僕は彼女を全てから守り抜く。1
二人の退職日は同日だった。
ずらした方が良いだろう。
ずらすならハインリッヒが後の方がいいだろう。
……そう考えていたのだが、周囲に同日退職しかない! と言われたので諦めた。
ハインリッヒ的にはヴィルヘルミーナと一緒にいられる時間が多くなると思ったからだ
「……しかし、ホルガーも同時退職とは驚いたな」
「ふっふ。騎士団長にしか言ってなかったからな」
「俺らには言っても良かったじゃん?」
「お前は態度に出るからなぁ」
フリッツがホルガーの首根っこを掴んで、頭の天辺に拳をぐりぐりと押しつけている。
教えてもらえなかったのはハインリッヒも同じだ。
悔しい。
だがホルガーの立場もよくわかる。
正式に子爵家に婿入りが決まっているホルガーをやっかむ奴らは少なくなかった。
第四期師団から順調に出世してきた実力者であるにも関わらず下に見る者は多い。
しかもホルガーが婿入りする子爵家は裕福だ。
跡を継ぐのが女性であればその裕福さは続くと信じられている。
実際にそうらしい。
家系図と一緒に歴史を教わったホルガーは驚きながら感心していた。
「婿入りするのに理想の家庭だしなぁ」
「なんだ。お前も婿入りしたかったのかよ?」
「いや。俺の性格上婿入りだと上手くいかなそうだわ」
笑うフリッツだが、ホルガー的には同じ家に婿入りもありかな? と考えていたらしい。
弱者に優しいフリッツなら婚約者の妹たちにあうと思っていたようだ。
既に婚約者には許可も得ていたというのだから驚く。
フリッツが一目惚れされなかったら、きっと話を持ちかけていただろう。
幼馴染みの気安さで、フリッツも了承した気がする。
「フリッツは引き続き騎士団で頑張るんだろ」
「だな。ただお前らがいなくなって寂しいって言ったら、婚約者が早く結婚して一緒に住みましょう! って引っ越しの準備を始めたぜ」
「うわー有り難いなぁ」
「だろ? 性格も可愛いんだよ」
フリッツが惚気ている。
可憐な男爵家の子女はフリッツの心をばっちり掴んだようだ。
「ちゃんと食べてから飲んでるかー?」
三人でわいわいと盛り上がっていると、ギードが皿に肉を盛りに盛ってやってきた。
よく肉が雪崩を起こさないものだ。
「さすがに盛りすぎだって!」
「今日は騎士団の料理人だけじゃないから、味は保障されているんだ。これぐらいは食べておけよ。今後、リッヒとホルは食べる機会がないかもしれんし」
「リッヒは微妙だけど、俺は間違いなくなさそうだ。うめっ!」
ハインリッヒも退職したあとで王子たちと会うつもりはない。
失礼を承知で本人たちにも告げてあった。
弟王子たちには年相応の駄々をこねられたが、兄王子たちにはヴィルヘルミーナと会えればいいと言われてしまった。
ヴィルヘルミーナを連れ出すくらいなら、自分が行く! と告げたかったがやめた。
アブグルントに任せておけと言われているからだ。
「……美味しいな。ミーナの手料理には負けるけど」
「お前もぶれないなぁ……まぁ、ミーナ嬢の手料理は確かに美味しいが」
「お前の婚約者は絶対料理なんて作らない人だもんな?」
「貴族の御令嬢の大半がそうだろう? あの方に料理をお願いするくらいなら自分で作るよ」
「それはそれでどうなんだ?」
ギードにも婚約者ができた。
ほぼ絶縁状態だった実家の関係者が城まで乗り込んできたのだ。
両親ではなく親族というのが何ともいやらしい。
ギードの実家や関係者に対する感情は広く知れていたので、王子たちが腰を上げてくれた。
こんなときに一番頼りになるのはテオドールだ。
ヴェンデリンに無礼者たちの排除を命じたその足で、養子先と婚約者を同時に見つけてきてしまった。
『テオドール殿下には感謝しかないし、死ぬまで忠誠を誓う心積もりはあるけれど……怖いわ……』
満面の笑みを浮かべたテオドールに養子先と婚約者を告げられたあとで、三人の前でこっそりと気持ちを吐露していた。
王子たちを敵に回すつもりはさらさらないけれど、一番敵に回して厄介なのはテオドールだろうというのは、四人の中で一致している意見だ。
「婚約者のお宅も、養子先の家も驚くほど裕福だからなぁ……上手な者に任せればよろしいのです。って言われる感じ」
「……肩身、狭いのか?」
「逆だよ。婚約者のご令嬢は生粋の貴族ではあるんだけど、えーと。慈悲深い感じ? あとたぶん。旦那様には尽くしますわ! という信条なんだと思う」
そこで先を続けるか瞬時迷って、頬を染めながら続けた。
「何時だって私だけは貴男を甘やかして差し上げますわ、未来の旦那様って……会う度に言ってくれるんだよ」
「うわ。包容力高っ!」
