意図せぬ再会。1
アブグルントが王城へ潜入してから三日後。
王妃は病死した……と噂が走った。
王妃が死んだのは本当だったが、病死ではない。
公式では病死と発表されただけで、実際は毒殺だ。
使われていた毒がアブグルントしか使えない特殊な毒だったため、王妃の人となりを知る者たちは皆、暗殺されたのだと認識している。
王妃の評判はもともと良くなかったので民は喜んだほどだ。
死亡発表の一週間ほどは酒場の売り上げが急上昇したという報告も受けている。
王妃を殺したあとはさっさと組織に戻ったのだと思っていたアブグルントが、夜になってヴィルヘルミーナの部屋を訪れた。
「王妃も死んだことだし。戻ってくるんでしょ?」
まるでアブグルント自身が、ヴィルヘルミーナの帰還を望んでいるような物言いに驚きつつ返事をする。
「私に戻る、戻らないの選択権はありませんよ? 依頼主にも主にも引き続き仕えてほしいと言われていますので」
「え! そうなの?」
「驚くことですか?」
「うん。最大の脅威が除かれたのだから、君じゃなくてもいいじゃない。もっと適任者がいるじゃん」
アブグルントの言葉にヴィルヘルミーナは目を閉じて考える。
上司や部下、同僚の顔も浮かぶ。
後任を任せられそうな人材は少なくなかった。
王城に使えている人たちだ。
基本的には仕事ができる人が多い。
「一応打診したのですが、私の後任は重いと断られてしまって……」
一番に打診した後輩は。
『ミーナ先輩以上に王子たちに信頼されるメイドっていないと思うんですよ。先輩が病気とか怪我で引退する以外の理由では引き受けかねますね』
と苦笑しつつ断った。
次に打診した上司は。
『貴女の後任は無理よ。私結婚したいの。そろそろ限界なの。婚活するのよ! それに貴女の献身的な仕事ぶりを見ちゃうとね……私はここまでできないわって、思うもの。貴女に評価してもらったのは嬉しいけれど。ごめんなさい』
と深々と頭を下げられてしまう始末。
任せてもいいと心から思える人物が三人とは、多いのか、少ないのか……と最後に打診した同僚は。
『ちょっとミーナ。あんた正気? 私王子たちの悲しむ顔なんてみたくないんだけど?』
『悲しむ顔って……』
『あれだけ甘やかしてさぁ? 無償の愛に近いじゃん、ミーナの仕え方って。ミーナが心から退職を望むなら王子たちは涙を呑んで送り出してくれるでしょうけれど。それでも悲しむと思うのよね。だからね、ミーナ。最後まで責任を持ってお世話しなさい』
とがっしりと肩を掴まれながら説得されてしまった。
「ミーナが身内に甘いのは誰よりも理解しているけどね。王子たちにそれが発揮されるとは思わなかったんだよ」
心外の言葉だ。
暗殺組織の幹部たちは身内だと認識しているが、王子たちはあくまでも仕える相手。
そのあたりをはき違えてなどいない。
不愉快な表情をしていたのだろう。
アブグルントが珍しく困ったように笑った。
「良い意味だよ。ミーナ。良い意味で僕は君に裏切られた。結構厳しく育てたつもりだったんだけどね。やっぱりハインリッヒ君の影響が強いのかなぁ」
髪の毛をするっと手ぐしで梳かれる。
ハインリッヒが最初にしてくれたそれ。
今では王子たちまでするので少々困惑している。
「まぁ、君が望むなら好きにするといい。王族の暗殺が僕たちに依頼されないように祈っておくんだね」
「……そんな情報を掴んでいるのですか?」
「今の所はないけどね。良い奴らほど早死にするって言うでしょ?」
「もし……師匠が王子たちを暗殺対象にしたら。私とは敵対しますね」
「そうだね。王族相手だと僕に指名が来る可能性が高いよ」
「日々研鑽は積んでいますが、師匠には遠く及びません」
暗殺業と違いメイド業に人を殺す訓練はない。
ただヴィルヘルミーナはメイドの中でも特殊な戦闘メイドと呼ばれるメイドなので、人を殺す訓練も許されていた。
同じ人殺しの訓練だというのに、暗殺組織と王城での訓練は方向性が違う。
意外だがアゼルフスは、定められた以上の実力を持つ者の心身を大切にしている。
ヴィルヘルミーナがいろいろな理由で窮地に陥ったとき、幾度となく幹部どころかアブグルントまで助けに来るほどなのだ。
それに比べて王城では、王族の盾となって死ぬことが前提の訓練がされる。
王族の犬となり、犬死にするのは御免だが、全く違う角度での訓練はヴィルヘルミーナの戦闘力を引き上げた。
何とも腹立たしいのだが、王城での訓練がヴィルヘルミーナにあっていたのだ。
やはり何時か自分はハインリッヒを庇って死ぬだろう、という幼い頃に決めた覚悟が影響しているのかもしれない。
彼は今。
何処で何をしているのだろう。
調べればわかるのだが、あえてしなかった。
生きているのは何となく察せられたからだ。
死と隣り合わせの訓練をしているうちに、培われた危機察知能力はなかなかに優秀で。
ヴィルヘルミーナは幾度となく組織に属する者たちの命を救っていた。
