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第138話:高まる緊張

 古代の盟約の地に冬将軍がその威容を現し始めていた。


 谷を吹き抜ける風は日に日にその冷たさを増し、空は重い鉛色の雲に覆われている。

しかし数万の魔族たちが築いた巨大な野営地には、その寒さを吹き飛ばすほどの静かで、しかし燃え盛るような熱気が満ちていた。


 あの日、レオが全ての魔族にこの星の真実を語り、彼らが一つの意志の下に結束してから1ヶ月という時間が流れようとしていた。

その時間はかつてバラバラだった魔族という種族が、初めて真の意味で「軍勢」へと変貌を遂げるための激動の期間だった。


 レオの「最終決戦への準備を始める」という宣言の翌朝、谷の中央に設けられた作戦会議の天幕には各部族の長たちが夜明けと共に集結していた。


 凍土の族長、密林の長老、砂漠の民の代表、そして東部平原のゴウキとゼノン。

彼らの顔に、もはやかつてのような疑念や対立の色はない。

あるのは真の敵を前にした、戦士としての厳しい覚悟だけだった。


「時間は残されていない。

今この瞬間から、我々は『魔族連合軍』として最終決戦への具体的な準備に入る」


 レオの言葉を皮切りに、アースガルド大陸の歴史上誰も成し得なかった全魔族による共同作戦の立案が始まった。


「まず、敵の戦力を正確に把握する必要がある」

戦略の立案を任されたゼノンが、広げられた大陸の地図を指し示した。


「竜王様からの情報によれば、敵は大陸各地の辺境、そしてモルグ・アイン山脈の地下深くにエーテル鉱脈と直結した拠点を築いているとのこと。

我々の最初の目標はこれらの拠点の正確な位置を特定し、その戦力を分析することじゃ」


 その言葉に、凍土の族長と密林の長老が同時に頷いた。


「その任、我らにお任せを」

凍土の族長がその低い声で言った。


「我ら凍土の民の忍耐力と追跡術は、雪と氷に閉ざされた山脈の偵察に最も適しております」


「我ら密林の民も森の精霊たちの力を借り、その気配を消して敵地に潜入しましょう」

密林の長老が静かに続けた。


「奴らの『歪み』は森の生命の流れをも乱す。

精霊たちはその乱れの源を、必ずや見つけ出すはずじゃ」


 かつては決して交わることのなかった北と南の魔族が、今それぞれの得意な戦術を融合させ、大陸史上最強の偵察部隊を編成しようとしていた。


「斥候部隊が敵の位置を特定次第、我ら砂漠の民が動く」

砂漠の民の代表が、その鋭い瞳を光らせた。


「少数精鋭による奇襲攻撃で、敵の拠点を結ぶ補給路、あるいは魔力の供給路を叩き、奴らの連携を分断する。

我らは砂嵐のように現れ、砂嵐のように去るのみ」

彼の言葉には個の力を極めた者だけが持つ、絶対的な自信が満ちていた。


「そして本隊の指揮は、このゴウキにお任せいただきたい」

ゴウキがレオの前に進み出て、深く頭を下げた。


「東部平原の民は人間たちの集団戦術を嫌というほど見てきた。

その知識と各部族から選りすぐった戦士たちの力を融合させ、必ずや奴ら異星人の軍勢を正面から打ち破る最強の歩兵部隊を築き上げてみせます」


 彼の顔の傷跡はもはや過去の憎しみの象徴ではなかった。

それは全ての同胞の痛みを背負い、未来を守るという固い決意の証となっていた。


 会議は夜を徹して続いた。

これまで己の部族の利益と生存だけを考えてきた長たちが、今初めて「全魔族」という大きな視点で戦略を語り合っている。


  レオはその光景に深い感動を覚えていた。

(これが……結束という力……)


 彼の共感力はそれぞれの長が持つ知識と経験を引き出し、それらを一つの巨大な知恵へと昇華させていく。彼はもはや孤独な王ではなかった。

信頼できる仲間たちと共に未来を創造する真の指導者となっていた。


「まったく、男どもは戦の話となるとすぐに夢中になるんだから!」


 作戦会議の天幕の外ではリリスが、山のように積まれた羊皮紙の束を前に盛大なため息をついていた。

彼女はレオと長たちが描く壮大な戦略を現実のものとするための、兵站と全部隊の調整という最も困難な役割を担っていた。


「凍土の民には乾燥肉と防寒具を追加で支給。

密林の民には特殊な薬草の補充。

砂漠の民は水の補給が最優先……。

東部平原の連中は武器の統一を急がせて……。


 ああ、もう!

