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第120話:砂漠に咲く花

 灼熱の太陽が砂の海に沈み、空が燃えるような茜色から深い藍色へと移ろう中、レオとリリスは、風化した石碑の前にただ立ち尽くしていた。


 長老が語った、あまりにも絶望的な裏切りの歴史。

「共感」という概念そのものを否定され、孤独こそが唯一の生存戦略だと結論付けた、砂漠の魔族たち。


 レオが掲げる理想は、ここで完全にその行く手を阻まれたかに思えた。


 長老は、あの日以来、二度と口を開くことはなかった。

彼は、まるで悠久の時を生きる石像のように、ただ遺跡に佇み、遠い地平線を見つめるだけ。


 他の魔族たちもまた、これまでと何ら変わらず、互いに干渉することなく、砂の海に点在する孤独な点として日々を過ごしていた。


 レオとリリスは、彼らのテリトリーを侵さぬよう、遺跡から少し離れた岩陰に、ささやかな野営地を構えることを黙認された。


 それは、凍土の民が見せたような警戒とも、密林の民が示したような隔絶とも違う、ただ「そこに在るもの」として、風景の一部のように扱われているに過ぎなかった。


 時は流れ、砂漠に短くも厳しい冬が訪れていた。


 半年というこの月日は、この乾いた大地に、ほとんど変化をもたらさなかった。

しかし、レオとリリス、そして彼らを見つめる砂漠の魔族たちの間には、目には見えない、しかし確かな変化の兆しが生まれ始めていた。


 レオは、あの日以来、彼らに言葉で何かを伝えようとすることをやめた。


 彼の信じる「共感の力」は、ここでは言葉として発した瞬間に、かつての人間たちと同じ「価値観の押し付け」になってしまうことを、痛いほど理解したからだ。


 代わりに、彼は行動で示した。

それは、凍土の民の集落で氷を砕いたような、直接的な手助けではない。

密林で枯れた蔦を蘇らせたような、生命への干渉でもない。

彼の行動は、ただひたすらに「寄り添う」ことだった。


 日の出と共に起き、陽が沈むまで、レオは彼らの生活圏から少し離れた砂の上で、黙々と剣と魔法の修練に打ち込んだ。

魔法で水から組成した氷の刃は風を切り、砂を舞い上げる剣筋は、誰に見せるためでもない、彼自身の内面との対話だった。

夜になれば、極寒の中で静かに瞑想し、この大地が持つ巨大な孤独と向き合った。


 彼は、砂漠の魔族たちの「孤独」を邪魔しなかった。


 彼らの「干渉しない」というルールを、自らも受け入れ、実践した。

ただ、同じ砂漠で、同じ太陽に焼かれ、同じ夜の寒さに耐え、同じ渇きに苦しむ。

レオは、彼らと同じ痛みを分かち合うことで、彼らの孤独を、その外側から静かに見守り続けたのだ。


「……まったく、いつまでそんな無駄なことを続ける気なのよ」


 リリスは、岩陰で火の番をしながら、呆れたようにレオに言った。

彼女の白い頬は、砂漠の厳しい環境にもかかわらず、手入れが行き届いている。


「剣を振り回したって、瞑想したって、あの石頭たちが心を開くわけないじゃない!

半年も経ったのよ!?

さっさと次の場所に行くべきだわ!

時間の無駄よ!」


 彼女はそう言って、ぷいと顔をそむける。

しかし、その瞳は、修練に打ち込むレオの背中を、心配そうに見つめていた。

彼が砂漠の熱で倒れないか、夜の寒さで体調を崩さないか、リリスは誰よりも気を配っていた。


「別に、こいつらのためにやってるんじゃないわよ!

私の知的好奇心を満たすため!

古代の歴史を解き明かすのは、魔王の娘としての嗜みなの!」


 リリスは、誰に言うでもなくそう呟きながら、ここ数ヶ月、日課のように取り組んでいる作業に没頭した。

それは、長老がいた遺跡の巨大な石碑に刻まれた、風化した古代文字の解読だった。


 彼女は、父である旧世界の王が遺したわずかな知識と、魔族としての鋭い直感を頼りに、一つ一つの文字の意味を丹念に探っていた。

それは、気の遠くなるような作業だったが、彼女の表情は真剣そのものだった。


 彼女は、この砂漠の魔族たちが持つ、あまりにも悲しい歴史の根源を、彼らの言葉ではなく、彼らが遺した石碑から理解しようとしていたのだ。


 彼女のその真摯な姿を、遺跡に佇む長老が、時折、虚ろな瞳で静かに見つめていることに、リリス自身は気づいていなかった。


 レオたちの静かな日々は、ある日、唐突に破られた。


 空の色が、不気味な黄色に変わった。

地平線の彼方から、巨大な砂の壁が、唸りを上げて迫ってくる。


 大規模な砂嵐だ。


「まずいわ、レオ!

