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第127話:魔族の特性、記憶操作の不発

 竜王の洞窟に、再び重い沈黙が訪れた。


 レオの絶叫と、それを包み込んだリリスの温もり。

揺らめく炎が、二人の震える影を壁に映し出す。


 半年前、この場所で語られた「記憶改変計画」の真実。

それは、レオの心を根底から揺さぶり、彼の信じてきた世界の全てを破壊した。

そして今、リリスが放った問いが、その破壊された世界の瓦礫の中から、新たな、そして最後の謎を掘り起こそうとしていた。


「なんで、人間だけなのよ?

私たち魔族には、その記憶改変とやらは効かなかったっていうの?」


 リリスの声は、まだ微かに震えていた。

彼女はレオを抱きしめたまま、その鋭い視線を竜王へと向けている。

彼女の問いは、レオ自身の疑問でもあった。なぜ、人間だけが操られ、魔族はそれを免れたのか。


 竜王は、二人の問いに、深く、そしてどこか悲しげな表情で、静かに頷いた。


「その問いこそが、この悲劇の根源であり……

そして、魔族という種の、どうしようもない(さが、)でもあるのじゃよ……」


 竜王は、ゆっくりと石の玉座から立ち上がり、洞窟の入り口へと歩を進めた。

外は、雪が降り積もり、世界は白銀の静寂に包まれている。


「奴ら『星を喰らう者』の精神操作は、言った通り、人間の最も美しい感情……

『愛情』や『信頼』を燃料として、『憎悪』へと転化させるものじゃった」


 彼の声は、冬の空気のように澄み渡り、レオとリリスの心に深く染み込んでいく。


「愛が深ければ深いほど、絆が強ければ強いほど、生まれる憎悪もまた、深く、強くなる。

人間が持つ『共感力』は、その愛情や信頼を育む、豊かな土壌じゃった。

じゃからこそ、奴らの計画は、人間社会において、かくも絶大な効果を発揮した……」


 竜王は、そこで一度言葉を切り、雪景色に覆われた外界を見つめた。


「では、我ら魔族はどうじゃったか」


 彼は、ゆっくりと振り返り、その深い瞳でレオとリリスを見据えた。


「答えは、単純じゃ。

我ら魔族には……

奴らの精神操作が効かなかった。

いや、正確に言えば、効くほどの『燃料』が、我らの心には、ほとんど存在しなかったのじゃよ」


「燃料が……なかった?」

 レオが、思わず問い返した。


「そうじゃ」

 竜王は、静かに頷いた。


「我ら魔族は、生まれながらにして、人間ほどに『共感』という力を持たぬ。

それは、お主がこれまでの旅で出会ってきた、同胞たちの姿を見れば、分かるはずじゃ」


 その言葉に、レオの脳裏に、これまでの旅の記憶が鮮明に蘇った。


 北部凍土の、寡黙な民。彼らは、言葉を交わさずとも、厳しい自然の中で生き抜くための、暗黙の連携を持っていた。

しかし、それは人間の言う「友情」や「愛情」とは異なる、より実利的で、生存に根差した繋がりだった。


 南部密林の、精霊を信仰する民。

彼らは、森の生命と深く共鳴していたが、個として完結し、他者との深い関わりを避けていた。


 そして、西部砂漠の、孤独な民。

彼らは、「干渉しないこと」を生存戦略とし、社会という概念すら持たなかった。


(そうか……。

彼らの生き方は、全て……)


 レオは、愕然とした。

彼がこれまで出会ってきた魔族たちの多様な文化や価値観。

その根底には、共通する一つの特性があったのだ。


「我らの心は、個として、孤独として、成り立っておる。

他者の感情に流されにくい。

それは、強さでもあるが、同時に、人間が持つような、他者への深い『愛情』や、無償の『信頼』といった感情を、希薄にさせておる。

もちろん、仲間意識や同族としての誇りがないわけではない。

じゃが、それは人間が抱く感情とは、根本的に質が異なるのじゃ」


 竜王の言葉は、レオが抱いていた魔族への理解を、さらに深い次元へと引き上げた。


「奴らの精神操作は、その『愛情』という名の燃料がなければ、憎悪の炎を燃え上がらせることはできん。

我ら魔族の心は、奴らにとっては、湿って火のつかぬ薪のようなものじゃった。

故に、記憶を書き換えることも、憎悪を植え付けることも、奴らにはできなかったのじゃよ」


 それは、あまりにも皮肉な真実だった。


 魔族が、その精神的な特性……

共感力の欠如、愛情の希薄さによって、異星人の最悪の攻撃から守られたというのだ。


「……じゃあ……」


 リリスが、絞り出すように言った。

彼女の顔は、蒼白だった。


「じゃあ、私たちは……

心が乏しいから、助かったっていうの……?