「生粋の貴族令嬢、強い……」
「お前にはあっている婚約者だな。褒められれば褒められるほど実力を発揮できるんだ。相性の良い婚約者で良かったよ」
褒めて伸ばす教育方法は有効だと知れているが、騎士団でその方法を使う者は多くない。
だからギードが褒められるほど実力を発揮する者だとわかるまでには時間がかかった。
ギードは三人のお蔭だと、ことあるごとに感謝して笑う。
「養子先の方々も皆人格者でさ。婿入りしても足繁く遊びに来てくれっておっしゃって。俺の部屋もしっかり用意されてたのは驚いたなぁ。勿体ないくらい洗練されているんだよ。それなのに寛げる感じ? 本来実家ってこんな温かいものなんだと、しみじみしてる」
ギードの未来も安泰だ。
ホルガーが退団してしまうから、何としてでもギードには残ってほしかったのだろう。
良い婿入り先、養子先を選んだらしい。
さすがはテオドール殿下。
「俺は騎士団残留。ホルは婿入り先で婿稼業。ギードは騎士団残留で婿稼業も兼ねるわけだけど……結局お前はどうすんの? アゼルフスの仕事をやるのか?」
アゼルフスの仕事をやるのか? の部分だけ小さく囁かれた。
暗殺に手を染めるのか? とは常に明瞭な発言をするフリッツでも聞けなかったようだ。
「うん。そうだよ。くれぐれも内密に頼む。髪と目の色を変えてアゼルフスの仕事に就く予定になっているんだ。暗殺はないと思う。もっと適した方がたくさんいるからね」
「さくっと髪と目の色を変えるとか言うけど……大丈夫なんか?」
「大丈夫だよ。いろいろと凄いんだ、あの組織」
一時的に髪や目の色を変えるのは負担が大きいとされている。
魔法と薬どちらもあるのだが、術者に旨味が少ないせいか魔法よりも薬が主流だ。
その薬は副作用が多い。
闇の仕事に就いている者は髪や目を変えた副作用で、体を壊す者が後を絶たないとされている。
「へぇ? 職場まで一緒になるのか。羨ましい奴め」
背後から突然拘束されて、頭の天辺に顎が降ってきた。
気配を察知していても好きにさせたのは、ヴェンデリンにも深く感謝しているからだ。
「俺にも一本くれ」
「どうぞ」
まだまだ山盛りの肉を指差すので、大きそうなのを選んで取って渡す。
むしゃあっと豪快にかぶりついた。
「……今日は婚約者様をお連れでないのですか?」
「誘ったけど断られた。皆が緊張してしまうでしょう? 少しは考えてから物を言ってください……ってさ」
「くぅ、格好いぃ!」
「そこに痺れる、憧れるぅ!」
ヴェンデリンの婚約者は一目惚れした淑女に決まった。
幾度か断られたがヴェンデリンが押しに押して陥落させたという。
その際、私の話をきちんと聞いてくださるのが、条件です! と言い切られたらしい。
王子の中では先走りがちなヴェンデリンではあるが、部下の話も細かいところまで聞いてくれる得がたい上官だ。
兄王子たちのお小言も大きな体をできるだけ小さくして聞くし、弟王子たちの忠告にすら素直に頷く。
あえて条件にする必要もないと思ったが、押しまくったのが問題だったのかもしれない。
王子に執拗に言い寄られてしまえば断るのは難しいだろう。
「既に尻に敷かれていますね?」
「お前にだけは言われたくねぇな、リッヒ」
「僕は望んで敷かれていますよ。彼女はできた人ですからね」
「俺の婚約者だってできた人だぞ! 日々敬愛が募るばかりだ」
婚約者を語るヴェンデリンの口調は熱い。
聡明な婚約者の、掌の上でころころと転がされているようだ。
「彼女はミーナを絶賛していてなぁ。できれば王城に残ってほしいと言っていたぞ?」
「それは無理です」
「だよなー。断られると思いますが、縁はしっかり繋いでおいてくださいませ。とも言われたよ」
「……アゼルフスに御依頼を考えていらっしゃるのですか?」
「あそこは手広くやってるんだろ。希少な化粧品が欲しいらしい」
「なるほど。納得です」
ヴィルヘルミーナから毒だけでなく、手に入りにくい薬や化粧品の取り扱いもあって、なかなか人気があるとは聞いていた。
アブグルントの調合する化粧品は市場に出回る物とは比べようがないくらいに高性能なのだとか。
自分も早くあそこまで到達したいわ! とヴィルヘルミーナが目をきらきらさせながら言っていた。
「へぇ、そうなんだ。俺も婚約者にプレゼントしようかな」
「俺も! 俺も!」
「自分もいいかな?」
三人にも言われてしまった。
アゼルフスという組織の成り立ち上、まずいかもしれないと躊躇したけれど。
彼らと縁が切れないのは嬉しかったので、許可が下りたら手配する約束をした。
ギードが遠慮がちにしっかりと契約書を準備し始めたのには笑ってしまった。




