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第128話:共感の欠如

 竜王の山に、再び生命力に満ちた夏が訪れていた。


 半年前まで世界を白銀に閉ざしていた雪は完全に姿を消し、山肌は力強い緑と、色とりどりの高山植物に覆われている。


 あの日、竜王から魔族が記憶改変を免れた理由を聞かされてから、半年という月日が流れた。

その間、レオとリリスは、竜王の元で静かに、しかし着実に力を蓄え、絆を深めていた。


 レオの修練は、もはや単なる魔力の向上ではなかった。

竜王の指導のもと、彼はこの星のエーテルの流れ、生命の律動そのものを感じ取り、自らの魂と同調させる術を学んでいた。

それは、来るべき異星人との決戦において、この星そのものを味方につけるための、根源的な修練だった。


 リリスは、竜王が持つ古の記憶のアーカイブの中から、父である旧世界の王に関する記述を探し出し、その生涯を必死に辿っていた。

彼女にとって、それはただの歴史研究ではない。

自身のルーツを知り、父が何を思い、何に苦悩したのかを理解するための、魂の旅路だった。


 穏やかな気候が続くようになってからは、二人の時間にも、ささやかな変化が訪れていた。

彼らは、洞窟に籠るだけでなく、山の豊かな自然の中を散策し、言葉を交わすことが増えた。

レオは、覚醒した力で清らかな泉を湧き出させ、リリスはその水を使って、山で採れた木の実や薬草を調理した。


「べ、別に貴方のために料理を作ってるわけじゃないわよ! 私が食べたいから作ってるだけ!

貴方はそのおこぼれを貰ってるに過ぎないんだから、勘違いしないでよね!」


 そう言って手渡される温かいスープは、レオの疲れた心と体を、何よりも深く癒した。

彼女の不器用な優しさが、レオにとってはかけがえのない宝物だった。


 リルも、この山の穏やかな気候を謳歌していた。

レオのポケットに収まっているだけでは飽き足らず、二人の周りを嬉しそうに飛び回っては、見たこともない輝く花や、珍しい形の石を拾ってきて、リリスの膝の上にそっと置く。


「もう、リルったら。

こんなもの集めてどうするのよ」


 リリスは呆れたように言いながらも、その小さな贈り物を、大切そうに懐にしまうのだった。

そんな穏やかな日々の中で、リリスの体には、新たな生命の兆しが、静かに、しかし確かに宿り始めていた。

まだ二人とも、その奇跡には気づいていない。


 そして、夏の光が最も強くなったある日。


 レオとリリスは、再び竜王の前に座っていた。


 リリスの表情は、いつになく真剣だった。

彼女は、父の物語の、最も核心に触れる部分を聞く覚悟を決めていた。


「竜王……

父様のことを、話してちょうだい」


 リリスは、震える声で切り出した。


「父様は、人間だったのでしょう?