なんで私がこんな雑務を全部やらなきゃいけないのよ!

貴方は玉座に座って格好いいことを言っていればいいんだから、楽でいいわよね!

この苦労知らずの魔王様!」


 彼女は天幕の中にいるレオに向かって悪態をつきながらも、その手は驚くべき速さと正確さで複雑な問題を次々と差配していく。


 彼女が持つ旧世界の王としての知識と魔族の姫としてのカリスマは、この生まれたばかりの軍勢にとって不可欠な頭脳であり心臓だった。

兵士たちは口うるさくも常に自分たちのことを第一に考えてくれる彼女の姿に、深い敬意と信頼を寄せるようになっていた。


 その日から、盟約の谷は最終決戦に向けた巨大な軍事教練の場と化した。

谷の至る所で異なる部族の魔族たちが、互いの技術を学び教え合う光景が見られた。


 凍土の戦士が砂漠の民に雪中での追跡術を教え、砂漠の民は凍土の戦士に一撃離脱の戦術を伝授する。

密林の射手が東部平原の兵士に風を読んで矢を放つ極意を語り、東部平原の兵士は密林の射手に人間たちの城壁を攻略するための知識を共有する。


 それは単なる軍事訓練ではなかった。

それは数百年ぶりに、魔族という一つの種族がその多様な文化と知識を融合させ、新たな力へと昇華させていく歴史的な瞬間だった。


 レオもまた魔王として、その変化の中心にいた。

彼は各部族から選りすぐられた精鋭たちで構成される直属の親衛隊の訓練を、自ら行っていた。


 その中にはゴウキの姿もあった。


「違うゴウキ!

憎しみで剣を振るうな!

守るべき者のために振るうんだ!

怒りを力に変えるのではない、愛を、覚悟を力に変えろ!」


 レオの指導は単なる剣技の教授ではなかった。

彼は自らの共感力を通して戦士たち一人一人の心の動きを感じ取り、彼らの精神そのものを新たな次元へと引き上げようとしていた。


 戦士たちはレオの圧倒的な力と、そして自分たちの心の奥底まで見透かすかのようなその深い共感力に、畏敬の念を抱いた。

彼らはレオの下で戦うことに、絶対的な誇りとそして喜びを感じていた。


 アースガルド大陸には、かつてないほどの緊張感が静かに、しかし確実に高まっていく。

斥候部隊からは異星人たちの不穏な動きが次々と報告された。


 モルグ・アイン山脈の地下では巨大な魔力反応が観測され、辺境の地では人間たちの王国軍が、まるで何かに引き寄せられるかのように奇妙な動きを見せ始めていた。


  残された時間は少ない。

レオたちの行動は、すでに異星人たちに察知されているのかもしれない。

偽りの平和の仮面の下で、真の敵は着々とその牙を研いでいる。


 その日の夜、レオは全ての訓練を終え、リリスとリオが眠る自らの天幕へと戻った。

揺れるランプの光に照らされた愛する妻と子の寝顔。

それはこの激動の日々の中で、彼が唯一心からの安らぎを得られる瞬間だった。


 彼はリオの小さな手をそっと握りしめた。

その温かさが、彼の心に巣食おうとする焦りと戦いへの恐怖を浄化していく。


(この子の未来のために……。

リリスと共にこの子が笑って生きていける世界を創るんだ……)


 彼は改めて自らの誓いをその心に深く刻み込んだ。

この強大な力は復讐のためにではない。

異星人の支配からアースガルド大陸を取り戻し、そして人間と魔族が真実の理解の上で、手を取り合える世界を創るために。


 天幕の外では数万の魔族たちが、それぞれの持ち場で来るべき戦いに備えていた。

谷全体が一つの巨大な生命体のように、静かに、しかし力強くその呼吸を整えている。


 レオは立ち上がると、天幕の入り口からその光景を見渡した。

全ての準備は整いつつある。

魔族の軍勢は今や、一つの魂を持つ強大な力となった。


(だがまだだ……。

まだ最後の覚悟が定まっていない……)


 レオは兵士たちの顔を一人一人思い浮かべた。

彼らはレオを信じ、命を懸けようとしている。

リリスもゴウキもゼノンも、全ての同胞が未来を自分に託している。


(俺は……。

俺たちは本当にこの戦いに勝てるのか?

そしてその先に待つ新しい世界を創ることができるのか……?)


彼の心に魔王としての最後の問いが、重くのしかかる。

それは彼自身が、そして全ての魔族たちが未来を賭けたこの戦いに、真の意味で挑むための「覚悟」を問うものだった。 最終決戦の時は刻一刻と迫っていた。

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