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第172話:揺れる民衆

 王都の中央広場は、一瞬にして地獄のようなありさまだった。


 レオの圧倒的な魔力によって処刑台が光の粒子となって消え去った後、国王の狂気に満ちた攻撃命令が、騎士たちの最後の理性のたがを完全に外してしまったのだ。


「攻撃せよ!」


「魔族を、一匹残らず殺せ!」


 騎士たちは空に浮かぶ黒竜と、そこから現れた魔族の軍勢に向かって憎しみのままに、その剣と槍を向けた。


 恐怖と、長年植え付けられてきた偽りの正義感が、彼らを盲目的な殺りく機械へと変えさせていた。

「グルオオオオオッ!」


 レオの旗の下に集った魔族たちもまた、その攻撃に応戦した。

彼らもまた人間たちに長年虐げられてきた、深い痛みを抱えている。


 王都の民衆の、あの醜い狂気に満ちた光景は、彼らの心に新たな憎悪の炎を灯していた。


 氷の壁が、炎の槍を砕く。

精霊の矢が、破魔の光と衝突する。

広場は人間と魔族、双方の怒りと悲しみが入り混じる、混乱の渦と化していた。


 罪なき民衆は、その戦いの余波に巻き込まれ悲鳴を上げて逃げ惑う。

建物が崩れ、火の手が上がる。


 彼らが信じてきた平和な日常が今、目の前で音を立てて崩れ去っていく。


◇ ◇ ◇


「……やめろ……」


 黒竜の背の上でエリックは、その地獄絵図を言葉を失って見つめていた。

彼の心臓を、無数の刃で突き刺されるような激しい痛みが襲う。


(違う……。

こんなことは、間違っている……!)


 眼下で繰り広げられているのは、正義と悪の戦いなどではない。


 これはただの、悲劇的な殺し合いだ。


 国王というたった一人の狂人と、その裏で糸を引く異星人たちの悪意によって操られた、哀れな人形たちの、あまりにも無価値で悲しい共食いだ。


 兵士たちも、民衆も。

そして、魔族たちでさえも。

その全てが巨大な嘘の被害者なのだ。


 彼らは互いが互いを倒すべき敵だと、信じ込まされている。

その偽りの憎しみの連鎖が、今この瞬間にも新たな犠牲者を生み出し続けている。


 レオは隣で静かに、しかしその全身から凄まじい魔力を放っていた。


 その瞳は眼下の戦場を、深い悲しみの色と共に見つめている。

彼が一度その覚醒した力の全てを解放すれば、この広場にいる人間たちを瞬く間に全滅させることも可能だろう。


 しかし、彼はそれをしない。


 彼の目的は破壊ではない。

人間と魔族が共に生きる、新たな世界を創ることなのだから。


 しかし、このままではいずれ双方に、取り返しのつかないほどの犠牲者が出るだろう。

その血はさらに深い憎しみを生み、真の和解への道を永遠に閉ざしてしまうかもしれない。


(……止めなければ……)


 エリックは拳を強く、強く握りしめた。

その爪が掌に食い込み、血がにじむ。


(この狂った連鎖を、俺自身の手で断ち切らなければ……!)


(彼らに伝えなければならない。

真実を……。

俺たちが本当に戦うべき、敵の正体を……!)


