表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
126/190

第126話:記憶改変計画

 竜王の住処がある山の頂にも、ようやく短い夏が訪れていた。

半年前まで世界を覆っていた雪は解け、岩肌からは生命力あふれる緑の苔や、可憐な高山植物が顔を覗かせている。


 この半年間、レオとリリスは竜王の元で、ただ時を過ごしていたわけではなかった。

レオは、竜王から直接、この星のエーテルの流れを読み解き、自身の覚醒した力を完全に制御するための修練を積んでいた。


 彼の魔法はもはや、かつてのように形をイメージして放つものではなく、世界の呼吸そのものと一体化し、自然の摂理を操るかのような領域に達しつつあった。


 リリスもまた、竜王が持つ膨大な記憶のアーカイブに触れ、父である旧世界の王ですら知り得なかった、この星のさらに深い歴史の闇を探求していた。


「べ、別に貴方が心配だから、強くなるために知識を蓄えてるわけじゃないんだからね!

これは私自身の問題よ!

父様の無念を晴らすのは、娘である私の役目なんだから!」


 そう言って書物に没頭する彼女の横顔は、もはや単なる魔王の娘ではなく、一人の歴史家、そしてレオと共に未来を切り開くパートナーとしての覚悟に満ちていた。


 夏の柔らかな日差しが差し込む洞窟の入り口で、三人は再び炎を囲んでいた。

レオの心には、半年前の竜王の言葉が、今も重く突き刺さっている。


「竜王よ……」

 レオは、静かに口を開いた。


「教えてほしい。

『記憶改変計画』の……その全てを。

奴らはどうやって、人間の『愛情』を『憎悪』へと書き換えたんだ?」


 竜王は、遠い空を見つめていた深い瞳をレオに向け、重々しく語り始めた。

その声は、夏の陽気とは裏腹に、冬の凍土のように冷たく、そして重かった。


「100年以上前の共闘……

あれは、奴ら『星を喰らう者』にとって、屈辱的な敗北じゃった。

奴らは学んだのじゃ。

この星の生命、特に人間と魔族の絆を、力でねじ伏せることはできぬ、と」


 竜王は、石の玉座の肘掛けを、その巨大な爪でなぞった。


「じゃから奴らは、次の一手で、最も狡猾で、最も残虐な策を選んだ。

人間と魔族の絆の源……

すなわち、人間の『共感力』そのものを、内側から破壊する策をな」


 リリスが、息を呑んだ。

「まさか……」


「うむ」

 竜王は頷いた。


「奴らは、10年前、再びこの星に現れた。

じゃが、今度は鉄の船を空に浮かべるような、愚かな真似はしなかった。

奴らは、自らの超技術を使い、この星そのものを、巨大な精神操作装置へと変えたのじゃ」


「星を……装置に?」

 レオには、その言葉の意味がすぐには理解できなかった。


「奴らの技術は、エーテル結晶を媒介とすることで、その真価を発揮する」


 竜王は、洞窟の壁に埋め込まれたエーテル結晶を指さした。


「奴らは、アースガルド大陸の中央山脈に眠る巨大なエーテル鉱脈に干渉し、そこから、人間だけが感知できる特殊なエーテルの波を、大陸全土に放った。

それは、魂に直接作用する、見えざる毒の霧のようなものじゃった」


 その計画は、二段階に分かれていたという。


「第一に、奴らは人間の記憶から、『真実』を消し去った。

100年以上前に、人間と魔族が手を取り合って共に戦ったという、輝かしい共闘の記憶。

そして、魔族が必ずしも悪ではないという、当たり前の事実。

それらを、まるで初めから存在しなかったかのように、綺麗さっぱり消し去ったのじゃ」


 そして、その空白となった記憶の領域に、奴らは、新たな『偽り』を植え付けた。


「第二に、奴らは、消し去った記憶の代わりに、新たな物語を書き込んだ。

『魔王は世界の敵であり、魔族は人間を脅かす邪悪な存在である』という、単純で、しかし、抗いがたいほど強力な物語をな」


「そんな……馬鹿げてるわ!

