仕事は秘密にしたい。1
王城に勤めて既に年単位か継続しているが、ヴィルヘルミーナの本来の仕事は暗殺だ。
王妃亡き今、王子たちへの暗殺は格段に減ったが、暗殺者の訪れは多い。
その撃退も契約のうちなので諦めてはいるのだが、暗殺の仕事を持ちかけるのは切実にやめてほしいと思っている。
「……師匠。他に適任者はいなかったのですか?」
「いないねぇ。本当、女の子の暗殺者って育てにくくて困るよ」
今日は王都から一日かかる、とある地の悪徳領主暗殺に付き合わされている。
女性にだらしない領主らしく、任務に女性が必要不可欠らしいのだ。
「師匠の腕前なら一人で十分でしょう?」
「頭の緩い奴にはふっかけたくなるじゃん? 組織の運営って大変なんだよ。それにさぁ! ミーナはあいつらの頼みならよく聞くのに、どうして僕の頼みには難癖をつけてくるの?」
何やら拗ねているらしいアブグルントに、ヴィルヘルミーナは肩を竦めてみせた。
王城勤めの暗殺者には情報が集まってくる。
自分以外にも組織の人間は潜んでいて、全員が男性の先輩たちだ。
実はヴィルヘルミーナより長く潜伏している先輩もいた。
王子の寵愛を一身に受けるメイドとして、何故か有名になっているヴィルヘルミーナの元へ訪れる有象無象にしれっとした顔で混じって話しかけてくる。
『お、ミーナ。昨日ヴェンデリン殿下の所に来た暗殺者、締めておいたぞー』
『助かります。何か謳ってくれました?』
『そりゃもう、たっぷりと。お前の本職が暗殺者なのを知らないなんて三流だ。口は軽かったぜ』
くくくっと喉で笑った美貌をそうと見せない手練れの先輩は、三流暗殺者から搾り取った情報を事細かに語ってくれた。
『御礼は何でお返しします? 情報ですか。一杯奢りますか』
『どっちもいいけどな。気にしないでいい。忙し過ぎるミーナが心配で、手助けしてるだけだから』
『ですが……』
『じゃあ、お兄ちゃんありがとう! って言ってくれよ』
『お兄ちゃん、ありがとう』
『即答! しかも無表情! でも何時も通りのミーナで安心するわ』
孤児院から連れてこられたときの頃から面倒をみてくれる組員は、年の離れた妹のように接してくる。
既に優秀な侍従になっていた彼とヴィルヘルミーナが親しげに話をしていても、余計な勘ぐりを入れてくる輩は少なかった。
『しかし、ミーナ。王子連中に懐かれたなぁ』
声を低くして暗殺者特有の、何を話しているか周囲に察知させない話し方に切り替えた先輩にあわせて、自分も同じ話し方に切り替えた。
微妙に取得が難しい話し方は、幹部に上がれる条件の一つに加えられている。
『下の王子はまだミーナが暗殺者だって知らないんだろう?』
『知りませんね。エーミール王子は、もしかしてそうかも? ぐらいは思っているかもしれませんが』
『末恐ろしいな第五王子』
『良い子ですが、勘の良さには時々驚かされますね』
その点脳筋気質のハルトヴィヒ相手はお気楽だ。
『知っても上の王子たち同様、態度は変えなそうだけどな』
『態度が変わるのが当たり前だと思っていますから、そうでないのは嬉しいですね』
ヴィルヘルミーナがただのメイドではないと知った者たちの大半には距離を置かれている。
王城であればややこしい背景がある人間に関わらないと判断するのが正しい。
脅してくるような輩は当然排除になるし、仕事に支障が出るほどの拒絶は処分されるので、距離を置くのが無難な選択なのだ。
わかっているが少々悲しい。
無論しっかりと調べた上で、友好的な関係を築こうと頑張ってくれる人もいて、彼らに癒やされている。
だからこそ突然掌を返してくる人々には、そこはかとないもの悲しさを覚えてしまうのだ。