 その決意が、彼の全身に最後の力を満ちあふれさせた。


 彼は隣に立つ親友の顔を見上げた。

十年という歳月を経て、再びその隣に立つことができた、かけがえのない友の顔を。


「……レオ」

エリックの声はかすれていた。


「……力を、貸してくれ」

レオはエリックの瞳を見た。


 その瞳に宿る揺るぎない覚悟を、彼は瞬時に理解した。


 レオは何も言わなかった。

ただ静かに、そして力強く頷いた。


 彼はその魔力を込めた手を、エリックの肩にそっと置いた。


 次の瞬間、星そのものを揺るがすほどの覚醒した魔王の力が、激流となってエリックの体へと流れ込んでいく。


「……っぐ……!」

エリックの全身を、経験したことのない凄まじい力が貫いた。


 それはまるで自らの魂が一度砕け散り、そしてより強い何かへと作り変えられていくかのような、壮絶な感覚だった。


 彼の声帯が、彼の肺が、その絶大な魔力によって増幅されていく。


 彼は眼下に広がる地獄の戦場を見つめた。

憎しみ合うかつての仲間たちを。

恐怖におびえる罪なき民衆を。

その全てを救うために。

エリックは持てる力の全てを込めて、その魂の全てを叫んだ。


「――止まれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」


 その声はもはや、ただの人間の声ではなかった。

レオの魔力によって増幅され、英雄としての十年分の人を引きつける力と、そして真実を知ってしまった者のどうしようもないほど悲痛な響きを乗せた、魂の叫びだった。


 その声は戦場の騒がしさ、剣のぶつかり合う音、魔法が爆発する音、人々の悲鳴、その全てを一瞬にしてかき消した。

広場にいる全ての人間、そして全ての魔族の魂に、直接突き刺さった。


 広場が水を打ったように、静まり返った。

剣を振り上げていた騎士が、その動きを止める。


 魔法を放とうとしていた魔術師が、その呪文を忘れる。

逃げ惑っていた民衆が足を止め、まるで何かに引き寄せられるかのように空を見上げた。


 その静寂の中心で。

エリックの第二の叫びが、響き渡った。


「聞け! アースガルドの全ての人々よ!」


 その声は威厳に満ち、そしてどこまでも悲痛だった。


「お前たちの倒すべき敵は、そこにいる魔族ではないっ!!!!」


 その言葉は広場に、巨大な衝撃となって走った。

騎士たちが、民衆が、困惑にざわめき始める。


「……何を、言っているんだ……?」


「英雄様が……魔族を、かばって……」


「やはり、妖術に……!」


 その不信のざわめきを、エリックの第三の叫びが完全に打ち砕いた。


「我々は騙されていたんだ!

この十年……いや、それよりもずっと長く、我々は巨大な嘘の中で生かされてきた!」


 エリックは王宮の最も高い塔を、その指で力強く指し示した。


「我らが真に戦うべき敵は、魔族ではない!

我らをあざむき、互いに憎しみ合わせ、その裏でこの星をむしばもうとしている、真の悪!

それは……!」


「ここにいる、国王たちだっ!!!!」


 その、あまりにも衝撃的な訴え。

英雄エリックが自らが仕えるべきはずの国王を、「真の敵」だと断じたのだ。


 広場は再び、完全な沈黙に包まれた。


 しかし、それは先ほどまでの狂信的な静寂ではない。

民衆の、そして騎士たちの心の中に、これまで決して存在しなかった巨大な「疑問」という名の、小さな、しかし決して消すことのできない亀裂が生まれた瞬間だった。


(国王様が……敵……?)


(そんな馬鹿な……。

我らを導いてくださる、慈愛に満ちたあの方が……?)


(しかし……。

あの声は……。

あの英雄エリック様の、魂からの叫びは……)


(なぜ英雄様は、あんなにも悲しい顔をしておられるのだ……?)


 彼らが十年という歳月をかけて、絶対的なものとして信じ込んできた「正義」の仕組み。

その最も固いはずの土台が、英雄自身のその悲痛な叫びによって今、大きく、そして決定的に揺らぎ始めていた。


 騎士団長はその場で、凍りついていた。

彼の心の中にもまた、エリックの言葉が重いくさびのように打ち込まれていた。


 国王への絶対的な忠誠。

しかし、それ以上に彼が信じてきたのは、エリックという男が持つ揺るぎない「正義」の輝きだった。


 その二つが今、彼の心の中で激しく衝突していた。


◇ ◇ ◇


 王宮の最上階。


 アースガルド国王はその光景を、信じられないという表情で見つめていた。


「……あの、裏切り者めが……!」


 彼の顔は怒りと、そして自らの計画が根底から覆されようとしていることへの明らかな焦りで、青白く染まっていた。


「何をためらっておる!

早く奴を黙らせろ! 殺せ!」


 しかし、その命令はもはや、広場の騎士たちには以前のような絶対的な力を持っては届かなかった。


 彼らの心にエリックが投げかけた「疑問」という名の毒が、すでに深く広く染み渡り始めていたのだから。


 広場には張り詰めた、そしてどうしようもなく不安定な静寂が続いていた。


 人間たちは剣を、槍を中途半半端に構えたまま動けないでいる。

魔族たちもまたレオの制止によって攻撃の手を止め、ただその光景を固唾をのんで見守っていた。


 エリックはその静寂の中で、最後の力を振り絞るようにもう一度口を開こうとした。

しかし彼の体は、レオの魔力を受けた反動ですでに限界を超えていた。


 彼の意識が遠のいていく。


 その、エリックの体がぐらりと傾いだ、その瞬間。

彼の隣に立つレオが一歩、前に出た。


 彼の瞳はもはや戦場ではなく、広場にいる全ての人間たちの、その魂の奥深くを見つめていた。


 エリックがその命を懸けてこじ開けた、人々の心の扉。

その扉の向こう側へ、今度は彼が真実の光を直接届けようとしていた。


 偽りの世界に、最初の亀裂が入った。

そして、その亀裂から真実の夜明けが、今始まろうとしていた。

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