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仕事は秘密にしたい。3

 


 秘密の定義とは何だろうと、ヴィルヘルミーナはふと考えた。


「ミーナ先輩。ぼーっとしてちゃ駄目ですよぉ」


 何度注意しても改善されない舌足らずの話し方が良く似合う後輩。

 伯爵令嬢でありながら、王子の専属メイドを選ばなかった変わり者。

 彼女もまた、暗殺の技を身につけていた。

 貴族、怖い。

 彼女の場合は代々王族の影を送り出している家系だったのだ。

 短くはない歴史の中で、彼女は飛び抜けて優秀だと評価されていた。

 それゆえ王子付になるように家族から強く言われていたのだが、反発して一番下っ端から普通のメイドとして入ってきたとのこと。

 本人にそう言われた。

 

「もぅ。綺麗な顔に傷がついちゃったじゃないですか、ぷりぷり」


 腰に両手を当てて、頬を膨らませながら怒っていると擬音で表現してみせる幼さが彼女にはよく似合う。

 他の人がしたなら、鬱陶しいと思う所作も彼女の場合はただただ純粋に愛らしく見えるのだ。

 大きな瞳に豊かな睫。

 愛らしい頬のまろみに片えくぼ。

 希少な宝石よりも美しく輝く金色の瞳に見詰められれば、ついつい見惚れてしまう。


「もう。ミーナ先輩ってば、私の顔が好きですよね。無防備がすぎますよ! 可愛いから役得ですけどね」


 豪奢な刺繍が施されたハンカチで頬にできた傷を拭われる。

 血液で汚すべきハンカチではないのだが、彼女は頓着しない。


「可愛いのはコンスタンツェでしょう?」


「いいえ、ミーナ先輩です」


「仲が良いのはわかりましたから、早く処理してくださいね」


「「はい、メイド長」」


 暗殺の技術を学んでいないメイド長だが、陰惨な現場に動じない。

 

 ヴィルヘルミーナとコンスタンツェの足元には血まみれで事切れている遺体が、ごろごろと転がっていたのだ。



「はぁ……しんどかったです」


「訓練で筋肉がつくのがわかるけれど、無駄につきすぎだったわね、今回の襲撃者たちは」


「騎士崩れと報告が上がっておりましたからね。解雇されてから行った独自の訓練が微妙だったのでしょう。さぁ、お飲みなさい」


 メイド長特製薬茶は口に苦いが効果は抜群だ。

 遺体処理のせいで痛んでいた箇所から、すうっと痛みが引いてゆく。


「……苦いけど利きますねぇ。苦みって取れないものですか?」


「良薬口に苦しと言うでしょう?」


「ミーナ先輩、改良できませんか?」


「メイド長のお茶のレシピは完成形よ。手は加えられないわね」


「残念ですぅ」


 そう言いながらもコンスタンツェは一滴残らず飲み干している。


「ヴィルヘルミーナ」


「はい、どうかしましたか? メイド長」


「本来であればこれは他言無用なのですが、他ならぬ貴女自身のことですから、尋ねますね」


「何なりとも」


 メイド長はかなり躊躇って、新しい紅茶を淹れてから重い口を開いた。

 常に何かを話している印象が強いコンスタンツェは、大変空気が読める子なので、ヴィルヘルミーナの隣で紅茶を飲みながら沈黙を守っている。


「ジークヴァルト様から、貴女に決めた相手がいるのか、尋ねられました」


「……メイド長は何とお答えくださったのですか?」


「自分は報告を受けておりません、とお答えいたしました」


「ありがとうございます」


 ここでいませんと答えられてしまったら、次の段階へ進まれてしまったと思う。

 ただの時間稼ぎでしかないとわかっていても、そう答えてくれたメイド長には感謝しかない。


「へぇ。ジーク様の正妃になさるおつもりですかね?」


「……コンスタンツェ。ここだけの話になさい」


「わかっておりますよぅ」


 唇を尖らせるコンスタンツェは口が軽いと評価されている。

 実際よく謳う。

 けれどメイドとして漏らしてはいけない情報は決して漏らさない。


「まさか本気で自分を? 誰がどう考えても無理でしょう」


「あら、貴女は優秀よ。研鑽を積んできた高位貴族令嬢にも劣らないわ」


「メイド長……」


 組織に売られたときから施された教育は幅広く深い。

 物覚えが良いヴィルヘルミーナを面白がって幹部連中が頑張りすぎた結果だ。

 アブグルントですら薬学と暗殺術を自ら教授してくれた。

 城勤めとなってからは、メイド長が自ら仕込んでくれたのだ。

 王子たちの勉強時間に、こっそりとヴィルヘルミーナを配置したのもメイド長の計らいだろう。

 孤児上がりのメイドとは思えない知識や振る舞いは身についている。

 

