第124話:エーテル結晶
竜王の洞窟には、石の玉座から発せられる重い沈黙だけが満ちていた。
「もっと、遥か昔……
黎明の時代から、奴らは干渉を続けておった」
その言葉は、レオとリリスが半年近くかけてようやく掴んだ真実の糸を、さらに深く、そして広大な歴史の闇へと引きずり込んでいくようだった。
レオの心の中では、衝撃と混乱が渦巻いていた。
(遥か昔からだと……?
10年前の『空白の10年間』だけではなかったのか?
俺たちが勇者育成学校で教え込まれた歴史は、一体どこからどこまでが偽りなんだ……?)
これまで信じてきた世界の形が、足元から崩れ落ちていくような感覚。
そのめまいに、レオはぐっと奥歯を噛み締めた。
「じょ、冗談でしょ!」
沈黙を破ったのは、リリスの甲高い声だった。
彼女の顔からは血の気が引き、その瞳は信じがたいという思いと、隠しきれない恐怖に揺れていた。
「黎明の時代からだなんて……!
そんな大昔からだっていうなら、どうして今まで放っておいたのよ!
あんたたち竜の一族は、ただ見てるだけだったって言うの!?」
それは、いつもの彼女らしい、恐怖を怒りで覆い隠すような物言いだった。
だが、その声の震えは、彼女の内心の動揺を物語っていた。
父である旧世界の王ですら掴みきれなかった陰謀が、想像を絶するほどの時間、この星に根を張っていたという事実に、彼女は戦慄していたのだ。
竜王は、リリスの激情を、まるで嵐の前の静けさのように、穏やかな瞳で受け止めた。
「フ……。
旧き友の娘よ、お主の気性の荒さは父親譲りよな。
じゃが、ワシらがただ手をこまねいていたわけではない」
竜王は、ゆっくりと玉座から立ち上がった。
その巨体が動くと、洞窟内の空気が重く震える。
「奴らの干渉は、実に巧妙で、そして辛抱強いものじゃった。
まるで、畑を耕す農夫のようにな。
種を蒔き、雑草を抜き、作物が実るのを、ただ静かに、何世代にもわたって待ち続けておったのじゃ」
「作物……?」
レオが、思わず問い返した。
竜王の深い瞳が、レオを射抜く。
「そうじゃ。
奴らにとって、この星そのものが、収穫を待つ、豊かな畑に過ぎん。
そして、その畑で最も価値のある作物こそ……」
竜王は、一度言葉を切り、洞窟の壁を指さした。
その壁には、鉱脈のように、淡い光を放つ結晶がいくつも埋め込まれている。
レオたちがアースガルド大陸で幾度となく目にしてきた、あの物質だった。
「この星に、無尽蔵に眠る『エーテル結晶』じゃよ」
その言葉に、レオとリリスは息を呑んだ。
エーテル結晶。
確かに、この星の文明は、その恩恵を受けて発展してきた。
人間社会では超技術の源となり、一部の権力者が富を独占するための資源でもあった。
「奴ら『星を喰らう者』にとって、エーテル結晶は、ワシらが水や食料を求めるのと同じ。
自らの文明を維持し、星々を渡るための、強力無比なエネルギー源なのじゃ」
竜王の言葉は、これまで断片的だった謎のピースを、一つの悍ましい目的へと繋げていった。
(エネルギー源……。
だから、奴らはこの星に執着するのか……)
レオの脳裏に、これまでの旅の光景が蘇る。
西部砂漠に露出していたエーテル結晶の岩場。
中央山脈に眠るとされる豊富な埋蔵量 。
そして、その全てを支配下に置こうとしている、アースガルド大陸の国王たち。
その時、レオは、さらに根源的な恐怖に気づいた。
(待て……。
エーテル結晶は、ただの資源じゃない。
空気中に遍在する『エーテル』は、俺たち魔族にとっては、魔法の源そのものだ 。
もし、奴らがこの星のエーテル結晶を全て採取し、エネルギーとして奪い去ったら……?
俺たちの魔法は、俺たちの力は、一体どうなってしまうんだ……?)
それは、魔族という種の存続そのものを脅かす、致命的な危険性だった。
レオの背筋を、冷たい汗が伝った。
「では……
10年前にアースガルド大陸で始まった『記憶改変計画』は……」
レオが、震える声で尋ねた。
「うむ」
竜王は、重々しく頷いた。
「奴らの長きにわたる観察の結果、アースガルド大陸こそが、この星で最も質が良く、そして膨大な量のエーテル結晶が眠る地であると結論付けたのじゃろう。
特に、人間が『魔の山』と呼んで恐れる、中央山脈がな」
竜王は、再び玉座に腰を下ろし、その巨大な腕を組んだ。
「じゃが、そこは、多くの魔族が住まう土地。
力ずくで奪おうとすれば、大きな抵抗にあう。
そこで奴らは、最も効率的で、そして最も残虐な方法を選んだ。
すなわち、この星の住人同士を争わせ、互いに消耗させることじゃ。
そのために、共感力が高く、精神操作に弱い人間を利用し、『魔族=悪』という偽りの記憶を植え付けた。
全ては、アースガルド大陸を完全に支配し、エーテル結晶を滞りなく採取するため……
それが、奴らの野望の正体じゃよ」
あまりにも巨大で、あまりにも身勝手な目的。
レオとリリスは、言葉を失い、ただ立ち尽くすしかなかった。
セレーネの死も、エリックの憎悪も、全てはこの異星人たちの壮大な収穫計画のための、小さな布石に過ぎなかったのだ。
「……ふざけないで」
リリスが、絞り出すように呟いた。
彼女の拳は、白くなるほど強く握り締められている。
「そんな理由のために……
父様は追われ、多くの同胞が殺され、貴方は……!
そんなこと、絶対に許せるはずがないわ!」
彼女の瞳には、憎悪と、そして深い悲しみの炎が燃え盛っていた。
レオもまた、同じ思いだった。
彼の心には、国王たちへの怒り、そして、その裏で糸を引いていた異星人への、燃え盛るような闘志が湧き上がっていた。
「竜王よ……。
あなたは、なぜそこまで詳しく奴らのことを知っているんだ?
そして、なぜ、今まで……」
レオは、核心に迫る問いを投げかけた。
竜王は、その問いを待っていたかのように、静かに目を閉じた。
洞窟の中の空気が、再び張り詰める。
「……奴らの計画が本格化したのは、ここ10年のことじゃ。
それ以前にも一度、奴らはこの星を力ずくで奪おうとしたことがあった。
じゃが、その時は失敗した……。
実に、100年以上も前の話になるがな」
その言葉に、レオとリリスは顔を見合わせた。
100年以上前。
そんな大昔に、すでに異星人との戦いがあったというのか。
「なぜ、失敗したんだ?」
レオが、前のめりになって尋ねた。
竜王は、ゆっくりと目を開いた。
その深い瞳は、レオと、そしてリリスの姿を、まるで何かを確かめるように、じっと見つめていた。
「なぜ、奴らが失敗したか……。
それは、今の世界では、誰も信じられぬようなことが、起きたからじゃ」
竜王の声には、どこか懐かしむような、そして誇らしいような響きが込められていた。
「……人間と魔族が、手を取り合って、奴らに立ち向かったのじゃよ」
その一言は、洞窟の静寂の中に、雷鳴のように響き渡った。
人間と、魔族が、共に戦った。
レオとリリスは、その信じがたい過去の真実に、ただ、愕然とするしかなかった。
彼らの旅は、今、偽りの歴史のさらに奥深く、忘れ去られた希望の記憶へと、その扉を開こうとしていた。