第103話:再会
玉座の間は、一瞬にして混沌とした戦場と化していた。
レオは、怒りに燃える魔王の親衛隊や魔族たちの猛攻を、紙一重でかわし続けていた。
彼の剣は、相手を傷つけることなく、攻撃を払い、受け流すことに徹している。
彼の心は、決して焦ってはいなかった。
この混乱をどう鎮め、どうすれば彼らに真実を伝えることができるのか。
彼の頭脳は、高速で回転していた。
「そこをどけ、人間!」
「魔王様の仇だ!」
怒号が飛び交い、魔力の光がレオの周囲を閃光のように駆け抜ける。
疲弊しきった魔族たちの攻撃は、その怒りによって、普段以上の鋭さを帯びていた。
レオは、ひたすら防戦に徹しながら、彼らの攻撃の隙間を縫って、言葉を届けようと試みる。
「頼む!
話を聞いてくれ!
俺は……!」
しかし、彼の声は、魔族たちの咆哮にかき消された。
彼らの耳には、憎むべき人間の言葉など、届きはしなかった。
親衛隊の一人が、巨大な斧を振り上げ、レオの頭上めがけて振り下ろした。
その一撃は、大地を砕くほどの威力を持っていた。
レオは、寸前で身をかがめ、斧が彼の頬をかすめる。冷たい風が、肌を撫でるように通り過ぎた。
その時、玉座の間の扉が、再び勢いよく開け放たれた。
「レオ!」
切羽詰まった声が、戦場の喧騒を切り裂くように響いた。
その声の主は、リリスだった。
彼女は、血だらけの廊下を駆け抜け、息を切らしながら玉座の間に飛び込んできた。
リリスの瞳は、激しい動揺と、そして安堵の色に揺れていた。
彼女の視線は、真っ直ぐにレオを捉えた。
彼が無事であること。
その事実を、リリスは全身で確認した。
「リリス!?」
レオは、驚きと安堵が入り混じった声で、彼女の名を呼んだ。
彼の心の中で、安堵の波が広がった。
彼女が来てくれた。
それだけで、彼の心は大きく揺さぶられた。
リリスは、レオの無事を確認すると、その顔に、一瞬、安堵の表情を見せた。
しかし、彼女の視線は、すぐに玉座の間の現状に向けられた。
血まみれの床に横たわる魔王の亡骸。
そして、怒りに燃え、レオを取り囲む親衛隊の魔族たち。
彼女は、魔王が息絶えていることを瞬時に理解した。
そして、その状況が、レオにとってどれほど危険であるかも。
彼女は、一瞬の躊躇もなく、レオに向かって駆け出した。
「何をされる!
そこで止まってください、リリス様!」
親衛隊の一人が、彼女を止めようと叫んだ。
しかし、リリスは、その声に耳を傾けることなく、レオの元へと一直線に走った。
彼女の瞳には、レオを守るという、強い決意が宿っていた。
魔族たちは、リリスが向かってくることに困惑しながらも、レオへの攻撃の手を緩めない。
彼らは、リリスがなぜ人間であるレオを庇うのか、理解できなかった。
リリスは、レオの目の前まで辿り着いた。
彼女の顔は、涙で濡れていた。
「レオ……!
大丈夫……!?
間に合った……」
リリスは、レオの無事を確かめるように、彼の顔に手を伸ばした。
その手の震えから、彼女の恐怖と、そしてレオへの深い感情が伝わってくる。
レオは、彼女の温かい手に触れ、胸が締め付けられる思いだった。
この状況で、彼女まで危険に晒すわけにはいかない。
しかし、魔族たちは、容赦なくレオに迫っていた。
彼らの攻撃は、すぐそこまで来ていた。
リリスは、その迫り来る危険を察知した。
彼女の瞳に、強い光が宿った。
次の瞬間、リリスは、とっさにレオの口に顔を寄せた。
そして、迷うことなく、彼の唇に、そっと唇を押し当てた。
それは、切なさと、安堵と、そして、深い愛情が込められた、愛のキスだった。
リリスの唇が、レオの唇に触れたその瞬間――
玉座の間を埋め尽くしていた、親衛隊の魔族たちの動きが、ピタリと止まった。
彼らの瞳から、怒りの炎が消え失せ、代わりに、深い困惑と、そして畏敬の念が浮かび上がる。
彼らの手に握られた武器が、重力に引かれるように、ゆっくりと地面に落ちていく。
部屋中に響き渡っていた怒号も、剣と魔法がぶつかり合う音も、全てが消え失せた。
玉座の間には、完全な静寂が訪れた。
それは、戦いの喧騒とは異なる、魔族たちの深い混乱と、何か異質なものに対する畏怖の静寂だった。
レオは、リリスの唇の温かさを感じながら、その光景に言葉を失っていた。
魔族たちは、まるで時間が止まったかのように、その場に立ち尽くしていた。
リリスのキスが、彼らの怒りを、そしてレオへの敵意を、一瞬にして凍らせたのだ。
その瞬間、レオの身体の奥深くで、何かが脈動するのを感じた。
それは、かつて感じたことのない、巨大な力の予兆だった。
だが、まだ、その力が解き放たれるには至らない。
しかし、リリスのキスが、確かに彼の運命の扉を、静かに開いたのだ。