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年上の矜持。3

 


 フランツィスカの暗殺は王族の許可が出ている。

 このまま放置で問題はなかったが、多少の後始末は必要だ。

 ヴィルヘルミーナがまだ呑気に惰眠を貪っている養子を揺り動かそうと、そちらへ歩みを進めた。

 するとハインリッヒも同時に動く。

 男性の足の分、養子に近付くのはハインリッヒの方が早かった。


「起きろ。トビアス・ハンマーシュミット」


 名前を呼びながら肩を揺さぶる。

 睡眠薬は即効性だが、長く効果が続くものではない。

 幾度か瞬きを繰り返したトビアスは意識がはっきりしたのだろう。

 目の前で己の顔を覗き込んでいるハインリッヒを憎々しげに凝視した。


「貴様の最愛は死んだ。貴様はどうする?」


「復讐を!」


「できるわけないわ」


 肩を竦めながら距離を縮める。


「え……ヴィルヘルミーナ嬢? 王城メイドの君が、何故ここに?」


 どうやらトビアスはヴィルヘルミーナの本職が暗殺だと知らないようだ。

 フランツィスカが関わらなければ評価の悪い男性ではなかった。

 一介のメイドに対しても普通に礼儀を尽くす。

 だからこそ、テオドールも慈悲をと言ったのだろう。


「フランツィスカ・ハンマーシュミットの暗殺は王族の希望でした。ですから信用されている私が派遣されたのです」


 勿論ハインリッヒが関わっているからヴィルヘルミーナが来たのだけれど。


「きみ、が。暗殺を?」


「はい。アゼルフス所属です」


「なるほど……道理で仕事ができるわけだ」


 フランツィスカの暗殺を口にしたのだがそこには反応しない。

 まだ現実と夢の狭間を彷徨っているのだろうか。


「……トビアス殿。愛しい姫君のことはどうでもいいのだろうか?」


「彼女は、死んだんだね」


「ええ、私が殺しましたわ」


「手を、貸してくれるかな?」


 トビアスがヴィルヘルミーナに手を伸ばす。

 ハインリッヒが手を取って代わり、勢いよく引っ張った。

 まだ眠りから覚めたばかりで足元が覚束ないトビアスがよろめいて、ハインリッヒの胸元にしなだれかかる。

 一部の女性が大喜びしそうな光景だ。

 

「しっかりと立ってくれ。ミーナに抱きつくつもりだったのか?」


「……少なくとも君に抱きつくつもりはなかったよ」


 鞭を振るっていたハインリッヒに対しても憎悪は見られない。

 諦観でもない。

 極々普通の、否。

 どちらかといえば親しい騎士と高位貴族のやり取りだ。


 トビアスはよろよろとベッドに向かう。


「綺麗には、死ねなかったようだね。フランツィスカ」


 猛毒に塗れた全身は醜い。

 まだ死んでから時間が経っていないのに、余すところなく死斑で埋め尽くされていた。

 口の中や瞼の裏までも出ているだろう。

 ここまで強い毒は一般的に流通しない。

 検死をする者はアゼルフスの暗殺者に殺されたのだと、一番に書き留める。


「……フランツィスカ嬢に随分と囚われていたようだけれど?」


「ハンマーシュミット家の当主と妻の命を盾にされてね。傀儡になっていたんだ」


 首元から取り出されたのはパフュームペンダント。

 香水の香りが仄かに長く続くので貴族の中では人気のある装飾品だ。

 

「この中に入っている香水の効果で、私はフランツィスカに盲目的な状態だったという仕掛けさ」


「ああ、本人が近くにいなければ効果が薄くなるから……」


「ミーナは詳しいね」


「アゼルフスのお得意様にのみ販売されている装飾品よ。ただ……中身の香水は別物が使用されているようだけど」


「おや? 別物なのかい。フランツィスカは間違いのない筋から手に入れた物だと言っていたのだけれど……」


 アゼルフスの名前を騙る愚か者が跋扈していれば問題だ。

 アブグルントに直接伝えておこう。

 

