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第175話:セレーネの遺志、新たな誓い

 王都の中央広場に、夕暮れの赤く優しい光が差し込んでいた。


 偽りの王が打ち倒され、その狂信的な近衛兵たちが沈黙した後、広場を支配していたのは勝利の歓声ではなかった。


 それはあまりにも多くの血と嘘が洗い流された後に訪れる、静かでどこか物悲しい、清めの沈黙だった。


 人間と魔族。

百年というあまりにも長い間、互いを憎み殺し合ってきた二つの種族が今、同じ広場に言葉を失って立っていた。


 人間たちは自らが犯した過ちの重さに、深く頭を下げている。


 魔族たちは長年の願いであったはずの王都の解放を前に、しかしその心に宿る憎しみが、行き場を失ってただ戸惑っていた。


◇ ◇ ◇


 その静寂の中心で。


 レオとリリス、そしてエリックは傷ついた兵士たちの間をゆっくりと歩いていた。


 レオはその覚醒した魔力の一部を使い、分け隔てなく人間と魔族、双方の負傷者たちの傷を癒していく。

その黄金色の温かい光に触れた者たちは、ただ驚きと感謝の思いに、その瞳を潤ませるだけだった。


 リリスは腕にリオを抱きしめながら、魔族の戦士たちに冷静に、しかしその声には確かな温もりを込めて指示を与えていた。


「負傷者を広場の東側に集めなさい。

人間たちの治療を優先するのよ。

彼らの方が私たちよりも、ずっと体が弱いのだから」


 その言葉にゴウキをはじめとする魔族の戦士たちは、一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐにその意図を理解し力強く頷いた。


 エリックはそんな彼らの姿を、まるで夢でも見ているかのような不思議な感覚で見つめていた。

彼の心の中は勝利の喜びよりも、深い、深い感慨に満たされていた。


(……これが……。

俺たちがずっと夢見てきた光景なのかもしれない……)


 彼の視線はふと、遠くに見える王宮へと向けられた。

その光景が、彼の記憶の奥深くにある、もう一つの城の光景を呼び起こす。


 十年という歳月、片時も忘れることのなかった、あの魔王城の玉座の間を。


(……セレーネ……)


 彼女の死。

その悲劇こそが自分とレオの絆を引き裂き、この十年間の全ての偽りの物語の始まりだった。

そのエリックの心の揺れを、隣に立つレオは敏感に感じ取っていた。


 彼はエリックの隣に静かに立った。

その視線もまた、エリックと同じ場所へと注がれている。


「……あの場所だったな、エリック」

レオの声は静かだった。


「セレーネが……死んだのは」

その言葉にエリックは、唇を強く噛み締めた。


 十年という歳月、彼の心を支配し続けてきた罪悪感と後悔。

それが今、親友の前で激しい流れとなって溢れ出しそうになる。


「……俺のせいだ」

エリックの声は震えていた。


「俺が……もっと強ければ……。

いや、違う。

俺が、お前を……お前を信じていれば……!

セレーネは死なずに済んだんだ……!」


 その魂からの謝罪。

しかし、レオは静かに首を横に振った。


「……違う、エリック」


 彼の声にはエリックを責める響きは少しもなかった。

あるのはただ、同じ痛みを分け合う友への深い、深い共感だけだった。


「お前のせいじゃない。

俺のせいでもない。

俺たちはみんな……。

国王たちの、そしてその裏にいた異星人たちの巨大な悪意の駒でしかなかったんだ」


 レオはエリックの肩にそっと手を置いた。

その手の温もりが、エリックの凍てついていた心をゆっくりと溶かしていく。


「……それでも、俺は……」

エリックは顔を上げた。


 その瞳には大粒の涙が浮かんでいた。


「俺はお前を憎んだ。

セレーネの死を全てお前のせいにして、十年もの間お前を殺すことだけを考えて生きてきた……!

