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第139話:未来を賭けた戦い

 古代の盟約の地に集結した数万の魔族の軍勢。

彼らが真の敵の存在を知り、一つの魂となって咆哮したあの日から数週間が過ぎていた。


 谷には最終決戦に向けた熱気と、かつてないほどの緊張感が満ち満ちていた。

しかしその熱狂と高揚感は、ある報告によって冷水を浴びせられたかのように急速に冷え込んでいった。


 作戦会議の天幕の中は、重い沈黙に支配されていた。

モルグ・アイン山脈の地下深くに潜入していた凍土の民と密林の民による合同斥候部隊が、命からがら帰還しその衝撃的な報告を終えたばかりだった。


「……信じられん」

最初に沈黙を破ったのは戦士ゴウキだった。

彼の声は怒りよりも、むしろ畏怖によってかすれていた。


「鉄の船が大地を巣食う巨大な蟲のように、エーテル鉱脈に張り付いているだと……?

そこから放たれる光の一撃が、山の岩盤を水のように蒸発させた……?」


 斥候部隊の長である凍土の戦士は、その顔を蒼白にさせながら力なく頷いた。


「我らの魔法や弓矢などまるで児戯に等しいものでした。彼らの兵士は血も通わぬ鉄の人形のようでありました。そして何よりも恐ろしいのは……」


 彼は一度言葉を切り、震える声で続けた。


「彼らの拠点を取り巻く見えざる『壁』です。

あれは我らが知るいかなる結界とも異なる、異質の力……」


 報告は絶望的だった。

異星人たちの戦力はレオたちが想定していたものを、遥かに、そして圧倒的に上回っていた。

それはもはや戦力差という言葉では表現できない、文明そのものの絶対的な隔絶だった。


「……だが、朗報もある」

斥候部隊の長はかろうじて希望の糸を口にした。


「奴らの警戒は主に人間たちの王国へと向けられている様子。

我ら魔族のこの谷での動きは、まだ奴らには悟られてはおりませぬ」


 その言葉はしかし、天幕の中の重い空気を少しも軽くすることはなかった。

悟られていないから何だというのか。

この圧倒的な力の差を前にしては、奇襲をかけたところで結果は火を見るより明らかだった。


「……どうする、レオ様」

穏健派のゼノンが、絞り出すようにレオに問いかけた。


「このまま戦えば、我らは……

犬死にですぞ」

天幕の中の誰もがレオの顔を見つめていた。 数万の魔族の命運が今、彼の決断一つにかかっている。


 ゴウキが拳を握りしめ、立ち上がった。

「それでは、戦わぬというのか!」


 彼の叫びは、この場にいる全ての魔族の心の叫びだった。


「このまま奴らの好きにさせるというのか!

負けると分かっていても一矢報いるのが、戦士というものではないのか!」


 その言葉に、他の長たちも次々と同調の声を上げる。


「そうだ!

誇りなく生き永らえるくらいなら、戦って死ぬ!」


「我らの故郷を、奴らに好きにはさせん!」


 彼らの瞳には絶望と、そしてそれ故の捨て身の覚悟が宿っていた。

このまま玉砕覚悟で敵の拠点に総攻撃をかける。

それが彼らに残された唯一の道であるかのように、天幕の空気は破滅的な熱を帯びていった。


 レオはその光景を、ただ静かに見つめていた。

彼の心にも彼らと同じ、燃え盛るような怒りの炎が宿っていた。

今すぐこの身一つで敵の元へ飛び込み、全てを破壊し尽くしてやりたい衝動に駆られる。


 だが、彼はもはや一人ではなかった。

彼の脳裏にリリスの顔が、そして腕の中ですやすやと眠る息子リオの顔が鮮明に浮かび上がった。


(一矢報いる……?

その後どうなる?

我らが全滅すれば誰がこの星の未来を守るのだ。

誰がリリスを、リオを守るのだ……?)


 レオはゆっくりと立ち上がった。

彼の声は熱狂に包まれた天幕の中で、驚くほどに静かで、そして冷たく響いた。


「……それだけは絶対に許さない」


 その言葉に、長たちの声がぴたりと止んだ。


「負ける戦いをするわけにはいかない」

レオは断言した。


「それは魔王としての俺の判断だ。

同胞たちを無駄死にさせることだけは絶対にしない」


 ゴウキが信じられないという顔でレオを睨みつけた。


「では王は、我らに戦うなと仰せか!