「それで、私はどうなるのだろう?」


「テオドール様から一度だけ慈悲をと言われています」


「律儀だなぁ、彼も」


 トビアスが困ったように笑う。

 王子の中でただ一人、正妃の子供にもかかわらず冷遇されていた過去。

 冷遇は王妃にできない八つ当たりをテオドールにしていただけなので、王妃の死後冷遇していた輩は大変な目に遇っている。

 トビアスにここまでの慈悲を見せるのであれば冷遇されていた期間、よほど心に残る対応をしていたのだろう。


「王子の中では一番頭の回転が早い方ですし。名家を断絶させるのも得策ではなかったのかと」 


「……ミーナ。人の気配が近付いてきている。早くここを離れた方がいい」


「あ、そうだね。慈悲がいただけるなら、あとは私とハインリッヒ殿に任せてほしい」


「わかりました。それでは、失礼いたします」


 軽く頭を下げて入ってきた窓から出て行く。

 おぉ! とトビアスとハインリッヒが仲良く感嘆する声が聞こえた。

 音を立てずに窓から出て行く様子はそれほど感心するものなのだろうか。

 何だか仲が良い友人たちに見送られるような擽ったい気持ちを抱えながら、屋敷をあとにした。



「ありがとう、ヴィルヘルミーナ。上手く収められたよ」


「テオドール様のお心に叶う結果になって何よりでございます」


「うんうん。ハンマーシュミットの御当主たちもこの国に残ってトビアスを支えてくれるし、トビアスは改めて国に忠誠を使ってくれたしね。兄上の側仕えの件も禊ぎが過ぎたら考えてくれるって!」


「ジークヴァルト様の側仕えですか……」


「本当に仕事ができる人だし。今回の事件は養子の美談っていう形にしたいからね。兄上も喜んでいるんだ」


 美貌の騎士を自分のものにしようとした悪辣な公爵令嬢。

 尊敬する養い親の命を盾にされて薬漬けになり、傀儡となってしまった養子の嫡男。

 囚われの身となった、美貌の騎士の説得により、傀儡から覚醒した養子の嫡男が騎士と協力して公爵令嬢を粛正した……というのが公式発表。

 一部の女性たちがこの発表に歓喜して、一生懸命広げているのだとか。

 高位貴族に多いようです、腐った趣味をお持ちの貴婦人たちが。


「苦労している養子は多いからね。この件をきっかけにして、不遇を託っている養子たちをどんどん採用していく予定だよ」


 確かに求められて養子になったというのに、仕事と過失ばかりを押しつけられる養子の悲劇をよく聞いている。

 養子実子に限らず頑張って成果を残している人は報われてほしいと切実に思う。


「それでミーナはどうするの? ばれちゃったんでしょ、暗殺業も兼ねているメイドだって」


「正しくはメイド業を兼ねている暗殺者ですけどね」


「自分で言うつもりだったんでしょう?」


「どうでしょうね。ただばれてしまっても、あまり落ち込んでいません」


「もう、人ごとみたいだよ、ミーナ」


 苦笑するテオドールだが、あれからハインリッヒと会う時間が取れていないので、現実感が薄い。

 二人で会う時間がなかなか作れないのは、幼馴染みや親しくなった騎士仲間があれこれ画策しているせいだろう。

 あまりにも爆発的に広がった今回の一件について、彼らなりに考えた結果。

 ハインリッヒがトビアスと真実の愛に目覚めた。

 もしくはそんな真実の愛を王族が後押ししている……という結論に辿り着いてしまったようだ。

 しつこく尋ねてもハインリッヒが沈黙を守っているからだろう。

 守秘義務もあるので説明が面倒なのかもしれない。

 ただそろそろ限界かなぁとは思っているので、ヴィルヘルミーナの方から幼馴染みたちに説明をしてもいい気がしている。

 何しろ彼らからの接触が一切なくなっているのだ。

 ヴィルヘルミーナのことは切り捨てて、彼らが考えるハインリッヒの幸福を追求しているのだろう。

 とんでもない勘違いについても長い付き合いだ。

 それだけハインリッヒを大切にしているのだと思えば、笑ってなかったことにしてしまえる。


「仕方ないなぁ。リッヒ君と二人きりの任務を考えてあげるから」


「あ、助かります」


「二人きりでゆっくりと話し合ったらいいよ。君たちは大体話し合いができていないと思うんだよね」


「耳が痛いです」


 まだヴィルヘルミーナが王城に勤めだした頃。

 王子たちに対しての忠言をそのまま言われているのに、つい苦笑してしまう。

 兄が妹にするようにお説教をするテオドールとて、あの頃は正妃による重圧に押しつぶされて、弟たちとの関係はよくなかった。

 決まった時間でのティータイムが設けられ、毎日たわいもない話をするようになって、今の関係ができている。


 言葉にしなくてもハインリッヒになら通じている、と思う機会が多かったのは事実。

 最大の秘密がばれてしまった以上、ヴィルヘルミーナも腹をくくるしかない。


 ハインリッヒとの逢瀬はさて何処が良いだろうかと、テオドールの続くお小言を聞きながら、ヴィルヘルミーナは雰囲気の良い外出先をあれこれと検討し始めた。


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