第105話:新たなる希望
玉座の間には、奇妙な静寂が訪れていた。
レオの体から放たれたまばゆい光は、徐々に収まり、その場にいる全ての魔族たちは、その圧倒的な存在感に息をのんでいた。
彼らの瞳は、もはや怒りや憎悪ではなく、純粋な畏怖と、そして困惑に満ちている。
しかし、一部の魔族がそれでもレオに攻撃を仕掛けようと近づき始めた。
その時、玉座の間の片隅で、微かな呻き声が響いた。
血だまりの中に倒れていた、魔王の親衛隊の一人、ゴルザだ。
彼は、瀕死の重傷を負い、虫の息だったが、レオと魔王の最後の対話、そしてレオの覚醒の全てを、意識朦朧としながらも間近で見ていた。
ゴルザは、最後の力を振り絞り、震える手で地面を叩き、上半身を起こそうとした。
「……待て……っ……」
ゴルザのか細い声が、静まり返った玉座の間に響き渡った。
魔族たちの視線が、一斉にゴルザに集まる。
親衛隊の仲間たちが、彼のもとに駆け寄ろうとした。
しかし、ゴルザは、それを制するかのように、レオに視線を向けた。
「……彼奴は……
敵では……ない……」
ゴルザの声は、掠れていたが、その言葉は、玉座の間全体に、明確に響き渡った。
魔族たちは、その言葉に、さらなる困惑の表情を浮かべた。
敵ではない?
では、魔王様を倒したのは誰なのか?
なぜ、目の前の人間は、魔王の亡骸の傍らに立っているのか?
ゴルザは、血の混じった唾を吐き出しながら、レオを指差した。
彼の瞳は、薄れゆく意識の中でも、真実を伝えようとする強い光を宿していた。
「……我は……
見た……」
ゴルザは、苦痛に歪んだ顔で、喘ぐように語り始めた。
彼の言葉は、まるで千切れるような糸で紡がれるかのようだったが、その一言一句が、魔族たちの心に重く響いた。
「……勇者の……攻撃を……
魔王様は……受けた……」
「……だが……
彼は……この人間は……」
ゴルザは、レオを指差す指を、さらに震わせた。
彼の言葉は、玉座の間を埋め尽くす魔族たちの間に、激しい動揺をもたらした。
彼らは、自分たちが信じていた「真実」が、揺らぎ始めているのを感じていた。
「……魔王様を……
助けたのだ……」
その言葉が、玉座の間全体に、雷鳴のように響き渡った。
魔族たちは、凍りついたように動きを止めた。
勇者が、魔王を助けた?
そんなことがあり得るのか?
ゴルザは、レオが魔王に最終的な攻撃を加えることなく、むしろ、魔王の言葉に耳を傾け、その真実を受け入れた姿を、その目に焼き付けていたのだ。
彼にとって、それは、レオが魔王を「助けた」行為に他ならなかった。
魔王の命を奪うことだけが目的の「勇者」とは、全く異なる行動だったからだ。
「……そして……
あの光……」
ゴルザは、レオを包み込んだまばゆい光を思い出し、その表情に、畏怖の念を深く刻んだ。
彼の言葉は、レオの覚醒した姿と、彼の行動が持つ意味を、魔族たちに明確に示した。
魔族たちは、ゴルザの言葉に耳を傾けながら、レオの覚醒した姿を改めて見つめた。
彼の全身から発せられる強靭な魔力の波動と、圧倒的な存在感。
そして、その瞳に宿る、理解と共存への強い願い。
魔族たちの顔に、困惑の色が広がる。
彼らが信じてきた「人間は敵」という教えと、目の前の現実が、あまりにもかけ離れていたからだ。
しかし、ゴルザの言葉は、彼らの心に、微かな亀裂を生み出した。
その時、リリスが、一歩前に進み出た。
彼女は、レオの隣に立ち、魔族たちを見渡した。
彼女の瞳には、レオへの揺るぎない信頼と、そして、魔王の娘としての、毅然とした決意が宿っていた。
「ゴルザの言う通りだ」
リリスの声は、玉座の間に響き渡り、魔族たちの耳に届いた。
彼女の言葉は、ゴルザの証言に、確かな重みを与えた。
魔族たちは、リリスがレオを庇う理由が理解できなかったが、彼女が、魔王の娘であることは知っていた。
「レオは……
魔王様の……遺志を継ぐ者……」
リリスの言葉は、魔族たちに、さらなる衝撃を与えた。
魔王の遺志。
それは、彼らにとって、最も重い言葉だった。
彼らは、互いに顔を見合わせ、言葉を失っていた。
覚醒したレオの姿。
瀕死のゴルザの証言。
そして、魔王の娘であるリリスの言葉。
その全てが、魔族たちの心を揺さぶり、彼らの感情を、混乱から徐々に変化させていった。
彼らの手に握られていた武器は、すでに地面に落ちていた。
彼らの瞳から、憎悪の炎は完全に消え去り、代わりに、レオへの警戒と、そして、新たな希望への期待が入り混じった感情が浮かび上がっていた。
親衛隊の隊長が、ゆっくりとレオに視線を向けた。
彼の顔には、もはや敵意はなかった。
あるのは、未だ拭いきれない困惑と、そして、目の前の「勇者」が、彼らが知る「勇者」とは異なる存在であるという、確かな認識だった。
レオは、静かに剣を鞘に収め、魔族たちを見つめた。
彼の視線には、彼らへの理解と、共存への強い願いが込められていた。
魔族たちは、レオのその視線に、戸惑いながらも、少しずつ、心を許していく。
彼らは、魔王の死によって失われた希望を、レオの覚醒した姿と、その言葉、そして行動の中に、見出し始めていたのだ。
玉座の間には、ようやく真の静寂が訪れた。
それは、戦いの終わりではなく、新たな時代の幕開けを告げる、静かで、しかし確かな希望に満ちた静寂だった。
魔族たちは、レオの覚醒と、その真の姿を受け入れ、彼への信頼を築き始めていた。
人間と魔族が手を取り合う世界を創るという、魔王の遺志。
その壮大な使命が、今、レオの肩に、確かに託されたのだ。
彼の本当の戦いは、ここから始まる。
魔王城に集まった魔族たちは、この新たな希望の光景を、決して忘れないだろう。