第102話:混乱と危機
玉座の間には、重く、沈痛な静寂が満ちていた。
魔王の命が絶え、その存在が消え去ったことで、部屋の空気は、まるで真空になったかのように重く感じられた。
レオは、セレーネの冷たい遺体と、息絶えた魔王の亡骸を見つめ、彼自身の運命を受け入れる固い覚悟を胸に抱いていた。
彼の全身からは、静かに、しかし確かな魔力の波動が広がり始めていた。
それは、未だ完全に覚醒したわけではないが、彼の心に宿った新たな決意が、彼の内に眠る力を揺り動かしている証だった。
しかし、その静寂は、突然破られた。
遠くから、複数の足音が響いてくる。
それは、ただの足音ではなかった。
怒り、悲しみ、そして困惑が入り混じった、激しい感情を伴った足音だった。
玉座の間の巨大な扉が、勢いよく開け放たれた。
その瞬間、レオの視界に飛び込んできたのは、血だらけの親衛隊の魔族たちだった。
彼らは、魔王を守るために戦い、辛うじて生き残った者たちだ。
彼らの顔には、激しい疲労と、深い悲しみが刻まれていた。
しかし、彼らの瞳は、怒りに燃えていた。
彼らは、玉座の間に入り、目の前の光景に、一瞬、動きを止めた。
玉座の間に横たわる、息絶えた魔王の亡骸。
そして、その傍らに、血だらけの魔族たちの中で、ただ一人、呆然と立ち尽くす人間――レオ。
「……魔王様……!?」
親衛隊の一人が、絶望に満ちた声で叫んだ。
その声は、部屋中に響き渡り、他の魔族たちにも、魔王の死を明確に伝えた。
彼らの顔に、見る見るうちに怒りの表情が浮かび上がる。
彼らの瞳は、レオに向けられ、激しい憎悪を帯びていた。
「てめぇ……!
何をした!?」
別の魔族が、獣のような唸り声を上げながら、レオに向かって指を突きつけた。
彼らの混乱と怒りは、レオが魔王を殺したと、瞬時に判断させた。
彼らにとって、魔王を倒せるのは、勇者であるレオしかいない。
レオは、言葉を発することができなかった。
彼は、魔王が自分に全ての真実を語り、未来を託したことを知っている。
しかし、彼らにとっては、目の前で起きたことだけが真実なのだ。
玉座の間には、誤解と、それに伴う激しい憎悪が渦巻いていた。
親衛隊の魔族たちは、血だまりの中に倒れ伏した仲間たちと、セレーネの遺体、そして魔王の亡骸を見つめた。
その光景は、彼らの怒りをさらに煽った。
彼らが信じてきた王が、そして多くの仲間が、目の前の人間によって倒された。
そう信じて疑わなかった。
「この……裏切り者……!」
「魔王様の……敵を……討つ!」
怒号が飛び交う。
魔族たちは、疲弊しきった体から、残された全ての魔力を引き出し、武器を構えた。
その瞳は、復讐の炎で燃え上がっていた。
彼らは、レオに向かって、一斉に襲いかかろうとした。
レオは、剣を抜いた。
彼の心に迷いはなかった。
魔王の遺志を継ぎ、人間と魔族が手を取り合う世界を創る。
そのために、今、目の前の魔族たちと戦うことは、本意ではなかった。
しかし、彼らに真実を伝えるには、まだ時間が必要だった。
そして、何よりも、彼は、ここで倒れるわけにはいかない。
「待ってくれ……!
違うんだ……!」
レオは、懸命に叫んだ。
しかし、彼の言葉は、魔族たちの怒りの咆哮にかき消された。
彼らの耳には、憎むべき人間の声など、届きはしなかった。
親衛隊の一人が、真っ先にレオに斬りかかった。
その剣は、魔力を帯び、激しい殺気を放っていた。
レオは、それを紙一重でかわす。
彼の動きは、これまでよりも、どこか洗練されているように見えた。
魔王から与えられた真実と、使命感が、彼の身体能力を高めていたのだ。
しかし、親衛隊は、決して一人ではなかった。
次々と、他の魔族たちがレオを取り囲む。
彼らは、血に飢えた獣のように、レオに襲いかかった。
玉座の間は、一瞬にして、新たな戦場と化した。
レオは、激しい攻撃の嵐を、冷静にかわし続けた。
彼の心は、決して焦ってはいなかった。
この状況をどう乗り越えるか。
どうすれば、彼らに真実を伝えることができるのか。
彼の頭脳は、高速で回転していた。
親衛隊の魔族たちの攻撃は、激しさを増す。
彼らの魔力は、疲弊しているはずなのに、怒りによって増幅されているかのようだった。
レオは、その攻撃を捌きながら、彼らの隙を探した。
彼は、彼らを傷つけたくなかった。
彼らは、魔王を愛し、忠誠を誓っていた者たち。
その感情は、レオにも理解できた。
玉座の間には、剣と魔法がぶつかり合う音が響き渡る。
血の匂いは、さらに濃くなっていた。
レオは、新たな危機に直面していた。
魔王の遺志を継ぐ覚悟を決めたばかりの彼に、容赦なく襲いかかる、理不尽な現実。
彼の心の中で、リルが小さく震えるのが感じられた。
リルもまた、この状況に心を痛めているのだろう。
レオは、リルに語りかけるように、心の中で呟いた。
「大丈夫だ、リル。
俺は、負けない」
彼の瞳には、依然として、固い決意の光が宿っていた。
魔王の遺志、両親の想い、そしてセレーネの願い。
その全てを背負い、レオは、この新たな危機に立ち向かう。
彼の本当の戦いは、今、まさに始まったばかりだった。
彼は、この混乱をどう鎮め、どうやって魔族たちに、そして世界に真実を示すのだろうか。