第10話:静かなる探求
国王歴997年9月。
夏の喧騒が去り、勇者育成学校の敷地には、涼やかな秋の風が吹き始めていた。レオとエリックの友情は、あの休日の一件以来、さらに深く、強固なものになっていた。二人は互いの存在を認め合い、支え合うことで、学園生活の厳しさに立ち向かっていた。
一方で、彼らとは異なる場所で、静かな探求を続けている生徒がいた。
アルス。
彼はレオやエリックよりも数歳年上で、他の生徒たちが訓練場や談話室で賑やかに過ごす中、いつも一人、学校の図書館の奥深くにこもっていた。
アルスは、学生時代から大人しく、学術肌の少年だった。彼の一番の興味は、この世界の歴史、特に教師たちが語る「空白の10年間」と呼ばれる時代に注がれていた。
図書館の古びた書架には、埃をかぶった膨大な量の書物や古文書が並んでいた。アルスは、それらを一枚一枚丁寧にめくり、丹念に読み込んでいく。彼の指先が、紙の表面を滑る音だけが、静寂に包まれた空間に響く。
学校で教えられる歴史は、単純明快だった。
魔王は悪。人間は正義。
「空白の10年間」は、魔王との凄惨な戦乱によって、世界が荒廃し、多くの記録が失われた時代。それは、誰もが疑わない「真実」として、生徒たちの頭に刷り込まれていた。
だが、アルスの目には、その単純な構図にどこか不自然なものを感じていた。
なぜ、特定の期間の記録だけが、これほどまでに欠落しているのか。
なぜ、すべての書物が、魔族を一方的な悪として描いているのか。
彼が読み進める古文書の中には、時折、学校では教えられない記述が見つかることがあった。それは、魔族が必ずしも悪ではないと示唆するような、微かな、しかし確かな違和感だった。
アルスは、その小さな違和感を拾い集め、まるでパズルのピースを繋ぎ合わせるかのように、独自に「空白の10年間」の真実を探求していた。
彼の探求は、誰にも知られることなく、静かに続けられていた。
ある日の午後。
アルスは、図書館の窓から、遠くの訓練場をぼんやりと眺めていた。
そこで行われているのは、レオとエリックの模擬戦だった。
レオの剣は、目を見張るほどに鋭い。魔法を使えないというハンデをものともせず、相手を圧倒していく。その動きには、一切の無駄がなく、洗練されていた。
対するエリックは、魔法と剣術をバランス良く使いこなし、レオの弱点を補うかのように、巧みに立ち回っていた。彼の魔法は派手さこそないが、堅実で、確実に相手を牽制する。
アルスは、二人の訓練風景を、じっと観察していた。
レオの底知れない潜在能力。
エリックのバランスの取れた能力と、彼がレオへと向ける、偽りのない友情の眼差し。
二人は、互いの長所を最大限に引き出し、短所を補い合っている。
アルスは、彼らの間に存在する絆に気づき始めていた。それは、この勇者育成学校では稀に見る、純粋な、そして強力な繋がりだった。
彼の表情は、相変わらず冷静で、感情を読み取ることはできない。
だが、その瞳の奥には、新たな発見に対する、静かなる好奇心と、かすかな期待の光が宿っていた。
アルスの探求は、歴史の真実だけに留まらない。
彼は、遠くから、レオとエリックという二つの光を、静かに見つめ続けていた。
この出会いが、後に彼らを、想像もしなかった真実へと導くことになるなど、その時のアルスは知る由もなかった。