ならば、あの『記憶改変計画』の影響を受けていたはずだわ。

それなのに、どうして……

どうして魔族を率いる『魔王』になったの?」


 その問いは、レオにとっても最大の疑問だった。


 竜王は、リリスの瞳の奥にある覚悟を見定めると、深く、そして長い溜息をついた。

その瞳には、旧き友への、深い哀れみと、そして変わらぬ敬意の色が浮かんでいた。


「……あやつもまた、この星の理不尽に翻弄された、孤独な魂じゃった……」


 竜王は、静かに語り始めた。


「お主の父、後の旧世界の王となる男は、元はアースガルド大陸でも指折りの、気高く聡明な人間の王族っもたり、若き勇者じゃった。

じゃが、彼もまた、他の人間たちと同じく、『星を喰らう者』どもが放った毒の霧に魂を焼かれ、偽りの記憶を植え付けられておった」


 竜王の言葉は、リリスの父が、最初は他の人間たちと何ら変わりのない、操られた一人であったという、過酷な事実を突きつけた。


「当時の彼は、『魔族は悪である』という偽りの正義を信じ、それを疑うことすらなかった。

じゃが、彼の運命を変える、奇跡が起きたのじゃ」


「奇跡……?」


「うむ。それは、我ら竜の一族ですら、予期できぬことじゃった。彼は……

一人の魔族の女性と、恋に落ちたのじゃよ」


 その言葉に、リリスははっと息を呑んだ。

それは、彼女の母親の話だった。


「その女性は、ワシの遠い親戚筋にあたる、誇り高き竜の血を引く者じゃった。

彼女は、人間との争いを嫌い、森の奥深くで、ただ静かに暮らしておった。

偶然にも、操られたお主の父は、その森で彼女と出会った」


 竜王は、遠い昔を懐かしむように、目を細めた。


「何が彼をそうさせたのか、今となっては分からぬ。

じゃが、彼は、その魔族の女性の、孤独でありながらも気高い魂の輝きに、抗いがたいほど強く惹かれた。

そして、彼女もまた、偽りの憎悪の奥に隠された、彼の魂の本来の気高さを見抜いたのじゃろう」


 二人の間に芽生えた『愛情』。

それは、異星人たちが最も警戒し、そして憎悪の燃料として利用した、人間の最も強い感情だった。


「お主の父の心の中で、二つの巨大な力が激突した。

奴らに植え付けられた『魔族への憎悪』と、目の前の女性へ抱いた、真実の『愛情』がな。

その矛盾は、彼の精神を激しく揺さぶり、苦しめた。

じゃが、彼の愛は、奴らの偽りの憎悪に打ち勝ったのじゃ」


 竜王によれば、その真実の愛が、異星人の精神操作に「バグ」を生じさせたのだという。


「奴らの計画は完璧ではなかった。

人間の愛情を憎悪に転化させることはできても、ゼロから生まれた、あまりにも強大な、真実の愛そのものを消し去ることはできなかったのじゃ。

その愛が、彼の魂にかけられた呪縛を内側から破壊し、偽りの記憶に、小さな亀裂を生じさせた」


 リリスの父は、完全ではないにせよ、世界の真実の一部を取り戻した。

彼は、人間と魔族が憎しみ合うこの世界が、どこかおかしいということに、気づき始めたのだ。


「じゃが、それこそが、彼の新たな苦悩の始まりじゃった」

 竜王の声に、深い影が差した。


「真実の断片を取り戻した彼は、人間社会の狂気に気づいた。

彼は、国王たちに、そして同胞である人間たちに、この世界の異常さを訴えようとした。

じゃが、彼の言葉は、誰にも届かなかった。

記憶を改変された者たちにとって、彼の言葉は、ただの狂人の戯言にしか聞こえなかったのじゃ」


 人間たちから孤立し、「魔族に誑かされた裏切り者」の烙印を押された彼は、故郷を追われ、愛する女性……リリスの母と共に、魔族の地へと逃れるしかなかった。


「そして彼は、新たな決意を固めた。

人間がダメなら、魔族をまとめ、この偽りの世界に立ち向かおうと。

彼こそが、人間と魔族の架け橋になろうとしたのじゃ」


 しかし、その道は、想像を絶するほどに孤独で、困難なものだった。


「まず、彼は人間じゃった」

 竜王は、静かに、しかし残酷な事実を告げた。


「10年間、理由もなく攻撃され続けてきた魔族たちにとって、人間の言葉など、もはや信用に値しなかった。

彼がどれだけ真実を語り、共闘を呼びかけても、魔族たちは彼を『人間』としてしか見ず、その言葉に耳を貸そうとはしなかった」


「そんな……」


 リリスは、唇を噛み締めた。

父が、そんな仕打ちを受けていたとは。


「そして、もう一つの、より根源的な壁があった。

それは、お主たちも知る通り、魔族の『共感力の欠如』じゃ」


 竜王は、西部砂漠の民や、北部凍土の民を思い出すよう、レオに視線を向けた。


「お主の父は、人間として、種族を超えた『理想』や『大義』を掲げた。

じゃが、多くの魔族にとって、それは理解不能な概念じゃった。

彼らは、個として、あるいは小さな部族として生きる者たち。

見知らぬ他の魔族と手を取り合い、抽象的な『世界の未来』のために戦うなどという発想は、彼らにはなかったのじゃ」


 リリスの父は、大陸中を一人で説得して回った。

しかし、ある部族は彼を無視し、ある部族は彼を攻撃し、またある部族は、彼の言葉を理解すらできなかった。


(孤独だったろうな……)


 レオは、旧世界の王の姿に、自分自身の旅を重ねていた。

真実を知りながら、誰にも理解されない。人間からは裏切り者とされ、魔族からは信頼されない。

それでも、彼は諦めなかった。愛する妻のために、そして、生まれてくる娘……リリスのために。


「ふん……

馬鹿な男ね、父様も。

そんなことしたって、無駄だったのに……」


 リリスは、そう吐き捨てた。

しかし、その声は震え、瞳には大粒の涙が浮かんでいた。

父の孤独と挫折の物語は、彼女の心を深く、そして激しく揺さぶっていた。


 レオは、そんなリリスの肩を、そっと抱き寄せた。


 旧世界の王が感じていたであろう、深い絶望と孤独。

それは、レオにも痛いほどに理解できた。

彼は、この偽りの世界で、たった一人で戦い、そして力尽きたのだ。


 洞窟の外では、夏の風が、悲しげな音を立てて吹き抜けていった。

それは、誰にも理解されずに散っていった、一人の孤独な王の魂を、慰めているかのようだった。

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