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第150話:衝撃の暴露

「お主が、その手で殺すのじゃ」


 国王の、悪魔の囁きにも似たその言葉が、始祖の間の凍てついた静寂の中に冷たく、そして鋭く突き刺さった。


 その瞬間、エリックの世界から全ての音が消えた。

国王の顔が、壁に並ぶ歴代の王の肖像画が、そして揺らめく松明の炎さえもが、まるで時間の流れから切り離されたかのように色褪せた一枚の絵画と化す。


 彼の意識は現実から剥離し、過去のあの絶望の淵へと猛烈な速度で引き戻されていた。

脳裏に、鮮烈に、そして無慈悲にあの光景がフラッシュバックする。


 灼熱の砂漠。

激しい戦闘の喧騒。

そして仲間の背後で、誰にも気づかれずに放たれた一本の、あまりにも不自然な矢。


 風を切り裂く微かな音。

毒に侵された魔族が放ったものとは到底思えぬ、冷徹で計算され尽くした軌道。

それが、回復魔法に集中し完全に無防備だったアルスの背中に、吸い込まれるように突き刺さる、あの瞬間。


「……ぐっ……ぁ……」


 アルスの、信じられないという表情。

苦悶に歪む顔。

そして、何かを伝えようとして虚空を掻いた、震える指先。

その瞳に宿っていたのは、死への恐怖だけではなかった。

それは仲間への、そして自らが信じた何者かへの、深い、深い絶望の色だった。


(……ああ……そうか……)


 エリックの心の中で何かが、音を立てて砕け散った。

パズルの最後のピースが、悍ましい音を立てて嵌ってしまった。

これまで小さな棘のように彼の心を苛み続けてきた、全ての「違和感」。


 誇り高き魔王の親衛隊。

悲しみを宿した魔王の瞳。

そして、レオのあの悲痛な表情。


 それら全てが今この瞬間に、一つの否定しようのない結論へと収束していく。

アルスを殺したのは、魔族ではなかった。

あの戦闘の混乱は全て、この男たちが仕組んだ完璧な舞台装置だったのだ。

真実に近づきすぎた聡明な賢者を、英雄たちの目の前で、誰にも疑われることなく抹殺するための。


(やはり……お前たちだったのか……!)


 激しい、燃え盛るような怒りが彼の魂の奥底からマグマのように噴き上がった。

それはレオに対して抱いてきた悲しみに裏打ちされた憎しみとは全く質の違う、もっと冷たく、もっと絶対的な、純粋な殺意にも似た感情だった。


 アルスの優しさが、その探求心が、仲間への深い思いやりが、この男たちの言うくだらない「秩序」のために、虫けらのように踏みにじられたのだ。


 必要な犠牲だと?

戯言を。


(殺す……)


(この男を、今ここで、殺す……!)


 彼の全身の筋肉が鋼のように硬直する。

膝をついたその姿勢のまま、ただの一瞬でこの偽りの王の喉笛を掻き切るための最短の軌道を、彼の体は無意識のうちに計算していた。

英雄としての彼がこれまで培ってきた全ての技術が、今この瞬間のためだけにあるかのように一点へと収束していく。


 しかし、その殺意の奔流が彼の理性を焼き切る、その寸前。

国王のあの甘美な囁きが、彼の脳裏に亡霊のように蘇った。


『セレーネ……。

我らの力をもってすれば、それすらも覆せるやもしれんぞ?』


 セレーネの、復活。

その、あまりにも抗いがたい誘惑が彼の燃え盛る殺意に、冷たい水を浴びせかけた。


(セレーネ……)


 彼女の最期の顔が、アルスの顔の上に重なる。

もし、今ここでこの男を殺せば、その可能性は永遠に失われる。


(……っぐ……!)


 エリックは奥歯を、血が滲むほど強く噛み締めた。

彼の内面で、アルスの仇を討つという燃え盛る怒りと、セレーネを蘇らせたいという絶望的な願いが、激しく、そして痛ましいほどに衝突していた。


 彼の完璧な仮面の下で、魂そのものが引き裂かれるような壮絶な葛藤が繰り広げられていた。

しかし、その表情は微動だにしなかった。

膝をついたまま深く頭を垂れた彼の姿は、ただ王の言葉の重さに打ちのめされているかのようにしか見えなかった。


 国王はそんなエリックの沈黙を、傲慢にも自らに都合よく解釈していた。

若き英雄が王となるためのあまりにも重い責務と、提示された甘美な未来との間で、当然の葛騰を繰り広げているのだと。


「……辛いか、エリックよ」


 国王の声には、芝居がかった憐憫の色が浮かんでいた。


「アルスは、お主にとっても大切な仲間であったろう。

その死を我らが秩序のために利用したことを、お主は非道いと思うておるやもしれん。じゃがな……」


 国王はエリックの肩に置いた手に、わずかに力を込めた。


「それこそが王の孤独よ。王とは時に、大いなる善のために非情なる小悪を選ばねばならぬ存在。

アルスは聡明すぎた。故に知ってはならぬ真実に近づきすぎた。

世界の秩序を守るためには、あれは必要な『犠牲』じゃった。

お主もいずれ王となるならば、その種の『決断』を幾度となく下さねばならん時が来る」


 その言葉は、エリックの怒りの炎にさらに油を注いだ。


(必要な……犠牲だと……?)

