第101話:託された未来
玉座の間には、再び重い静寂が訪れていた。
レオの意識から転送魔法の光が完全に薄れ、彼の脳裏に焼き付けられた魔王の真実が、鮮烈な記憶として残った。
彼は、セレーネの遺体と、息も絶え絶えの魔王を見つめる。
彼の心の中では、全ての真実が繋がり、新たな使命が、はっきりと形を成していた。
リリスへの、これまでとは違う、複雑な感情が胸に渦巻いていた。
魔王は、レオの顔から手を離し、ゆっくりと、しかし確かな意志をもって、その指先を空へと向けた。
その痩せ衰えた指の先には、まだ微かな魔力が宿っているように見えた。
魔王の瞳の光は、風前の灯火のように揺らいでいたが、その奥には、世界の未来を託すかのような、深い期待と、そして諦念が混じり合っていた。
そして、魔王は、その命の最後の力を振り絞り、レオに語りかけた。
それは、肉声ではなかった。
しかし、レオの魂に直接響き渡る、深く、そして力強い声だった。
その言葉は、玉座の間の静寂を破り、レオの心に重く、深く響き渡った。
「……レオ……」
魔王の声は、苦痛に満ちながらも、揺るぎない覚悟を帯びていた。
レオは、魔王の言葉の全てを受け止めるため、その全身の神経を集中させた。
「……我は……
全ての真実を……
お前に……話した……」
レオは、頷いた。
彼の知る世界の全てが偽りであり、自身が背負う運命の重さを、今、彼は深く理解していた。
魔王の言葉は、レオの心の中で、これまでの全ての出来事を繋ぎ合わせ、一つの大きな絵を描き出していた。
「……人間と……魔族は……
争うべきでは……
ない……」
魔王の言葉は、深い悲しみと、そして未来への切なる願いが込められていた。
映像として見てきた旧世界の記憶、人間と魔族が共存していた平和な時代。
それが、国王たちの欲望と陰謀によって引き裂かれた真実。
その全てが、魔王のこの言葉に集約されていた。
「……我が……
遺志を……継ぎ……」
その言葉が、レオの心臓に直接、響いた。
魔王の遺志。
それは、この偽りの世界を正し、真の平和を築くという、壮大な使命だった。
レオは、その言葉の重みに、全身が震えるのを感じた。
「……人間と魔族が……
手を取り合う……世界を……創れ……」
魔王の言葉は、レオに突きつけられた選択だった。
それは、魔王としての、最後の命令であり、そして、レオに託された、未来への希望だった。
レオの脳裏には、セレーネの優しい笑顔、リリスの温かい眼差し、そして、アルスの真実を求める姿が、次々と蘇った。
彼らが望んだ世界は、まさに魔王が語る、人間と魔族が手を取り合う世界だった。
「……選択しろ……
レオ……」
魔王の声は、そこで途切れた。
転送魔法の光が、完全に消え去った。
玉座の間を満たしていた、魔王の魔力の波動が、急速に弱まっていく。
魔王の瞳の光が、ゆっくりと、そして完全に消え失せた。
魔王は、レオの顔に触れていた手を、重力に逆らうことなく、静かに血だまりの中へと落とした。
その全身から、生命の輝きが失われ、彼の存在が、玉座の間から消え去っていくかのようだった。
魔王の息が、完全に絶えた。
玉座の間には、再び、重く、沈痛な静寂が訪れた。
それは、一人の王が、その命を終え、未来を託したことを示す、永遠の静寂だった。
レオは、その場に立ち尽くしたまま、魔王の亡骸を見つめた。
彼の心は、魔王の最後の言葉と、その命の重みに、深く、深く響かされていた。
彼の脳裏には、これまでの旅路が、走馬灯のように駆け巡る。
勇者育成学校での日々。
魔族との戦い。
セレーネとの出会い、そして別れ。
エリックとの友情、そして決裂。
リリスとの出会い、そして育まれた絆。
そして、魔王が語った、世界の真実と、自身の出自。
その全てが、今、この瞬間のためにあったのだと、レオは悟った。
彼は、もはや、国王たちに操られる「勇者」ではない。
真実を知り、自身の運命を受け入れた、新たな存在。
レオは、ゆっくりと、セレーネの冷たい遺体へと目を向けた。
彼女の顔は、安らかで、まるで眠っているかのようだった。
レオは、セレーネの手を握りしめた。その冷たい感触が、現実の重みを突きつける。
そして、彼は、息絶えた魔王の亡骸を、もう一度見つめた。
魔王の顔には、もはや苦痛はなく、ただ、安らかな表情が浮かんでいた。
それは、自身の使命を全うし、未来を託した者の、静かな満足の表情だった。
レオは、深呼吸をした。
彼の心に、迷いはなかった。
これまで背負ってきた重荷が、彼自身の意志によって、新たな決意へと変わる。
「……はい……
魔王……」
か細い声が、レオの口から漏れた。
それは、魔王への返答であり、そして、彼自身の運命を受け入れる、固い覚悟の表明だった。
彼は、魔王の遺志を継ぎ、人間と魔族が手を取り合う世界を創る。
そのために、彼は、全てをかけて戦うだろう。
偽りの歴史を打ち破り、真の平和を築くために。
彼の全身から、静かに、しかし確かな魔力の波動が広がり始めた。
それは、未だ完全に覚醒したわけではないが、レオの心に宿った新たな決意が、彼の内に眠る力を揺り動かしている証だった。
玉座の間には、レオの静かな決意が満ちていた。
しかし、その静寂は、長くは続かないだろう。
魔王の死は、新たな動乱の始まりを告げる。
そして、レオの、本当の戦いが、今、まさに始まろうとしていた。