このまま何もせず、奴らのなすがままになれと!?」


「そうは言っていない」

レオはゴウキの視線を真っ直ぐに受け止めた。


「我々は戦う。必ずだ。

だが今ではない。そして我々だけでは勝てない」


 彼は地図の上に震える指で、人間たちの王国が広がる東部平原をなぞった。


「我々だけでは勝てないのなら……

人間たちの力も必要になるのかもしれない。

操られていない、真実を理解しうる人間たちの……

力が」


 その言葉に天幕の中は、再びどよめきに包まれた。

人間と手を組む。

それはゴウキたちにとっては、到底受け入れがたい選択肢だった。


 レオは彼らの動揺を意に介さず、自らの決断を力強く告げた。


「これより魔族連合軍は、一時解散する」


「なっ……!?」


「全軍に告ぐ!

各部族はそれぞれの故郷へと戻り、来るべき決戦の日に備えよ!

我々は時間を稼ぐ。

力を蓄え、知恵を絞り、そして必ず勝てる戦いをする!」


 レオの計画はあまりにも大胆で、そして戦士たちの誇りを傷つけかねないものだった。

巨大な軍勢を解散させる。

それは敵前逃亡にも等しい行為だと、捉えられても仕方がなかった。


「なぜだ!

なぜ今、解散なされるのだ!」

ゴウキが悲痛な声で叫んだ。


 その時、天幕の入り口にリオを抱いたリリスが静かに立っていた。


「何よその顔は」

彼女の声は冷たく、そして鋭かった。


「戦から逃げるみたいで不満だとでも言いたいの?

馬鹿なことを言わないで!」


 リリスはゆっくりと天幕の中央へと歩みを進め、ゴウキの前に立った。


「これは撤退じゃないわ。

戦略よ!」


 彼女は腕の中のリオを、ゴウキの、そして全ての長たちの前に誇らしげに示してみせた。


「この子が生きていく未来を創るための最も賢明な判断!

それが理解できないなら貴方たちに未来を語る資格はないわ!」


リリスの瞳には母としての、そして姫としての揺るぎない覚悟が宿っていた。


「レオの言うことに黙って従いなさい!

貴方たちがただの犬死にで終わることを、この子は望んでいない!」


 彼女の言葉は熱くなった長たちの頭に冷たい水を浴びせ、そして彼らの心の奥底に静かに染み込んでいった。


 そうだ、自分たちが戦うのは憎しみのためではない。子供たちの未来のためなのだ。

その未来を無謀な戦いで、自らの手で潰してしまって良いはずがない。


 ゴウキはリリスの腕の中で眠るリオの無垢な寝顔を見つめ、やがてその場に深く膝をついた。


「……御意のままに、我が王、我が姫君……」


 その日の午後、レオの決断は魔族連合軍の全軍へと伝えられた。

最初は戸惑いと不満の声を上げていた兵士たちも、それぞれの長からの説得と、そしてレオとリリス、リオという彼らの希望の象徴の存在によって、次第にその決断を受け入れていった。


 数日後、古代の盟約の地に集結していた数万の魔族たちは再びそれぞれの故郷へと静かに帰路についた。

それは敗北による解散ではない。

未来の勝利を信じ、より強くなるための戦略的な後退だった。


 谷には再び冬の静寂が訪れようとしていた。

レオとリリスはリオと共に、その光景を丘の上から静かに見守っていた。


(八年……いや十年はかかるかもしれない……)


 レオは心の中で呟いた。

異星人たちの圧倒的な力を覆し、そして人間たちとの間に真の共存関係を築き上げる。

それは一朝一夕で成し遂げられることではない。


(だが必ず俺たちは勝つ。

この子が胸を張って生きていける世界を、必ず創ってみせる……)


 彼の決意はもはや揺らぐことはなかった。

それはこの星の未来を背負う新魔王としての、静かで、しかし何よりも強固な誓いだった。


 魔族連合軍は一度その姿を消した。

しかしその結束の炎は大陸全土に散らばり、来るべき日に備え、静かに、そしてより強く燃え盛る準備を始めたのだ。


 レオとリリスの長く、そして困難な本当の戦いが、今、始まろうとしていた。

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