僕は彼女を全てから守り抜く。2
ハインリッヒの差し出した腕にヴィルヘルミーナの腕が絡む。
雨が長く続いていたので心配していたが、今日は目が覚めるほどの青空が広がっている。
晴天だ。
結婚式は二人であげる! と公言していたのだが、ミーナ先輩のウエディングドレス姿を一目見たい! というアンネリーエの懇願を撥ね除けられなかった結果。
教会の入り口でハインリッヒが待ち、馬車から降りて歩いてくるウエディングドレス姿のヴィルヘルミーナをエスコートするという形になった。
馬車から教会までは絨毯が敷かれている。
その両側にはアンネリーエを筆頭に、ヴィルヘルミーナのドレス姿を一目見たい人々が所狭しと並んでいた。
結婚の誓いをする儀式だけは二人きりでできるのだが、ウェディングドレスを一番に見るという希望は叶わなかった。
試着の段階でアンネリーエと一緒ではあったが見ていたので何とか許せたが、本当は本番でウエディングドレスを着たヴィルヘルミーナを最初に見たかったのだ。
「……何であんなに号泣しているのかしら?」
「ミーナが可愛かったから感極まったんじゃないの?」
アンネリーエや同僚、メイド長などは純粋に感動しているのだろう。
男性陣についてはハインリッヒも聞きたい。
幼馴染み二人は抱き合って号泣しているし、ギードは流れる涙を拭いもせず歩くヴィルヘルミーナを凝視していた。
弟王子たちは号泣に近く、兄王子も目を潤ませている。
何処までヴィルヘルミーナが好きなのだろう。
一瞬真っ黒い感情が頭の片隅で鎌首を擡げかけたが、ヴィルヘルミーナが腕を組み直したので我に返った。
誰がどれほどヴィルヘルミーナを好きであろうとも、夫となるのはハインリッヒなのだ。
一度きりの結婚式を台無しにしたくはない。
背後で扉が閉まる。
ステンドグラスの窓から覗いている者はいないか心配して周囲を見回せば、アブグルントが静かに立っていた。
ひらひらと手を振られる。
「……二人きりは無理だったね」
「……ごめん」
「ミーナが謝ることはないよ。さすがの僕もアブグルントさんに出て行ってくれとは言えない」
「私は言えるけど、言いたくない」
「いいよ、いいよ。二人の父親代わりってことで納得する」
ハインリッヒの両親は死んでいる。
父親は王弟で母親は公爵令嬢だったらしい。
王弟は病死に見せかけた毒殺だったが、公爵令嬢は修道院へ行く途中の事故死だったとのことだ。
公爵令嬢は大変良識的な人物で生きていれば王弟も更生したかもしれないほどに、慈悲深い女性だったと聞かされた。
虐げられていた幼い頃は感情が固まっていて、動きだしたのはヴィルヘルミーナと出会ってからだ。
だから両親が恋しいと思ったことは一度もない。
ただ母親は良い人だったと聞けば、会ってみたかったなぁとは思う。
ヴィルヘルミーナも天涯孤独なのだと、アブグルントに教えられた。
気になって調べたところ、随分なろくでなしの夫婦だったので、ヴィルヘルミーナには死んだと伝えたのだそうだ。
現在も生きているが、死んだ方がましかな? という人生を送っているらしい。
ヴィルヘルミーナを捨てた罰だ。
ハインリッヒもヴィルヘルミーナに両親が生きていると告げるつもりはない。
希代の暗殺者が父親なんて、真っ当な人間ならば絶望するかもしれないけれど。
自分たちにはちょうどいいと思ってしまう。
「それにしてもミーナ」
「ん?」
「すっごく綺麗だよ。一番に見たかったなぁ」
「試着のときに見たじゃない」
「アンネリーエさんと一緒にね! ドレスのデザインや装飾品だってほとんど彼女が決めた気がするよ……」
「費用まで出してくれると思わなかったわ。感謝しないとね?」
「指輪だけは死守した僕を褒めてほしいよ!」
ウエディングドレスをオーダーメイドするとき、アンネリーエの力を借りた。
有名デザイナーの予約が何年も先まで埋まっているとは思わなかったのだ。
ヴィルヘルミーナは既製品でも十分と言ったが、何しろ一生に一度。
できる限り頑張りたかった。
アンネリーエに力を借りて後悔はしていない。
ただもう少し上手に交渉できたのではないかと、しつこく思い返してしまう。
ヴィルヘルミーナが着ているウエディングドレスは長袖のマーメイドライン。
薔薇の刺繍が美しい総レース仕立ては、何人もの職人が大泣きしながら縫ったらしい。
それだけ厳しい注文だったようだ。
ベールは裾回りに薔薇の刺繍が施されている。
長いベールやドレスが汚れないように浮遊魔法を使うと言っていた。
そして、装飾品!