「そうですよ。ミーナ先輩は自己評価が低すぎるんです。私としてはアゼルフスの人間が王妃とか最高! って正直に思っていますよ?」


「女性が育ちにくいアゼルフスから、王城へ来てくれたことには感謝しかないですね」


 この二人はヴィルヘルミーナの背景を知っている。

 知っていて、王妃になってもいいと思っているようだ。

 正直荷が重い。

 そもそもヴィルヘルミーナにはハインリッヒがいるのだ。


「心に決めた相手がいると、言ってしまえば。お断りできるでしょうか」


「難しいわね。最低でも婚約はしていないと無理でしょう」


「相手の地位によっては、王命で解消されかねませんよね」


 メイドのままでは断るのは難しい。

 ハインリッヒが近衛騎士になった上で婚約できれば断れるだろうか。

 や。

 そもそもヴィルヘルミーナとハインリッヒは恋人関係ですらない。

 婚約者になってほしいと懇願すれば、なってくれるだろうが、それはヴィルヘルミーナの望むものではなかった。

 ハインリッヒが幸せであるならば、自分以外の相手を選んでもいいと思っている。

 優先すべきは自分の立場より、感情より、ハインリッヒの幸せなのだから。


 そしてここにきてもまだ、ハインリッヒに暗殺稼業について告白するのを躊躇ってしまう。

 こんなにも重大な秘密を抱えたまま、婚約者になってほしいという権利はないだろう。


「頭が痛いです……」


「……ジークヴァルト様のお妃については隣国の王女が第一候補、テオドール様のお妃さまについても他国の王女が第一候補になっております。御本人も現時点では了承の構えです。ですがヴェンデリン様は国内の貴族であれば誰でもいいとおっしゃっておいでで、そこまではいいのですが……ヴィルヘルミーナより信頼できる人物! と公言されております」


「ヴェンデリン様……」


「ミーナ先輩も災難ですよね。ヴェンデリン様には一度しっかりと咎めておいた方がいいですよ。いろいろと送り込まれているじゃないですか」


 そうなのだ。

 王子たちほどではないが、ヴィルヘルミーナの元に様々な押し掛けがある。

 暗殺者も当然来るが、そちらは厄介ではない。

 ただ殺せばいいだけだ。

 問題はそれ以外。

 真っ当に交際を申し込んでくる輩も意外に面倒だった。


「王子付のメイドを捕まえて毒味しろと命じて、媚薬を飲ませるとか、去勢でよかったと思うんですよ。評判の悪い御子息でしたし?」


「……彼はヴィルヘルミーナ以外の王城メイドにも手を出していますからね」


「私はきちんと回避しましたよ」


「まさか媚薬が効かないとは思わなかったでしょうね、あの愚か者は」



 ヴェンデリンに頼まれた書類を近衛騎士の団長へ届けに行く途中に、放蕩息子と有名な貴族令息に話しかけられた。


『ねぇ、君。ちょっと、毒味をしてくれないかな?』


 王城の廊下でワイングラスを持って立っている不審者に、誰も声をかけなかった理由はわかりやすかった。

 その場にいた者たち全員が、ヴィルヘルミーナに対して含むものがあったからだ。

 日頃から何かと絡んでくる者たちばかりを配置した、手際の良さだけは賞賛に値した。


『ヴェンデリン様に託された重要書類を近衛騎士団長にお届けする途中でございます。御容赦くださいませ』


 深々と頭を下げて立ち去ろうとしたら、手首を掴まれた。

 書類をしっかり抱えていたため、上手に躱せなかったのだ。


『うるさい。いいから飲めよ。メイド如きが抵抗するな!』


 抱き込もうとした勢いでワイングラスが揺れて、中身が絨毯に零れる。

 掃除が大変だと思いつつ、手首の拘束をとこうとしたら、周囲にうろうろしていた輩が寄ってきてヴィルヘルミーナを拘束した。


『よしよし! そのまま押さえておけよ』


 頬を強く押されて口を開けさせられた。

 勢いよくワインを流し込まれる。

 喉越しで媚薬だと悟った。

 媚薬如き飲む前に判別しなきゃねぇ? と脳内でアブグルントの声が響く。

 即効性で有名な媚薬だ。

 発熱したように首から顔が真っ赤になったのを自覚する頃には、拘束も外れる。


『さ、行くぞ!』


 ぐいっと引っ張られたので、逆に距離を縮める。

 こうすると訓練していない者は大体足を絡ませるのだ。

 貴族令息もそうだった。

 すてーんと見事な尻餅をつく。

 その隙に、ヴィルヘルミーナは足早にその場を去ろうとした。

 貴族令息を助けようとするよりも、ヴィルヘルミーナを再度拘束しようとかかってきた輩には、状況判断がなってないわーと、首を振りながら容赦ない足払いをかける。

 誰が通るかわからない王城で馬鹿な真似をする奴らは隙だらけだ。

 全員が貴族令息よりも派手にすっ転ぶ。


 ヴィルヘルミーナは一部欠けてしまったワイングラスを丁寧に拾ってから、その場をあとにした。


『おい、待て! 俺様が火照った体を慰めてやるぞ!』


 何処までも人を小馬鹿にした貴族令息の叫びが追いかけてきたが、聞かなかったことにして近衛騎士団長の下へ急いだ。


 真っ赤な顔で近衛騎士団を訪れれば、驚きとともに迎え入れられる。

 仕事中にワインの匂いをさせるなんて、ヴィルヘルミーナがするはずないと信じてくれる程度の信頼関係は築けていたので、書類を渡しながら軽く説明をした。

 当然団長は激怒した。

 偶然その場にいたテオドールも激怒した。

 ヴィルヘルミーナへの暴挙は勿論だが、王子に依頼された書類を運んでいるのを妨害したという点も重く見られたのだ。



「貴族令息は去勢されて王城への出入りは禁止。手助けした者は紹介状なしの解雇になりましたから、少しは減ると思いますけれど……」


 メイド長が深い溜め息を吐く。

 減るけれどなくならない。

 そう言いたかったのだろう。

 今回のように間抜けな暴行はむしろ珍しい。

 今度はもっと水面下で動く者が増えていくだろう。


 山積みの問題を前にしたところで、ヴィルヘルミーナの最優先は変わらない。

 変わらないがさすがに疲れを覚えてしまうヴィルヘルミーナだった。

 

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