にした言葉の意味を瞬時に理解した。


「……奴らだ」


 エリックの声が震えた。


「奴らの、『計算』のやり直しが始まったんだ……」


◇ ◇ ◇


 王宮の最奥。

かつて五大陸の王たちが、偽りの盟約を交わしたあの謁見室。


 そこには、国王たちが遺した異星人の超技術の産物である、遠距離通信魔法の装置が静かに眠っていた。

王宮の魔術師たちがエリックの命令を受け、必死にその装置を再起動させようと試みていた。


「ダメです、エリック様! 

どの大陸とも繋がりません! 

ただ、不気味なノイズが聞こえるだけで……!」


 若い魔術師が絶望的な表情でそう報告した、その瞬間だった。


 部屋の中央に置かれた巨大な水晶の盤の一つが、不意に淡い光を放ち始めた。

それは遥か西、カルディア砂漠が広がる大陸の王国と、かろうじて繋がった微弱な信号だった。


 盤面には、激しいノイズと共に一つの映像が映し出される。

そこに映っていたのは、炎に包まれ崩れ落ちていく、壮麗な王宮の姿だった。


『……ぐ……ぁ……』


 映像と共に、途切れ途切れの苦悶に満ちた声が聞こえてくる。

それは、あの砂漠の国の国王の声だった。


『……空が……空が、燃えている……! 

黒い船が……街を……ああ……神よ……!』


 次の瞬間、盤面に一体の、異形の生物機械兵士の姿が大きく映し出された。

その感情のない赤いレンズが、こちらを見つめている。

そして、その腕から放たれた灰色の光線が、国王の姿を完全に飲み込んだ。


 国王の最後の絶叫と共に、通信は完全に途絶えた。


「……そんな……」

魔術師たちが、蒼白な顔でその場に立ち尽くす。


 しかし、悪夢はまだ始まったばかりだった。

立て続けに、別の大陸の水晶の盤が次々と、最後の断末魔を映し出していく。


 南の大陸からは、海軍提督の絶叫が聞こえた。

『……艦隊が……我らが無敵艦隊が、一瞬で……! 

海から……奴らは、海の中から……! 

ぐわあああああっ!』


 北の大陸からは、より絶望的な報告が届いた。

『……魔族が……北の魔族どもが、我々を助けてくれない……! 

これは、人間への罰なのだと……! 

我々は、一人で……うわあああああっ!』


 そして、東の大陸から届いたのはもはや言葉にさえならない、ただ人々の悲鳴と、あの青白いエネルギーボルトが炸裂する無機質な破壊音だけだった。


 一つ、また一つと、水晶の盤がその光を失っていく。

やがて部屋の中には、全ての生命が死に絶えた後に訪れるかのような、完全で絶望的な静寂だけが残された。


 エリックとレオ、そしてリリスは、その光景をただ立ち尽くして見つめることしかできなかった。

彼らの目の前で、この星の四つの大陸が、わずか数時間のうちに完全に沈黙したのだ。


「……なんて……ことだ……」

エリックは、震える声で呟いた。


 戦術家としての彼の頭脳が、このあまりにも残酷な異星人たちの戦略を完全に理解してしまっていた。


「……分断……」


 彼の唇から、その言葉が絶望と共に漏れた。


「奴らは、俺たちを孤立させるつもりだ……」


 レオもまた、同じ結論に達していた。

その顔は蒼白を通り越し、もはや土の色をしていた。


「……俺たちが、人間と魔族が手を取り合って戦ったから……。

奴らはその『共闘』という、唯一の脅威を恐れたんだ……」


 レオの声は、怒りよりも深い、深い悲しみに満ちていた。


「だから、他の大陸でその可能性が生まれる前に、その全てを根絶やしにした……。

人間と魔族が互いに憎しみ合ったまま、団結することなく、抵抗できないうちに……」


 そうだ。

異星人たちは、エルトリア平原でのあの戦いから学んだのだ。

人間と魔族が一度真実を知り手を取り合えば、それは自分たちの計算をわずかに上回る、厄介な力となることを。


 故に、彼らはその「共闘」という名の感染症が他の大陸へと広がる前に、その宿主ごと全てを焼き尽くすことを選んだのだ。


 そして、そのことは同時にもう一つの絶望的な真実を、彼らに突きつけていた。


「……奴らの、最後の標的は……」

リリスが震える声で言った。


「……この、アースガルド大陸……」


「……俺たちがいる、この国だ……」

エリックが、その言葉を引き継いだ。


 そうだ。

彼らは生き残ったのではない。

ただ、最後に残されただけなのだ。


 この星の全ての生命が沈黙した後。

異星人たちの全ての戦力が、このたった一つの大陸に集中する。


 その、想像を絶する最終決戦のために。


「……なんてこと……」


「我々は……もはや、この星の最後の砦……」


 騎士団長が、その場に膝から崩れ落ちた。

彼の瞳からは、希望の光が完全に消え失せていた。


◇ ◇ ◇


 その絶望が部屋全体を、そして王都全体を伝染病のように蝕んでいこうとした、その時だった。


「……いや、まだだ」


 レオの声が静かに、しかし力強く、その絶望を打ち破った。


 彼は顔を上げた。

その瞳には悲しみと怒り、そして、それでもなお決して消えることのない、王としての最後の、そして最強の光が宿っていた。


「……まだ、終わっていない」


 彼は部屋の窓から空を見上げた。

その視線の先、遥か遠く、四つの大陸が沈む水平線の彼方から。


 彼の覚醒した魂だけが、感じ取ることができていた。

無数の、小さな、しかし必死にこちらへと向かってくる生命の光を。


「……来る……」


レオは呟いた。


「……生き残った者たちが、この大陸を目指して……来る……!」


 それは、希望の光と呼ぶにはあまりにもか弱く、そしてあまりにも少ない光だった。

しかし、それは確かにこの星に残された、最後の、最後の抵抗の意志だった。


 エリックもまた、レオの視線の先を見つめた。

彼には魔力の光は見えない。

しかし、彼には聞こえていた。


 風に乗って海を越えて届いてくる、声なき声が。

助けを求める、悲痛な叫びが。


(……まだ、戦いは終わっていない……)


 エリックは拳を強く、強く握りしめた。

彼の瞳にもまた、レオと同じ最後の、そして最も気高い英雄としての光が、再び灯ろうとしていた。


 この星の最後の砦、アースガルド大陸。

そこに今、この星の全ての悲しみと、そして全ての希望が集まろうとしていた。


 本当の最終決戦の幕が、今、上がろうとしていた。

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