遠い目をしていたヴィルヘルミーナから聞いたのだが、ティアラ、ネックレス、イヤリングは王家の宝物庫から出ているらしい。
歴史があり、王族しか身につけられない装飾品を身につける恐ろしさにヴィルヘルミーナは震えていた。
アンネリーエが交渉し、ジークヴァルトが許可を出したようだ。
貸し出しだが、ヴィルヘルミーナが望めばそのまま譲渡してもいいと鷹揚に頷かれたとき。
二人揃って首を振った場面は冷や汗とともに思い出せる。
婚約指輪は既に贈ったが、結婚指輪も贈りたかった。
職場でもつけられるようにとシンプルな物を贈ってしまったので、重ねづけができる物にしようか、豪奢な物にしようか迷った結果。
豪奢な物は次の結婚記念日のときに回して、重ねづけができる物を選んだ。
こちらは薔薇と百合が絡み合うように彫り込まれた指輪だった。
精緻な細工はヴィルヘルミーナの好みに合ったらしく、できあがりを見せたときの笑顔はこちらまで嬉しくなるもので、何度思い出しても幸せに浸れる。
「……誓いのキス、するの?」
「するよ! 嫌なの?」
「……嫌じゃないわ。は、恥ずかしいだけ」
ベール越しの頬が赤く染まる。
キスなんて数え切れないほどしているのに。
畏まった場所でするのに羞恥を覚えるのかもしれない。
「見てるのは、司教様とアブグルントさんだけだよ?」
「後者が問題なのよ!」
こそこそと囁きながら歩いているうちに、大司教の前に辿り着いた。
そう、誓いの儀式を行うのは大司教なのだ。
本来一般人がお願いできる方ではない。
本人が名乗りを上げたというのだから驚きだ。
「なんともめでたいのぅ、ヴィルヘルミーナ」
「恐れ多いことでございます」
「なに。これで肩の荷が一つ下りたわい。ハインリッヒよ、ヴィルヘルミーナをくれぐれも頼むぞ」
「はい。そのために僕は生きてきましたし、これからも生きてゆきます」
「うむうむ。素直でよろしい。アブグルントの坊主も伴侶を見つければ、何時でもお迎えに乗るのじゃがのぅ……」
アブグルントを坊主呼ばわりするのに驚く。
案の定、大司教が手を置いている聖書の隣にナイフが突き刺さった。
「ほっほっ。弟子に先を越されて悔しいと見える」
とすっと、ナイフがもう一本刺さる。
美しい装飾が施されたナイフは、暗殺者が使うものではないだろう。
彼なりに結婚式という場に配慮しているのかもしれない。
ナイフを投げてくるなんて十分非常識だとは思うが。
「さて、では司教らしく。二人の希望通り、簡潔に。誓いの言葉をかわしてもらうとしようかの」
こほん、と大司教が咳払いをする。
何処までも耳に心地良い音で誓いの言葉が紡がれた。
「新郎ハインリヒ・アーレルスマイアー。貴殿はヴィルヘルミーナ・ゲルラッハを妻とし、
健やかなるときも、病めるときも。喜びのときも、悲しみのときも。富めるときも、貧しきときも。これを愛し、敬い、慰め合い、 共に助け合い。その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
「我が最愛、ヴィルヘルミーナの名にかけて、誓います」
「新婦ヴィルヘルミーナ・ゲルラッハ。貴殿はハインリヒ・アーレルスマイアーを夫とし、健やかなるときも、病めるときも。喜びのときも、悲しみのときも。富めるときも、貧しきときも。これを愛し、敬い、慰め合い、 共に助け合い。その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
「……我が最愛、ハインリッヒの名にかけて、誓います」
本来であれば、誓います、だけでいい。
けれどそれだけで足りなかったハインリッヒは少しアレンジを加えた。
ヴィルヘルミーナは瞬時、躊躇ったけれど同じように誓ってくれる。
嬉しい。
「神の御前にて、新しい夫婦が誕生いたしました。指輪の交換を」
まずはハインリッヒがヴィルヘルミーナの指に嵌め、続いてヴィルヘルミーナがハインリッヒの指に嵌める。
銀色の光が窓ガラスから降り注ぐ太陽光を反射して、きらきらと輝いた。
「続いて、愛の口づけを」
「司教様!」
「ほどほどにすればよいのじゃぞ?」
まだ何か言いたそうなヴィルヘルミーナのベールを素早く持ち上げて、深くキスをする。
人前でするキスではない。
背中がばんばんと叩かれた。
大司教は楽しそうに、うむうむと頷いている。
しっかりとお互い目を見開きながらキスをしていたために、いい加減にしろ! という意味で投げられたのだろうナイフはしっかり視界に入ってしまった。
仕方なく唇を離せば、大司教がふおっふおっと笑う声と、アブグルントの深い溜め息が耳に届く。
「これからは披露パーティーじゃな? 我が参加しても問題ないとは驚きじゃのう」
「こぢんまりと同僚や上官を中心にやるつもりだったんですが、王子たちが全員参加をすると言ってきかな! ……おっしゃってくださったので」
「王様と寵姫様も顔を出されるともおっしゃっていたな」
「では我が参加しても問題はないのぅ。ミーナお手製のウエディングケーキが楽しみじゃて」
「新婦にウエディングケーキを作らせるとかどうかと思うのですが」
「まぁまぁ、メイド長がしっかり保存魔法をかけてくださったから、余裕をもって作れたし。来てくれる皆におもてなしもしたいじゃない?」
「……ここまで人が集まる機会もなさそうだし。一生に一度だし、ね?」
「そうそう。だからリッヒも楽しんで。最初の一口はリッヒに食べさせるんだからね」
屈託なく微笑まれてしまえば、これ以上は何も言えない。
ベール越しの額にキスを一つ落とす。
「仲睦まじいことじゃて」
楽しそうに笑う大司教の隣に、何時の間にか立っていたアブグルントが。
「僕もケーキは食べるからね!」
わざわざハインリッヒに向かって宣言した。
最初の一口を食べるのが自分ではないことに、若干腹を立てているのだとわかれば、苦笑しかない。
ハインリッヒは努めて冷静に。
「存分にお召し上がりください」
とにこやかに微笑みながら告げた。
 