俺は親友を裏切り、その息子までをも殺そうとしたんだ……! そんな俺に、お前を友と呼ぶ資格など……」


「あるさ」

レオは力強く、その言葉をさえぎった。


「お前は最後の最後で全てを捨てて、俺の息子を、リオを守ってくれた。

それだけで十分だ。

いや、それ以上のことなんて何もない」


 二人の英雄が、十年というあまりにも長い偽りの冬の時代を越えて今、再びその心を通わせた瞬間だった。


◇ ◇ ◇


「……彼女の、最期の言葉を覚えているか?」

レオは夕暮れの空を見上げながら、静かに言った。


 エリックは頷いた。


 忘れるはずがない。

その言葉こそが彼を十年もの間、憎しみの鎖で縛り付けてきた呪いの言葉だったのだから。


「『信じてた……、あなたたちを……そして、この世界を……』」


 エリックはその言葉を、まるで罪を告白するように口にした。


「俺はずっとその言葉の意味を、勘違いしていた。

彼女は魔族のいない人間だけの平和な世界を信じていたのだと……。

俺は彼女のその遺志を継ぐために、英雄として魔族を憎み続けなければならないのだと……」

そのあまりにも痛ましい独り言。


 しかし、レオは再び静かに首を横に振った。


「……本当に、そうだろうか?」


 レオの瞳にはエリックが見たことのない、深く優しい光が宿っていた。


「なあ、エリック。思い出してみてくれ。

俺たちの仲間は、どんなだった?」


 レオは語り始めた。


「俺は魔法が使えない、ただの剣士だった。

お前は剣も戦術も全てをこなせる、バランスの取れた勇者だった。

そしてアルスは俺たちを、その知識と回復魔法で後ろから支えてくれる賢者だった」


 彼はそこで一度言葉を切り、セレーネが死んだあの場所を思い、愛おしげに遠くを見つめた。


「そしてセレーネは……。

誰よりも強力な攻撃魔法の使い手だった。

俺たちにはない圧倒的な力で道を切り開いてくれる、俺たちの切り札だった」


 レオはエリックの顔を真っ直ぐに見つめた。


「俺たちはみんな違っていた。

得意なことも苦手なことも、性格も何もかもがバラバラだった。

それでも俺たちは共に戦えた。

互いの弱点を補い合って、一つの仲間として」


 その言葉はエリックの心に、一つの全く新しい光景を描き出した。


「セレーネが信じた『この世界』とは、もしかしたら人間だけの、同じような世界のことではなかったのかもしれない」


 レオの声は確信に満ちていた。


「彼女が本当に信じていたのは、俺たちのように全く異なる力、全く異なる価値観を持つ者たちが、それでも互いを認め合い手を取り合って、共に未来を創っていける、そんな世界の可能性だったんじゃないだろうか」


 そのあまりにも意外な、そしてあまりにも美しい解釈。

それはエリックの心に、雷のような衝撃となって突き刺さった。


 彼はゆっくりと周りを見渡した。

広場では人間と魔族が、まだぎこちなく、しかし確かに互いに歩み寄り始めていた。


 人間の兵士が魔族の戦士の傷に包帯を巻いている。

魔族の子供が人間の子供に木の実を分け与えている。


 その光景はまさにレオが語った、セレーネが夢見たであろう世界の、小さな、しかし確かな始まりの姿だった。


(……そうか……)


エリックの瞳から最後の、そして最も温かい涙がこぼれ落ちた。


(セレーネ……。

お前はずっと俺たちに、教えてくれていたのか……)


(お前の死は俺たちを分断するための悲劇なんかじゃなかった)


(それは俺たちが再び手を取り合い、真の世界を創るための、最後の、そして最も尊い道しるべだったんだ……)


 エリックは心の底から深く、深く理解した。

セレーネの死は決して無駄ではなかったのだと。

彼女の犠牲は皮肉にも、この人間と魔族の奇跡的な和解への最初の扉を開いたのだと。


 彼は涙を拭うと顔を上げた。

その顔にはもはや罪悪感も後悔もなかった。


 あるのはただ、友の遺志を継ぎ、この芽生え始めたばかりの新しい世界の創造を、自らの手でやり遂げるという揺るぎない、新たな誓いだけだった。


「……レオ」

エリックは親友の肩を力強く叩いた。


「……お前の言う通りだ。

セレーネもアルスも、きっとこの光景を待っていたはずだ」


 彼は広場にいる全ての人間と全ての魔族に向かって、その視線を向けた。


「偽りの王は倒れた。

だが俺たちの本当の戦いはまだ終わっていない。

この星をその裏からむしばむ真の敵が、まだ空の向こうにいる」


 エリックはレオの隣に立ち、共に天を見上げた。

その瞳には同じ未来を見つめる、強い、強い光が宿っていた。


「俺は誓う」


 エリックの声は広場全体に静かに、しかし力強く響き渡った。


「セレーネの遺志に。

アルスの知性に。

そしてレオ、お前とのこの友情に懸けて」


「俺はこの手で、新たな世界を創造する」


「人間と魔族が二度と、偽りの憎しみに引き裂かれることのない、真の世界を!」


 その誓いは人間と魔族、双方の心に新たな時代の始まりを告げる希望の鐘の音のように、いつまでも、いつまでも響き渡っていた。


 偽りの平和は終わり、真の戦いが始まる。

しかし、彼らの心にもはや一片の恐れもなかった。

なぜなら、彼らはもう一人ではなかったのだから。

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