なんて、皮肉な話なの……」


 彼女の言葉には、自嘲と、そして人間と魔族のハーフである彼女自身の、どうしようもない悲しみが滲んでいた。


 彼女は、レオを愛することで、彼の封印を解いた。

彼女の中には、確かに人間と同じ「愛情」が存在する。

しかし、種族としての魔族は、そうではない。

その事実が、彼女の心を深く抉っていた。


「べ、別に、そんなことどうだっていいじゃない!

結果的に助かったんだから、それでいいでしょ!

くだらない感傷に浸ってる暇なんてないのよ!」


 リリスは、レオの腕を振り払い、顔をそむけた。

その瞳が潤んでいるのを、レオは見逃さなかった。

彼女は、自身の種族の「欠落」を指摘されたようで、傷ついているのだ。


 レオは、そんな彼女の肩に、そっと手を置いた。


 竜王は、二人の様子を静かに見つめながら、物語の最も悲劇的な部分を語り始めた。


「じゃが、そのことが、さらなる悲劇を生んだ」

 竜王の声が、洞窟の静寂に重く響く。


「10年前、アースガルド大陸で、人間たちの記憶が一斉に書き換えられた。

昨日まで友であった人間が、一夜にして、我々魔族に、理由のない憎悪と殺意を向けてきた。

我々には、何が起きたのか、全く理解できなかった」


 レオは、息を呑んだ。


 そうだ、魔族には、何の前触れもなく、世界が反転したように見えたのだ。


「なぜ、人間たちは我々を憎むのか?

なぜ、彼らは我々を殺そうとするのか?

我らには、その理由が全く分からなかった。

なにせ、我々の心には、彼らが植え付けられた『偽りの記憶』は存在しないのだからな」


 竜王の瞳に、深い悲しみの色が浮かぶ。


「我らは、ただ困惑した。

そして、彼らが一方的に仕掛けてくる攻撃から、身を守るしかなかった。

我々が人間と戦うようになったのは、憎しみからではない。

ただ、生きるために、反撃せざるを得なかったからなのじゃ」


 その言葉は、レオの胸に深く、そして重く突き刺さった。


 彼が勇者育成学校で教えられてきた、魔族の残虐性。

彼らが人間を襲い、世界を混沌に陥れようとしているという、絶対的な「悪」の物語。


 その全てが、偽りだった。


 魔族たちは、ただ、理解不能な攻撃から、自分たちの命を守ろうとしていただけだったのだ。


(そうだったのか……。

凍土の民も、密林の民も、砂漠の民も……

彼らが人間を拒絶し、心を閉ざしていたのは、ただ、生き延びるための、必死の抵抗だったんだ……)


 レオは、これまで出会ってきた魔族たちの顔を、一人一人思い浮かべた。

彼らの寡黙さ、彼らの隔絶、彼らの孤独。

その全てが、この悲劇的な真実によって、一本の線で繋がった。

彼は、魔族たちの行動の理由を、今、心の底から深く理解した。


 それは、あまりにも悲しく、そして、あまりにも理不尽なすれ違いだった。


「我らには、人間の『共感力』がない。

故に、彼らの心がなぜ憎悪に染まったのかを、理解することができなかった。

そして人間は、『共感力』があるが故に、異星人によって与えられた偽りの共感……

すなわち『魔族は悪である』という共通認識に、いとも容易く支配されてしまった」


 竜王は、静かに結論付けた。


「これこそが、奴らの計画の真の恐ろしさよ。

互いの種族が持つ、最も根源的な特性を利用し、互いを理解できぬように仕向け、永遠に続くかのような、憎しみの連鎖を生み出したのじゃ」


 洞窟の中は、再び沈黙に包まれた。

外では、雪が静かに降り続いている。


 レオは、リリスの手を、強く握りしめた。


 彼女の父親、旧世界の王もまた、この絶望的なすれ違いの中で、一人、苦しみ続けていたのだろうか。


「竜王よ……」

 レオは、顔を上げた。


「リリスの父……旧世界の王は、人間だったと聞いている。

ならば、彼の記憶もまた、書き換えられていたはずだ。

彼は、どうやって真実に気づき、そして、なぜ魔族を率いることになったんだ?」


 その問いに、竜王は、深く、そして長い溜息をついた。


 彼の瞳には、旧き友への、深い哀れみと、そして敬意の色が浮かんでいた。

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