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第178話:偽りの撤退

「無茶でも、やるしかないんだ!」

エリックの魂からの絶叫が、混乱の戦場に響き渡った。


「このまま指をくわえて皆が殺されるのを見ているくらいなら……。

俺は一矢報いて死ぬ!」


 その言葉は絶望の淵に立たされた者だけが放つ、あまりにも純粋で力強い最後の光だった。

レオはその光に、十年という時を越えて再び、かつての親友の決して諦めることのなかった英雄の魂を見た。


「……分かった」

レオは短く、しかしその声に万感の思いを込めて答えた。


「……死ぬなよ、エリック」


「当たり前だ」


 エリックは不敵に笑った。

それは十年ぶりに見せた、彼の本当の笑顔だったのかもしれない。


 彼は黒竜の背から眼下に広がる地獄の戦場めがけて、その身を投げた。

一筋の白銀の流れ星となって。


 偽りの英雄は死んだ。

しかし、真の英雄が今、絶望の底から再びその翼を広げようとしていた。


 レオはエリックが飛び降りた、その一瞬を見逃さなかった。

彼はこれまで民衆を守るために広げ続けていた防御の結界を、一瞬だけ解いた。


 そして、その莫大な魔力の全てをただ一点へと集める。


「――大地の怒りよ!!!!」


 レオの叫びにこたえ、王都の中央広場の石畳がまるで生き物のように激しく盛り上がった。

地面から数十本もの鋭く巨大な岩の槍が天に向かって突き出し、地上で虐殺を繰り広げていた異星人たちの完璧な陣形を内側から破壊する。


 それはエリックが敵の懐へと飛び込むための、ほんのわずかな、しかし決定的な「すき間」を作り出すための、レオのありったけの力の援護だった。


 その、大地が裂けるほどの混乱の真っただ中へと。

エリックは音もなく着地した。


 彼の目の前に、一体の異形の生体機械兵士がいた。

その腕の砲口がエリックを捉え、物質を壊してしまうあの灰色の光線を放とうとしていた。


 しかし、エリックの動きはその光よりも速かった。


 彼は地面を蹴ったかと思うと、まるで幻のようにその姿を揺らめかせ、異星人の懐へと一瞬で踏み込む。

彼の手に持つ長剣が、白銀の軌跡を描いた。


 キィィィィィィンッ!


 甲高い金属の悲鳴。

エリックの剣は、異星人の体を覆う目に見えないエネルギーの壁にはばまれた。

魔法攻撃を完全に無効化する、あの異質の防御壁。


 しかし、エリックはひるまなかった。


 彼の剣は魔法ではない。

十年という歳月、彼がただひたすらに憎しみと孤独、そしてつぐないの思いを込めて磨き上げてきた、純粋な、そして究極の「物理」の結晶だった。


「――おおおおおおおおっ!!!!」


 エリックの絶叫と共に、彼の全身の力が剣の一点へと集まる。


 エネルギーの壁が、彼のすさまじい剣の圧力に耐えきれず、ガラスのように細かく美しい音を立てて砕け散った。


『なっ……!?』

初めて、異星人の冷たい思いの声に、明確な「驚き」の色が浮かんだ。


 エリックはそのすき間を見逃さない。

彼の剣が再び、閃光のようにきらめいた。


 狙うは、異星人の腕と胴体とをつなぐ複雑な関節部分。

彼の優れた戦術の目が、その構造の最も弱い一点を瞬時に見抜いていたのだ。


 ザシュッ!


 肉を断つ音と金属を切り裂く音が、同時に響き渡った。

異星人の腕が火花を散らしながら、宙を舞う。


『……警告。機体損傷率、34パーセント。戦闘継続に支障……』


 異星人の無機質な声が途中で途切れた。


 それは痛みによるものではない。

ただ自らの完璧なはずの体が、この星の下等な生き物によって傷つけられたという、信じがたい事実に対する純粋な「混乱」だった。


 その光景は戦場全体に、巨大な衝撃となって伝わった。


「……見たか!」

騎士団長が絶叫した。


「奴らは無敵ではない!

エリック様が道を切り開かれたぞ!」


「ゴウキッ!」

空からレオの声が響き渡った。


「エリックに続け!

奴らの懐に飛び込み、その物理攻撃で奴らの体を直接叩け!」


「応っ!!!!」

ゴウキが大地を揺るがすほどの雄叫びを上げた。


「野郎ども!

王とエリック様に続け!

我ら魔族の本当の力を見せてやれ!」


 その言葉を合図に、戦場の空気が一変した。


 これまで異星人たちの未知の兵器と圧倒的な力の前に、ただ戸惑い、守る一方だった人間と魔族の連合軍。

彼らの瞳に今、初めて反撃の光がともったのだ。


 彼らは戦い方を変えた。

もはや遠距離からの無意味な魔法攻撃はしない。


 騎士たちはその重い盾を捨てて身軽になり、エリックが示したように異星人の懐へと決死の覚悟で飛び込んでいく。

魔族の戦士たちはその強靭な肉体を武器に、エネルギーの壁ごと敵を粉砕しようとその斧と爪を力任せに振り下ろした。

それはあまりにも無謀で、あまりにも不器用な、特攻にも似た戦術だった。


 しかし、その捨て身の覚悟が異星人たちの完璧な計算を、少しずつ狂わせていった。

彼らはこの星の「家畜」たちが、これほどまでに死を恐れない激しい抵抗を見せることを全く予想していなかったのだ。


 リリスもまた、その戦術を的確に援護した。


「密林の民よ! 奴らの足元を蔦でからめ取りなさい!