あれに巻き込まれたら、ひとたまりもないわよ!」


 リリスが叫び、二人は急いで岩陰に身を隠した。


 砂漠の魔族たちも、いち早く異変を察知し、慣れた様子で砂の中に体を埋めたり、岩の裂け目に身を潜めたりして、嵐が過ぎ去るのを待っていた。


 しかし、その時、レオは見た。


 集落から少し離れた場所で、まだ幼い一人の魔族の子が、砂嵐に気づくのが遅れ、逃げ惑っている姿を。

その子は、風に煽られ、足を取られて転んでしまった。

巨大な砂の壁が、刻一刻と、その小さな体に迫っていた。


 他の魔族たちは、自分の身を守るのに精一杯で、その子に気づいていない。

いや、気づいていても、「干渉しない」という彼らの掟が、その足を縛り付けていた。


「……っ!」

 レオは、逡巡しなかった。


 彼が岩陰から飛び出すのを、リリスが腕を掴んで止めようとする。


「馬鹿!

何を考えてるの!

今行ったら、貴方まで死ぬわよ!」


「それでも、見捨てることはできない!」


 レオは、リリスの手を振り払い、猛烈な風と砂の中へと飛び込んでいった。


 彼の行動は、無謀に見えた。

 しかし、この半年間の修練と観察は、無駄ではなかった。


 レオは、砂漠の風の流れ、砂丘の地形を、完全に把握していた。

彼は、風の力を利用し、砂の上を滑るように駆け抜ける。それは、力ずくで嵐に抗うのではなく、自然の力を受け流し、一体化するような動きだった。


 彼は、子供の元へ辿り着くと、その小さな体を力強く抱きかかえた。


「大丈夫だ。

もう怖くない」


 レオの言葉は、嵐の轟音にかき消されそうになったが、その腕の温かさは、確かに子供に伝わった。


 その頃、リリスもまた、行動を起こしていた。


 彼女は、石碑に刻まれた古代文字の解読の過程で、この遺跡の構造について、ある事実に気づいていた。


「こっちよ!

早くしなさい、この木偶の坊ども!」


 リリスは、砂の中に身を潜める魔族たちに向かって叫んだ。


「この石碑の下には、空洞があるわ!

昔の連中が、砂嵐を避けるために作った避難場所よ!

ぐずぐずしてたら、生き埋めになるわよ!」


 彼女は、石碑の根元にある、砂に埋もれた巨大な石の扉を指さした。


 魔族たちは、リリスの言葉に驚き、戸惑いを見せた。

彼らは、この遺跡に長年暮らしながら、その秘密を知らなかったのだ。


 リリスは、自身の魔力を解放し、砂を吹き飛ばして石の扉をこじ開けた。


「ほら、早く入りなさい!」


 彼女の必死の形相と、その言葉に込められた力に、魔族たちは、ようやく重い腰を上げた。

彼らは、次々と遺跡の地下に広がる、空洞へと避難していく。


 その光景を、砂の中から見ていた長老の瞳が、わずかに見開かれた。


 レオもまた、子供を抱えたまま、間一髪でその避難場所へと滑り込んだ。


 砂嵐は、数時間にわたって吹き荒れた。


 地下の空洞には、静かな沈黙が流れていた。

レオが助けた子供は、彼の腕の中で、すっかり安心したように眠っている。

他の魔族たちは、レオとリリスの姿を、これまでとは全く違う、複雑な感情の入り混じった瞳で見つめていた。


 やがて、嵐が過ぎ去り、地上に静寂が戻った。


 魔族たちは、一人、また一人と、地上へと戻っていく。

その誰もが、レオとリリスの前を通り過ぎる時、わずかに足を止め、会釈のような、あるいは感謝を示すような、不器用な仕草を見せた。


 最後に、長老がレオたちの前に立った。


 彼は、眠る子供の頭を、皺だらけの手でそっと撫でた。

そして、レオの顔を真っ直ぐに見つめた。


「……お前たちの言う『共感』とは……

こういうことなのかもしれんな」


 長老の声は、かすれていたが、その響きには、半年間、彼らの心を覆っていた氷が、確かに溶け始めた温かさが含まれていた。


「人間は、我々の心を理解しようとせず、ただ自分たちの『正義』を押し付けた。

だが、お前たちは、我々の孤独を尊重し、その上で、我々を救った」


 長老は、ゆっくりと踵を返し、自身の住処である、遺跡の奥深くへと歩き出した。

そして、一度だけ振り返り、レオとリリスに言った。


「……ついてまいれ。

お前たちになら、話しても良いかもしれん。

我々の一族に、遥か昔から伝わる……この星の『始まり』と、『大いなる欺瞞』についての、古き物語を」


 その言葉は、レオとリリスにとって、砂漠に咲いた、一輪の花のように、確かな希望の光を放っていた。


 彼らの旅は、今、新たな真実への扉を開こうとしていた。

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