年上の矜持。1
泣き虫だった幼馴染みが成り上がって求婚してくる件について。
「や、普通は求婚より先に婚約じゃないの?」
「落ち着いてくださいよ、ミーナ先輩。貴族でもあるまいし。平民は婚約しない方が多いみたいですよ。最近即日婚も流行っているって耳にしました」
「そ、即日婚」
「そうです。羨ましいですよね。自分の意思で簡単に結婚できるなんて」
忙しく働くヴィルヘルミーナを心配する同僚たちは、休憩時間を取らずに動こうとすると強引に休憩所まで引っ張っていく。
一番回数が多い彼女は、ヴィルヘルミーナが後任を任せても良いと判断した後輩。
高位貴族に生まれながら家督争いを厭い、自らメイドになった変わり者。
ふわふわの金髪に美しい宝石よりも輝く紫色の瞳。
小柄で愛くるしい容貌をしていながらも、ヴィルヘルミーナと同じ戦闘メイドの扱いだ。
熟練戦士でも手こずるメイスを自在に振り回して王族に仇なす者を撃退する。
公爵家三女アンネリーエ・バルシュミーデ。
「……そういえば、リーエには恋人がいたわよね?」
「いえ、いませんよ。婚約者はいますけど」
「え? そうなの? でも先日の休暇は王都デートをするって、言ってなかったかしら?」
「ああ、それは恋人ではありませんよ。賛美者ですね。私はメイドですけれど、貴族としての地位を捨てたわけではありませんので、言い寄ってくる輩が多いんです。せっかくなので賛美者と呼んで私がいいように使わせてもらっています」
屈託なく笑うアンネリーエは驚きの内容を日常会話の一端として語った。
奔放な貴族令嬢の話はよく耳にする。
しかしアンネリーエの名前は一度も挙がってこなかった。
よほど上手に動いているのだろう。
「婚約者も好きにしていますしね。所詮は政略結婚前提の婚約なんてそんなものです」
「政略結婚……」
「貴族には多いですよ? 私も産まれてすぐに婚約が整いましたし。私の行動を制限しないし美丈夫なので、そのときがきたら大人しく結婚する心積もりです」
「行動の制限……そこ、重要よね?」
「ええ、重要ですね。私や先輩みたいな性質の女には。さ、先輩の好きな銘柄です。喉を潤してください。お茶請けは料理長の新作ですよ。季節のマカロン。中のマロンクリームが秀逸なんです」
マカロンのような繊細な菓子は料理長の独壇場だ。
新作が仕上がる度にヴィルヘルミーナとメイド長が試食しているが、その時点でも非の打ち所がない仕上がりで、毎回惚れ惚れする。
必ず改善点を提案できるメイド長には尊敬して久しい。
ほろっと崩れるマカロン生地と、濃厚でねっとりとしているマロンクリームの組み合わせは、控えめにいって最高だ。
「第一騎士団に上り詰めてやっと告白できる資格を得たと思ったんじゃないですか? ハインリッヒ君」
「恋人をすっ飛ばして妻は無理よ。ずっと幼馴染みとしか考えていなかったし」
……というのは本音ではない。
自分がハインリッヒに抱く感情が恋愛だと、時々は考えてみた。
何しろ我ながら強い執着だったからだ。
特別なのは幼い頃、そばで守り切れなかった後悔が強いのだと思い込もうとしていた。
そもそも孤児院を出てから暗殺の技術を叩き込まれ、王城に上がってからはメイドとしての仕事を覚えつつ暗殺稼業にも勤しんでいたので時間がなかった。
自分の感情に向かい合えていなかったのだ。
つまるところ。
ヴィルヘルミーナにおいて結婚どころか恋愛すら未知の領域なのだ。
アンネリーエのように、恋愛と結婚は別物とする考え方を否定するつもりはないが、ヴィルヘルミーナに愛のない結婚は無理だった。
「あれだけ、大好きです、愛しています、貴女だけです! と言葉にして、態度にも出していたじゃないですか」
「や、その……リッヒが言う愛しているは、家族愛かと……」
「……ハインリッヒ君の頑張りが全然先輩に伝わっていない悲報。彼のお友達が嘆きそうです」
「うん。求婚された日から、いろいろと言われているよ……」
まずフリッツ。
『あれだけリッヒを特別扱いしておいて、求婚を受けないとか頭がおかしいぞ、お前。大体考えてみろよ。リッヒがお貴族様の婚約者とかに収まって、やっていけると思ってんのか?』
それは無理だ。
ハインリッヒに執着している令嬢は掌握しているが、誰一人としてハインリッヒ本人を見ていない。
顔だけ、地位だけならまだ良い方で、王子たちに言い寄る当て馬としか考えていない者が多すぎた。
そもそもハインリッヒは自分の血筋から、貴族と縁づくのは危険だと理解している。 王子たちからもそれとなく忠告されたらしい。
次にホルガー。
『子供を産みたいなら早い方がいいじゃねぇか。夢を見過ぎだな。婚約期間をすっ飛ばして早く一緒になりたいリッヒの男心をわかってやれって。次期メイド長と謳われている夢見る夢子さ~ん』
夢見る夢子は酷い。
婚約してから結婚がしたいわけではない。
今の今まで恋愛対象として見てこなかったが、とても大切な存在から、いきなり結婚をしてほしいと請われて戸惑っているだけだ。
段階を踏んでほしいと思うのは悪いことではないはず……。
『ハインリッヒ君が必死にアプローチしていたのに気がつかない、鈍感な君にも問題があると思うけど……』
ヴィルヘルミーナの愚痴に答えてくれたのは侍従長。
尊敬する上司から言われてしまうと、さすがに反省するしかない。
ないとは思う、けれど。
年上の、矜持というものがあるのだ。
受け入れるのであっても、余裕を持って受け入れたかった。
しかしギードの言葉に、更なる戸惑いを感じてしまうのだ。
『その……ヴィルヘルミーナさん。王子たちが納得するお相手は正直ハインリッヒしかいないと思うんです。今の状態が続くと……王子たちの誰かが、ヴィルヘルミーナさんの伴侶の座を希望される気がします』
これだ。
自分の結婚に何故王子の許可が必要なのか。
実際許可があった方が良いが、なくても問題はない。
王城を辞めてしまえばそこまでの干渉は回避できるだろう。
王子たちの伴侶として求められる?