凍土の民! 奴らの視界を吹雪で奪うのよ!」


 彼女の指示は直接的な攻撃ではない。

しかし、その妨害が人間と魔族の戦士たちが敵の懐へと飛び込むための、貴重な時間を稼いでいた。


 空からはレオが、その覚醒した魔力で巨大な岩の塊を無数に作り出し、それを物理的な「砲弾」として空を飛ぶ小型の機械兵の群れへと叩きつけていた。


 魔法そのものではなく、魔法によって生み出された「質量」による攻撃。

それはエネルギーの壁を突破するための、最も有効な手段だった。


 広場は再びすさまじい戦場と化した。


 しかし、それはもはや一方的な虐殺ではない。

人間と魔族が初めてその知恵と勇気、そして種族を越えた絆を武器に、絶対的な捕食者にその牙をむいた誇り高き抵抗の戦いだった。


◇ ◇ ◇


『……分析。

もともといた生き物による、予測できない連携攻撃を確認。

現在の皆殺しの手順による、エネルギー消費効率、17.3パーセント低下。

……非効率的だ』


 広場の上空でその全てを見下ろしていたリーダー格の異星人の、冷たい思いが響き渡った。


 その声には怒りも焦りもない。

ただ自らの計画に生じたわずかな「ずれ」を直そうとするかのような、無機質な計算だけがあった。


『……この区画の下等な生き物の抵抗は、我らの予想をわずかに上回っている。

これ以上の無意味な消費は、全体の『回収』計画に遅れをもたらす』


 リーダー格の異星人は静かに結論を下した。


 彼らの目的はあくまで、この星のエネルギーを効率的に回収すること。

目の前の数万の「家畜」を、一匹残らず殺すことはその目的の前ではささいな問題に過ぎなかった。


『……第一波、攻撃終了。

全部隊、ただちに現在の戦闘を中断し、母船へと帰還せよ』


 そのあまりにも突然な命令。

地上で人間と魔族の連合軍と激しい死闘を繰り広げてていた異星人たちが、その動きを一斉にぴたりと止めた。


 そして何の前触れもなく、一斉にその場から後退し空へと上昇を始めたのだ。

小型の機械兵もまた、その完璧な陣形を保ったまま、巨大な母船へと吸い込まれるように帰還していく。


「な……!?」


「逃げるのか!?」


 連合軍の兵士たちは、その光景に戸惑いを隠せなかった。

勝利が近いと、思っていた。

しかし敵は、まるで演習でも終えるかのようにあっけなくその姿を消していく。


 その、戸惑いの極みにある広場の全ての生命の魂に。

リーダー格の異星人の最後の、そして最も見下したような思いの声が、突き刺さった。


『……愚かな、下等な生き物めが』


 その声は静かだったが、その奥には星そのものを凍てつかせるほどの冷たい、冷たい怒りが宿っていた。


『……このままでは、すまさんぞ』


 それは敗北の捨て台詞ではなかった。

それは次なる、より残虐で、そしてより計算され尽くした絶望が訪れることを告げる、冷徹で絶対的な死の予告だった。


 その言葉を最後に、異星人たちの巨大な母船は音もなく、空に開いた黒い円の中へとその姿を消した。

そして、あの空の傷口もまた、まるで初めから何もなかったかのように静かにその口を閉じていった。


 後に残されたのは、破壊され煙の立ち上る王都の無残な姿。

そして、傷つき疲れ果て、しかし、かろうじて生き残った人間と魔族の呆然とした姿だけだった。


「……勝った……のか……?」


 誰かが震える声で呟いた。

しかし、その言葉に力強く頷く者は誰もいなかった。


 エリックは傷だらけの体でその場に膝をついた。

彼の隣には同じように、疲れきったレオが荒い呼吸を繰り返している。


「……俺たちは……。奴らを、退けたのか……?」

エリックのかすれた声。


 しかし、レオは今はもう青く澄み渡った、何事もなかったかのような空を見上げながら静かに首を横に振った。


「……いや、違う、エリック」


 レオの声には勝利の喜びは少しもなかった。

あるのはただ、これから訪れるであろう真の絶望への、深い、深い予感だけだった。


「……奴らは負けたんじゃない。

ただ……去っただけだ」


「これは撤退じゃない」


「……ただの、『計算』のやり直しだ……」


 その言葉の本当の恐ろしさを、彼らはまだ知らなかった。


 彼らがこの王都で種族を越えたささやかな勝利に、安心していたまさにその瞬間。

この星の他の四つの大陸で、本当の地獄の幕が静かに、そして無慈悲に上がろうとしていたことを。


 彼らの戦いは終わったのではない。

本当の絶望は今、始まったばかりだったのだ。

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