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第112話:新しい土地

 レオとリリスの旅は、魔王城から離れるにつれて、その様相を大きく変えていった。


 広々とした平原は次第に起伏に富んだ丘陵地帯へと変わり、遠くに見えていたモルグ・アイン山脈の山々は、彼らの目前に立ちはだかる巨大な壁のように迫っていた。

まだ春だというのに、山からの風は肌を刺すように冷たく、空気は澄み切っていた。


 数日間にわたる歩行で、彼らは人里どころか、魔獣の気配すら稀な、真の荒野を進んでいた。

リリスは、リュックの肩紐を掴み直し、ため息をついた。


 「まったく、いつになったら着くのかしらね、北部凍土とやらには。

こんな場所、地図にだって碌に載ってないじゃない」


 彼女はそう言いながらも、足元はしっかりと地を踏みしめ、その歩調は乱れることがなかった。

さすがは魔王の娘、その体力と精神力は並々ならぬものがある。


 レオは、リルが胸元で眠っているのを確認し、リリスの言葉に答えた。


 「モルグ・アイン山脈に入ってから、道はさらに険しくなるだろう。

人間の侵入を阻む、自然の要塞だ」


 彼らは、旅の序盤、魔王城周辺の比較的安全な道を避けて、より人間に発見されにくい、険しい山道を選んでいた。

それは、新魔王の秘密が外部に漏れることを防ぐためでもあったが、何よりも、人間との不必要な接触を避けるための、リリスの明確な指示だった。


 「そんなこと、言われなくたって分かってるわよ。

だから私がいるんでしょう?

貴方一人じゃ、確実に遭難して、凍死するのがオチなんだから」


 リリスは、ぷいと顔をそむけたが、レオの安全を気遣う気持ちが透けて見えた。

彼女は、レオよりも一歩先を歩き、周囲の気配に常に注意を払っていた。


 その日の午後、彼らが山間の細い道を抜けると、目の前に、わずかに開けた谷間が広がった。

谷の奥には、低い木々と、ところどころに雪を残した岩肌が広がり、その中央に、簡素な、しかし確かな生活の痕跡が見て取れた。


 それは、小さな魔族の集落だった。

 粗削りの石と枯れ木を組み合わせた住居が数軒、寄り添うように建ち、中央では細い煙が立ち上っている。

遠目には、数体の小さな魔族たちが、忙しなく動き回る姿が見えた。


 レオは、足を止めた。

 「魔族の集落だ……」


 彼の声には、期待と、そして、かすかな緊張が混じっていた。


 リリスもまた、警戒心に満ちた目で集落を見つめていた。


 「こんな山奥に……

本当にいるのね、人間を嫌う閉鎖的な部族が。

まったく、面倒なことになりそうだわ」


 彼女の言葉とは裏腹に、その瞳の奥には、故郷を離れ、懸命に生きる同胞への、複雑な感情が揺れていた。


 集落の魔族たちは、彼らの接近にすぐに気づいたようだった。

小さな魔族たちが、一斉に動きを止め、その場で固まった。


 やがて、一番大きな住居から、角の生えた、屈強な体つきの魔族が姿を現した。彼は、警戒に満ちた眼差しでレオとリリスを睨みつけ、低く唸り声をあげた。

その声は、周囲の魔族たちにも伝播し、彼らはまるで壁のように、集落の入り口を塞ぐように立ち並んだ。


 彼らの姿は、魔王城の魔族たちとは異なっていた。

毛皮をまとい、顔には部族特有の文様が描かれている。

言葉は、レオには理解できない、唸るような独特の響きを持っていた。


 「警戒しているようね。当然だわ。

見慣れない、しかも人間を連れた魔族なんて、誰だって信用しないもの」

 リリスが、レオの隣で冷静に分析した。


 「私が話をつけてくるわ。

貴方はそこで大人しくしていなさい。

余計なことをして、事態を悪化させたら承知しないからね」


 そう言って、リリスはレオの制止も聞かず、一歩前に踏み出した。


 「ウォォーー!」

 その時、集落の奥から、一人の若い魔族が飛び出してきた。彼の片腕は、不自然に萎び、顔には深い傷跡が残っていた。

その瞳は、レオに向けられ、激しい憎悪に燃え上がっていた。


 彼は、言葉にならない叫び声をあげながら、レオに向かって、剥き出しの爪を突き出した。


 リリスが、素早くその間に割って入った。

 「何をするの! 落ち着きなさい!」


 リリスは、若い魔族が話す部族の言葉を理解できたようだ。

彼女は、彼を制しながら、周囲の魔族たちにも、何かを語りかけている。しかし、若い魔族の怒りは収まらず、その全身から、明らかな殺気が放たれていた。


 「……キサマ、アタラシイ『ユウシャ』カ!

ワレラ、ムラ、アネヲ、ウバッタ……!」

 若い魔族の声が、怒りと悲しみで震えていた。


 レオは、その言葉の一部を聞き取り、驚きに目を見開いた。

 (勇者……?

まさか、この部族は、過去の人間との争いで、大きな被害を受けているのか?)


 その時、彼の脳裏に、かつての記憶が蘇った。

モルグ・アイン山脈で、エリックやアルスと共に遭遇した魔族の集落。

言葉が通じない故の誤解が生み出した、悲劇的な戦闘……。

 (まさか……あの時の魔族たちの子孫か?