(お前たちの偽りの秩序のために、アルスの命はただの『駒』として捨てられたというのか……!)


 エリックは全身の震えを鋼の意志で完璧に押し殺した。

そして、ゆっくりと、本当にゆっくりとその顔を上げた。


 彼の瞳は潤んでいた。

その表情は深い苦悩と葛藤に苛まれ、自らが背負うべき運命の重さに打ちひしがれているかのように見えた。

しかし、それは彼が英雄として、そして次期国王候補として完璧に創り上げた、究極の「仮面」だった。


 その潤んだ瞳のさらに奥深く。

底なしの闇の中で、氷のように冷たく静かに燃える復讐の炎が宿っていることに、傲慢な王は気づくはずもなかった。


「……承知……いたしました」


 エリックの唇から絞り出すような、かすれた声が漏れた。


「王となるためには……。それほどの覚悟が……必要なのですね……」


 彼はまるで自らの無力さを噛み締めるかのように、そう呟いた。

その言葉は国王の耳には、若き英雄がついに現実を受け入れ、自らの支配下に完全に収まったことを示す甘美な降伏宣言として響いた。


「うむ。よくぞ決断した」


 国王の顔に満足げな、そして勝利を確信した笑みが浮かんだ。

英雄エリックはついに、自分たちの忠実な「駒」となった。

これで、この星の未来は永遠に安泰だ。


「これでお主も我らの仲間入りじゃ。案ずるな。

セレーネを蘇らせる日も、そう遠くはあるまい。

それまでの辛抱じゃ」


 国王は最後の甘言を囁くと、エリックの肩を力強く叩いた。

「引継ぎの儀」は、終わった。


 エリックは深々と、そして感情を完璧に殺した一礼をすると、静かにその場に立ち上がった。

そして一度も振り返ることなく、始祖の間を後にした。


 王宮の、長い、長い廊下。

彼の背筋はこれまでと何ら変わることなく、完璧な英雄のそれとしてまっすぐに伸びていた。

しかし、彼の内面はもはや以前のエリックではなかった。


 愛も、憎しみも。

正義も、悪も。

彼がこれまで信じ、そして囚われてきた全ての価値観は、あの始зоの間で完全に崩壊し、死んだ。


 そして、その全てが破壊された魂の焼け野原の中から、たった一つの、しかし何よりも強靭な感情が、静かに、そして力強く芽生え始めていた。


 国王たちへ。

そして、この偽りの世界を創り上げた異星人たちへ。

絶対的な、「復讐」という名の冷たい炎。


 自室へと戻ったエリックは、重厚な扉を閉めたその瞬間。

まるで全身の骨が砕かれたかのように壁に背を預け、ずるずるとその場に崩れ落ちた。


「……う……ぁ……」


 声にならない獣のような呻きが、彼の喉から漏れた。

抑えつけていた全ての感情が一度に、しかし無言の慟哭となって彼の全身を内側から食い破ろうとしていた。


 涙は、一滴も出なかった。

ただ、全身が激しい怒りと、そして底なしの絶望にどうしようもなく打ち震えていた。


 彼は床に散らばる自らの影を見つめた。

その影の中に、優しく微笑むアルスの顔が浮かび上がった。


(アルス……)

(すまなかった……)

(俺は……何も……何も、知らなかったんだ……!)


 彼は床を強く、何度も殴りつけた。

自らの無力さを、自らの愚かさを、呪うように。


 しばらくして、彼はまるで老人のようにゆっくりと立ち上がった。

そして窓辺へと歩み寄り、外に広がる雪に覆われた静かな王都を見下ろした。


 その瞳には、もはや葛藤の色はなかった。

あるのは、氷のように冷たく静かに燃え盛る、復讐の炎だけ。


 彼は国王たちの駒として、完璧に振る舞い続けるだろう。

彼らの信頼を勝ち取り、その懐の最も深い場所へと静かに潜り込む。

そして水面下で、彼らが築き上げたこの巨大な偽りの世界を、内側から根こそぎ破壊するための孤独な戦いを始める。


 それがアルスへの、そしてセレーネへの、彼にできる唯一の償い。

そして、裏切ったはずの親友レオに、いつか真実を告げるためのただ一つの道だと、彼は信じていた。


 英雄エリックは、その日、死んだ。

そして、復讐者エリックが、静かに産声を上げた。


 彼の本当の戦いが、今この瞬間に、始まったのだ。

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