第100話:封印解除の条件
レオは、胸のポケットにそっと手を伸ばし、そこにいるはずのリルに触れた。
小さな温もりが指先に伝わり、彼の心に深い安堵と感謝をもたらした。
魔王の転送魔法によって伝えられた真実は、彼が一人ではなかったこと、そして常に誰かに見守られてきたことを示していた。
彼の覚悟は、偽りの世界を打ち破るという新たな使命感によって、さらに強固なものへと変わっていた。
玉座の間には、依然として血の匂いが漂い、瀕死の魔王の苦しげな呼吸だけが、その存在を主張していた。
魔王は、そのわずかに開いた瞳で、レオの覚悟を見据えていた。
その視線は、レオの心に直接語りかけるかのように、深く、そして重い。
魔王の、最後の力が絞り出されるかのように、か細い声が、再びレオの意識に直接響いた。
それは、全ての謎を解き明かす、最後の真実への扉だった。
「……レオ……お前の……
魔法の封印……その鍵は……
我だけが……知っている……」
魔王の言葉と共に、レオの意識は再び、光の渦に包まれた。
魔王の最後の転送魔法が、新たな映像を映し出す。
それは、レオの魔法の封印に関する、核心的な記憶だった。
映像は、幼いレオの魔法の力が、聖騎士長の決意によって封じられる瞬間を鮮明に映し出した。
しかし、その封印は、ただの魔法的な拘束ではなかった。
そこには、聖騎士長の、未来への希望が込められていたのだ。
魔王の意識が、レオに語りかける。
「……あの時……お前の父は……
お前の力を……いつか……正しく使うための……
鍵を残した……」
レオは、息を呑んだ。
自分の力が、完全に失われたわけではない。
封印を解く鍵が存在するという事実に、彼の心に新たな希望の光が灯った。
しかし、その鍵が、魔王だけが知る秘密だという事実に、レオは複雑な感情を抱いた。
映像は、封印された魔法の力が、ある特定の条件によって解除される可能性を示唆する。
それは、一般的な魔法の知識では考えられない、奇妙な、しかし温かい条件だった。
魔王の声は、苦痛に歪みながらも、その条件を明確に伝えた。
「……その封印を……解く……
唯一の条件は……」
映像の中の魔王は、レオの瞳を真っ直ぐに見つめていた。
その眼差しには、レオへの期待と、そして、この世界への最後の願いが込められているかのようだった。
「……魔族……
または……魔族の血を引いた
……人間が……」
その言葉に、レオの心臓が大きく跳ねた。魔族。
これまで敵として認識してきた存在が、自分の魔法を解く鍵を握っているというのか。
「……お前を……
心から……愛すこと……」
レオは、言葉を失った。
愛。
そんな抽象的な感情が、魔法の封印を解く条件になるというのか。
彼の脳裏に、リリスの顔が浮かんだ。
彼女の優しさ、彼のことを心配する眼差し、そして、魔族としての誇り。
映像は、さらに時間を遡った。
レオが、魔王城の地下牢に幽閉されていた頃の記憶。
当時の魔王が、レオのポケットに隠れていたリルに気づく瞬間が映し出された。
魔王の瞳が、リルの存在を捉えた途端、驚きと、そして微かな希望の光を宿した。
リルは、レオの出自の秘密を知る唯一の存在。
魔王は、リルを通じて、レオが聖騎士長の息子であることを瞬時に悟ったのだ。
「……以前……お前を……捕らえた時……
殺さずに……牢屋に……幽閉したのは……」
魔王の意識が、その時の彼の思惑をレオに直接伝えた。
映像の中の魔王は、深く思案していた。
レオを殺すべきか、それとも生かすべきか。
「……お前のポケットに……隠れていた……
リルを見て……」
「……レオが……
あの時の……聖騎士長の……息子だと
……わかった……」
その真実に、レオは衝撃を受けた。
自分が捕らえられた時、リルが彼の正体を魔王に伝えていたのだ。
そして、それが、自分が生き延びた理由だったとは。
魔王の記憶は、さらに深く、彼の戦略的な思考を示した。
「……もしかしたら……レオが……
人間たちと……魔族との……
架け橋になるのでは……?」
魔王は、レオの中に、人間と魔族の間に真の平和をもたらす可能性を見出していたのだ。
その一縷の望みが、魔王を動かした。
「……一縷の……
望みをかけて……」
映像は、リリスがレオに食事を運ぶ光景を映し出す。
リリスの優しい眼差し、レオへの心配、そして、次第に深まる二人の絆。
魔王は、その全てを、密かに見守っていたのだ。
「……リリスに……
食事を運ばせながら……」
「……リリスが……
お前を……愛するかどうか……
賭けに……でたのだ……」
魔王の声は、その驚くべき真相を告げた。
リリスがレオを愛するかどうか、その感情が、レオの魔法の封印を解く鍵となるという、壮大な賭けに魔王は出ていたのだ。
レオは、その事実に、あまりにも衝撃を受けて、言葉を失った。
リリス。
彼女の優しさ、彼女の涙、そして、共に過ごした時間。
その全てが、今、全く異なる意味を持ち始めた。
彼女の彼への感情が、自分の運命を左右する鍵だったとは。
転送魔法の光が薄れ、レオの意識は玉座の間に戻された。
彼の心は、激しい感情の奔流によって揺さぶられていた。
驚き、感謝、そして、リリスへの、これまでとは違う、複雑な感情。
魔王は、力を使い果たしたかのように、レオの顔から手を離した。
その瞳の光は、もはや微かにしか残っておらず、その命の炎が消えかかっていることを示していた。
しかし、その顔には、レオに全ての真実を伝えられたことへの、深い安堵と満足が浮かんでいた。
レオは、魔王を見つめた。
目の前には、瀕死の魔王がいる。
しかし、その存在は、もはや彼にとって憎むべき「悪」ではなかった。
むしろ、この世界の真実を彼に伝え、未来を託そうとしている、偉大な存在だった。
玉座の間には、再び静寂が訪れた。
レオは、セレーネの冷たい遺体と、息も絶え絶えの魔王を見つめる。
彼の心の中では、全ての真実が繋がり、新たな使命が、はっきりと形を成していた。
彼は、この世界の偽りを打ち破り、真の平和を築くために、自らの運命を受け入れる覚悟を決めていた。
そして、その使命の先に、リリスの存在が、強く光り輝いているのを感じた。