だとしたら、俺は……)


 レオの心臓が、ドクンと音を立てた。

かつて自分が勇者として行った行為が、今、目の前の魔族の悲劇と結びついている可能性に、彼は深い罪悪感を覚えた。


 リリスが、若い魔族を必死に宥めている。

 「違うわ!

この男は、貴方たちが考えているような人間じゃない!

彼は、私たちと同じ……

いや、それ以上の存在よ!」


 リリスは、自身の魔力を微かに解放し、その威厳をもって若い魔族を落ち着かせようとした。


 しかし、若い魔族の瞳には、過去の悲劇が鮮明に焼き付いているようだった。

 「ダマレ! オマエ、、ニンゲン、ナレアウカ!

ワレワレ、ニンゲン、シンジナイ! ニンゲン、、、スベテ…ウバッタ……!」

 彼の言葉に、周囲の魔族たちも、再び警戒と憎悪の唸り声をあげた。


 レオは、一歩前に踏み出した。

 「待ってくれ、リリス。

彼に話させてほしい」


 彼は、両手を広げ、敵意がないことを示そうとした。

そして、ゆっくりと、彼の知る魔族の言葉で、語り始めた。

それは、魔王城の魔族たちとの交流で学んだ、拙い言葉だったが、その心は真っ直ぐに伝わるように、全ての感情を込めた。


 「俺は、勇者ではない。

確かに、人間だが……

私は、人間と魔族が共に生きる世界を創りたい。

そのために、旅をしている」


 若い魔族は、レオの言葉を理解できないようだったが、その声に込められた真摯な響きと、その眼差しに、一瞬、動きを止めた。


 リリスが、レオの言葉を、部族の言葉に翻訳して伝えた。

 「この男は、もう勇者じゃない。

新たな魔王として、貴方たちを導き、人間との争いを終わらせると言っているのよ!」


 彼女の言葉に、周囲の魔族たちがざわめいた。

「魔王」という言葉に、彼らは畏敬と、そしてかすかな希望の光を見たようだった。


 しかし、若い魔族の憎しみは、そう簡単に消えるものではなかった。


 彼は、萎びた腕をレオに突きつけ、震える声で語り始めた。

 「オレノアネ……ニンゲンユウシャ…ニ…コロサレタ。オレモ、ウデ、ナクナッタ、、。

オレタチ、ムラ、マモロウトシタ…。モリ、マヨッタ、ニンゲンタチ、タスケヨウト…シタダケ……!」


 その言葉を聞き、レオの心は、激しく揺さぶられた。

 (やはり……あの時の……

俺たちが殺したのは、村人を助けようとしていた魔族だったのか……)


 彼の目に、あの日の惨状が鮮明に蘇った。

村人たちの悲鳴、魔族たちの唸り声、そして、自分たちが振り下ろした剣の冷たい感触。


 リリスもまた、その若い魔族の悲痛な叫びに、顔を歪めた。

彼女も、魔王の娘として、人間との争いの歴史の中で、多くの同胞が犠牲になってきたことを知っていた。


 レオは、静かに、しかし決然とした声で、若い魔族に語りかけた。


 「その悲劇は、俺たちの誤解によって起きた。

俺は、その罪を償いたい。

そして、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓う」


 彼の言葉は、震えていたが、その瞳は、真摯な光を宿していた。

 「俺は、お前たちと同じ魔族になった。

そして、人間と魔族が互いを理解し、手を取り合える世界を創るために、魔王となったんだ」


 リリスは、レオの言葉を、感情を込めて部族の言葉に翻訳した。彼女の翻訳は、言葉の壁を越え、レオの心からの願いを、魔族たちに伝えた。


 若い魔族は、レオの言葉と、リリスの真剣な表情を見て、徐々に落ち着きを取り戻していった。


 彼の瞳から、憎悪の炎が、わずかに揺らぎ始めた。


 周囲の魔族たちも、その若い魔族の反応を見て、静かに見守っていた。

彼らの心にも、長年の人間への憎悪と、レオの言葉への希望が、複雑に絡み合っていた。


 「シンジ、ラレル……モノカ…」

 若い魔族は、まだ疑念を捨てきれないようだったが、その声には、以前のような激しい怒りはなかった。


 レオは、ゆっくりと一歩踏み出し、その若い魔族の前に立った。

 「信じてほしい。この痛みも、悲しみも、俺は決して忘れない。

だからこそ、俺は新しい魔王として、この旅に出たんだ」


 彼の言葉は、まるでかつての自分自身に語りかけるようだった。


 その瞬間、彼の胸元で眠っていたリルが、小さく身じろぎ、薄く目を開けた。

そして、小さく光り輝くと、その光は、若い魔族の萎びた腕を、優しく包み込んだ。


 奇跡が起こったわけではない。

しかし、リルの温かい光は、彼の心の傷に、かすかな癒しを与えたかのようだった。


 「……」

 若い魔族は、リルを見つめ、そしてレオの顔を見た。

彼の瞳から、一筋の涙が溢れ落ちた。

それは、長年抱えてきた憎しみと悲しみが、ようやく少しだけ溶け始めた、癒しの涙だった。


 彼の周りにいた他の魔族たちも、その光景を見て、静かに、しかし温かい唸り声をあげ始めた。


 最初の出会いは、警戒と憎悪に満ちたものだったが、レオとリリスの真摯な態度、そしてリルのかすかな光によって、その壁は少しずつ、崩れ始めていた。


 北部凍土への道のりは、まだ遠い。

しかし、彼らは、魔族社会の多様性を肌で感じ、そして、和解への第一歩を踏み出したのだった。

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