人間の記憶を、丸ごと書き換えるなんて……!」


 リリスが、蒼白な顔で叫んだ。


「じゃが、奴らはそれをやってのけた。

そして、その計画の最も恐ろしい点は、そこではない」


 竜王の声が、さらに低くなった。


「奴らは、ただ憎しみを植え付けたのではない。

人間の最も美しい感情……

『愛情』や『信頼』、そういった絆の力を根こそぎ吸い上げ、それを燃料として、純粋な『憎悪』へと転じさせたのじゃ」


 その言葉は、レオの心臓を、冷たい手で鷲掴みにするような衝撃を与えた。


「愛情を……憎悪に?」


「そうじゃ」


 竜王は、悲痛な表情で続けた。


「家族を愛する心は、『魔族がその家族を脅かす』という偽りの記憶によって、魔族への憎悪に変わる。

友を信じる心は、『魔族を信じる者は裏切り者だ』という偽りの正義によって、友への不信に変わる。

愛が深ければ深いほど、絆が強ければ強いほど、転化される憎悪もまた、深く、そして強くなる。

これ以上に、残酷な精神操作があるか?」


 レオは、言葉を失った。

全身の血が、逆流するような感覚。

彼の脳裏に、二人の親友の顔が、鮮明に浮かび上がっていた。


 セレーネ……。


 そして、エリック……。


(まさか……)


 竜王は、レオの葛藤を見透かすように、静かに続けた。


「その計画を最も効率的に進めるため、奴らはまず、人間社会の頂点に立つ者たちを操った。

すなわち、五大陸の国王たちじゃ。

彼らの記憶を書き換え、手駒とすることで、国というシステムそのものを、憎悪を増幅させるための装置として利用した。

勇者育成学校の設立も、その一環じゃろうな」


 全てが、繋がった。


 勇者育成学校の歪んだ歴史教育。

国王たちの、魔族に対する異常なまでの敵意。そして、アルスの死……。


 その全ての根源が、今、明らかになった。


 そして、レオの心に、最も深い痛みを伴う真実が、鋭い刃となって突き刺さった。


(セレーネ……)


 彼女の、魔法至上主義。魔法が使えないレオへの、執拗ないじめ。

それは、彼女自身の劣等感もあっただろう。

しかし、その根底には、異星人によって植え付けられた、「魔族(魔力に繋がる力を持たない者)は劣等である」という、歪んだ価値観があったのかもしれない。


 そして、彼女の最期。


「レオ……エリック……私は……信じてた……、

あなたたちを……そして、この世界を……」


 彼女は、偽りの世界を救うために、偽りの正義を信じて、命を落としたのだ。

彼女の純粋な願いも、仲間への愛情も、全てが、異星人の掌の上で弄ばれた結果だった。


「……っ!」


 レオは、胸を締め付けられるような激しい痛みに、思わず呻いた。


(そして……エリック……!)

 親友の顔が、脳裏に焼き付いて離れない。


 エリックの、あの深い共感力。

孤児だった自分を、誰よりも理解し、支えてくれた、彼の優しさ。


 彼が自分に向けてくれた友情。

セレーネに抱いていた、秘めたる愛情。


 それら全てが、あの魔王城で、セレーネの死をきっかけに、自分への、燃え盛るような憎悪へと転化させられたのだ。


(お前の憎しみは、お前自身のものじゃなかったのか……?

俺たちの友情が、セレーネへの想いが……奴らに利用されて、憎しみに変えられただけだったというのか……?

そんな……そんなことが……許されて、いいはずがない!)


「う……あああああああああああっ!」


 レオは、たまらず絶叫した。

それは、彼の魂からの叫びだった。


 親友を失い、親友に裏切られた悲しみではない。


 親友の、その美しい心そのものを、汚され、利用されたことへの、どうしようもない怒りと、絶望。


 彼の目から、熱い涙が止めどなく溢れ落ちた。


「レオ……!」

 リリスが、彼の隣に駆け寄り、その震える体を強く抱きしめた。


「……最低よ。

人間の心を弄んで……そんなやり方、絶対に許せないわ!

貴方がしっかりしないなら、私が先に奴らを叩き潰してやるんだから!」


 彼女の声は震えていたが、その瞳には、レオを支えようとする、強い意志の光が宿っていた。

彼女の温もりが、レオの凍てついた心を、わずかに溶かしていく。


 レオは、リリスの腕の中で、嗚咽を漏らし続けた。


 しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻したレオの顔に、新たな疑問が浮かんだ。


 その疑問は、隣にいるリリスもまた、同時に抱いていたものだった。


「でも、おかしいじゃない!」

 リリスが、竜王に向かって鋭い視線を向けた。


「なんで、人間だけなのよ?

私たち魔族には、その記憶改変とやらは効かなかったっていうの?

私の父様は人間だったから操られた……?

じゃあ、純粋な魔族は、なぜ……?」


 その問いこそが、この悲劇の、もう一つの側面を解き明かす鍵だった。


 竜王は、二人の問いに、深く、そしてどこか悲しげな表情で、静かに頷いた。


「その問いこそが、この悲劇の根源であり……

そして、魔族という種の、どうしようもない(さが)でもあるのじゃよ……」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