ハインリッヒへの危険も察知したことはあったのだが、そこまでのものでもなかったので放置している。
まだ自分の力はハインリッヒを守り抜けるものに仕上がっていなかったし、どうやら騎士という道を選んだらしい彼の矜持を尊重したかった。
「それでも、王子たちを守り抜くべく、戦います」
「勝てないとわかっている相手に挑むのは無謀だと散々教えてあげたのに……」
「それでも戦わないと駄目な場面もあるんですって。師匠にも守り抜きたい唯一ができればわかるんじゃないですかね」
「ははは。僕に、唯一、ねぇ?」
アブグルントが穏やかに笑う。
背筋が怖気立つほどの絶望を、ヴィルヘルミーナは指摘しなかった。
それができるのは、何時か必ず現れるだろうアブグルントの唯一だけだ。
「……僕は君を気に入っている。敵対しないことを、祈っていなさい」
そう言い残してアブグルントは窓の外へと消えていった。
王子たちに重用されているメイドの警備は、それなりに厳重なのだがアブグルントには関係ないようだ。
「私だって、師匠のことは大切ですよ」
だから、日々祈っている。
アブグルントが敵に回らないように、と。
王妃が死んだので王子たちは周囲への警戒を幾分か緩めた。
一番厄介な相手が王妃だったのだ。
テオドールなどは実母が死んだというのに、心から楽しそうにしている。
以前よりジークヴァルトと過ごす時間も増えていた。
未だに王妃の実家から接触があるようだが、テオドールは多忙を理由に断っている。
今の悩みは婚約者にしてくれと押し掛けてくる令嬢への対応だそうだ。
ジークヴァルトの方が大変なのでは? と思うのだが、そちらは他国の王女を迎え入れたいという王の希望が出ているので、そこまで酷いものでもないらしい。
ヴィルヘルミーナの主であるヴェンデリンもなかなかの優良物件ではある。
王妃がいなくなって暗殺の心配が各段に減ったので、安心して打診してくる家が増えたのだ。
ヴェンデリンは兄上たちの婚約者を決めるのだが先だ! と公言して、一切の接触を拒絶している。
「プレゼントぐらいもらっておけばいいのにね」
「あ! 何処かの侯爵家が贈ってくれた剣は迷ったみたいです」
「有名な名剣だもんな。ん? あれって家宝だったよな」
「家宝を差し出すほどに、貴男を必要としていますって意味なのかも?」
幼い男子の会話とは思えないやり取りを、二人の背後で聞きつつヴェンデリンの訓練を見守る。
ヴェンデリンは騎士団に属していないが、普段は近衛騎士と一緒に訓練をしていた。
何時もは手練れの近衛騎士に混じっているヴェンデリンの訓練を見守るだけなので、疲れる仕事ではない。
だが、今日は二人の王子の面倒を見ながらだったので常より神経を使っていた。
「そういえば、今日は他の騎士団たちとの合同訓練だっけ?」
「僕たちも見学したいな!」
「ヴェンデリン様の許可を得てくださいね」
二人の王子はヴィルヘルミーナの言葉に素直に頷く。
幼い王子たちを狙う騎士などいないはずだが、距離感を間違える騎士はいそうだ。
ヴィルヘルミーナは警備の面倒さに思考を投げたくなりつつも、部下たちを呼び寄せる。
王子たちがヴェンデリンの元へ行くのを視界の端で眺めながら打ち合わせをした。
弟王子に甘いヴェンデリンは当然のように見学を許可し、必然のようにその警護の責任者をヴィルヘルミーナにする。
弟王子の筆頭従者たちは理解があるので素直に指示に従うが、下の者ほどヴィルヘルミーナの指示に抗おうとした。
筆頭従者も全力で咎めているのだが、爵位持ちの部下の扱いは大変なようだ。
三人の王子たちの背後に付き従って、他の騎士団が待つ訓練場に移動する最中に、従者が五人ほど絡んできた。
王子たちとの間に入り込むとか、警護の意味を理解しているのだろうか。
「おい!」
ヴェンデリンの制止にも止まらない。
「止まれ!」
「ミーナを虐めるな!」
弟王子の制止も聞こえないようだ。
主の命令に従えないのであれば、主など持たなければいいのに。
ヴィルヘルミーナは武器を持って躍りかかってくる従者をいなしながら、一人ずつ昏倒させていく。
待機している騎士団から歓声が上がっている。
見世物ではないのだが。
「ミーナ!」
この場面でヴィルヘルミーナをそう呼ぶのは王子たちだけだった。
でもその声は王子たちものもでもなかった。
「……リッヒ?」
遠い昔の記憶と声が違う。
男性には変声期というものがあるのだ。
違ってしかるべきだ。
ただ呼び方が、ハインリッヒにそっくりだった。
驚くヴィルヘルミーナの隙を狙って、最後の一人が襲いかかってくる。
鋭いナイフの切っ先がヴィルヘルミーナの頬を掠めた。
「ミーナの綺麗な顔に傷をつけるな、クソ野郎がああああ!」
え、ちょっと。
言葉使いが悪くなっているわよ!
心の中で突っ込みを入れている間に、別れた頃の幼さと引き換えに妖艶さを手に入れたハインリッヒが、従者の胸板を蹴り倒していた。