それこそあり得ない話だ。
ジークヴァルトには隣国の第一王女との話が進んでいる。
テオドールには他国の第二王女と別国の第三王女からの打診が激しい。
ヴェンデリンは国内で活躍する女性騎士の名前が挙げられている。
ハルトヴィヒとエーミールですら国内の高位貴族からの打診が後を絶たないのだ。
万が一王子たちが望んだとしても、王や寵妃が許さないだろう。
何しろ身分の差による婚姻の悲劇は二人がよく知っているのだから。
「ハインリッヒ君の頑張りは認めていらっしゃいますよね?」
「それは当然よ! 幼馴染みとして鼻が高いわ」
第三騎士団所属時、採取時に偶然遭遇したケルベロス討伐。
そもそもケルベロスは山奥に潜み、人の気配があるところには生息していない。
過去に召喚魔法を使って王城に五匹のケルベロスが呼び出されたときの被害は、騎士団の大半が死亡。
無傷の者はいなかったという大惨事だった。
一匹であれば討伐できる! と宣い特攻していった、第二騎士団所属の騎士は両腕を喰われて退団を余儀なくされた。
呆れつつもハインリッヒが一刀を浴びせて気を引かなかったら、間違いなく死亡していたとその場にいた全員が証言したという。
その騎士が高位貴族子息だったのと、ケルベロスを討伐した褒美として、第二騎士団へ昇進した。
余談だが、そのとき無理矢理ついていった第二騎士団の騎士たちは第三騎士団へ降格。
その空いたところに、フリッツたちも入り込んだ。
ハインリッヒを上手くサポートしたらしい。
何せそのケルベロス。
三つある頭の内、一体が炎を吐き、一体は吹雪を吐き、一体は毒を吐いて場を混乱の渦に巻き込んだというのだから恐ろしい。
普通のケルベロス場合、三つの頭が一つずつ攻撃をする。
しかしこのときのケルベロスは三つの頭が同時に攻撃をしたのだ。
当時の様子をギードが丁寧に熱く語ってくれたので、現場の惨状は十分に窺い知れた。
第二騎士団に所属して間もなく。
今度は犯罪組織を摘発した。
犯罪者ではない、犯罪組織だ。
その話を耳にしたとき、まさかアゼルフスじゃないよね? と一瞬だけ内心で慌てたのは内緒だ。
摘発されたのは貴族専門の人身売買組織。
存在は噂されていたのだが、高位貴族がかかわっていたため、摘発どころか存在の詳細すらも知られていなかったのだ。
組織幹部の愛人たちがハインリッヒに惚れ込んでしまい、我先にと情報を漏らした結果。 摘発に繋がった。
『仕事をした気がしない……』
と周囲にもてはやされている最中に脱兎の如く逃げ出して、ヴィルヘルミーナを訪れて開口一番がこの言葉だった。
気持ちはわかるがハインリッヒの美貌がなければ愛人たちは永遠に口を噤んでいただろう。
まさしく魔性の美貌だ。
凜と佇む美しさと、女性に靡かない様子から白百合の騎士様! と二つ名で呼ばれているのだとか。
『白百合なんて恥ずかしい。ミーナに似合う二つ名なのに……』
とテーブルに懐いていたハインリッヒに反応して。
『ミーナが白百合とか無理ありすぎ。ミーナは黒薔薇だろう? 真っ黒で棘だらけ』
フリッツがすかさず茶化した。
黒髪黒目で鞭を扱う、ヴィルヘルミーナの暗殺者としての二つ名が、黒薔薇、なのだと知られたかと思って焦った。
心配して後日調査をしたら、あくまでも偶然だった模様。
茶化したときと、調査結果を知ったとき、遠慮なくフリッツの頭を勢いよくひっぱたいておいたのは当然の権利だ。
「認めておられるなら、きちんと返事をされた方がよろしいかと。日に日に落ち込んでおられますよ、ハインリッヒ君」
「わかってる。わかっているんだけど!」
どう対処したら良いかわからない。
や、わかっている。
求婚を受け入れるしかないのだと。
受け入れないとあらゆる方面から苦情を持ち込まれるのだと。
わかっていても、厄介なプライドが邪魔をするのだ。
自分がここまで意固地になるとは思っていなかった……と、どんよりとした雰囲気を漂わせながらティーカップを傾けるヴィルヘルミーナ。
そんなヴィルヘルミーナを見詰める、百戦錬磨のアンネリーエの眼差しは、何処までも慈悲深いものだった。