ハインリッヒが健康的に過ごせている姿を近くで見られて、随分緩くなっている自覚はある。
『上の王子たちの執着が、微妙に恋情寄りになりつつあるようだから……その点を踏まえてお仕えしろよ』
『恋情? ないわ。上の王子たちは自分の母親が苦労しているのを長く見ているもの。身分違いの恋愛などしないでしょう。好きな人に苦労をかけるのを厭う方々よ』
『裏稼業が長い自分でも良い方々だとは思うぜ? でも恋に落ちると人は良につけ悪しきにつけ変わるもんだからな』
メイドらしく整えた髪の毛をくしゃりと撫でられた。
先輩もまた己を制御できないような恋に落ちた過去があるのだろうか。
『王子がミーナに恋着していると勘違いした、お前自身を狙う暗殺者も増えているぞ。その辺も気をつけろ。自身の腕前を過信するなよ?』
『了解です、お兄ちゃん』
『ったく。言うこと聞かないと師匠に言いつけるからな』
言いつける前にアブグルントは知っていそうだ。
誰かが先輩を呼ぶ声がして、普通の声に素早く切り替えた先輩は、過信注意だぞ! と更に言い残して去っていった。
「師匠より先輩たちの言うことを聞くとか当たり前じゃありませんか? 何時だって先輩たちは私を大切にしてくれますし」
「僕だって大切にしているでしょ?」
「えぇー」
「もう! なんで伝わらないかな!」
ただアブグルントが持ち込む仕事は神経を使うものが多いので、疲れるのが嫌だという単純な理由で拒否しがちなのだ。
難しい仕事を達成すればヴィルヘルミーナの評価が上がるから手配しているのだと、何となく感じているので、最終的には引き受けている。
なので文句は言わないでほしい。
「今夜中に始末して帰城したいので、ちゃっちゃと動いてくださいね」
「……僕の行動に注文をつけるなんて、本当。ヴィルヘルミーナくらいだよ」
不意に真っ直ぐにヴィルヘルミーナを見詰めていた目が細められる。
ぞぞぞっと怖気が走った。
自分より格上の相手と対峙したときに感じる恐れにも似た感覚は、幾度経験しても慣れない。
そのあとで命のやり取りが行われる例が多いからだ。
「まぁ城から出て長期間一人で行動するのは目をつけられるからね。気持ちはちゃんと理解している、よっ!」
ナイフが空を切る音がした。
背後でどさっと人が倒れる音がする。
「あ、が!」
振り返れば全身黒ずくめの人物が転がっていた。
喉を掻きむしる気力があるのに驚く。
アブグルントの放つナイフには常に致死量の猛毒が塗り込められているからだ。
「ミーナに気配を察知させないあたり、一流の暗殺者だったんだろうけどね。一緒にいたのが僕だったのは不運でしかないかな」
苦しむ人物にアブグルントの声が聞こえたのだろうか。
唯一見える目が大きく見開かれて、事切れた。
「……これって、私に向けられた暗殺者ですか」
「それ以外に何だっていうの。ここの悪徳領主は殺すより使い潰す方向で話が決まっていたから、暗殺者なんて向けられないんだよ」
「そうでした。すみません」
アブグルントの声に苛つきが混じる。
巨大暗殺組織の長は、余計な質問や話を嫌うのだ。
自ら振る話以外は基本的に認めない。
自分の言動を振り返れば、しみじみ不必要な質問だったと思い知らされる。
素直に謝れば、アブグルントが深いため息を吐いた。
「気を引き締めるんだね、ヴィルヘルミーナ。今のままじゃ足元を掬われるよ?」
「……はい。集中します」
音もなくアブグルントの背後に降りたった人物に鞭を振るう。
ひゅ! という鋭い空気を切る音と同時に、殺された暗殺者の相方だったのだろう人物の首を締め上げた。
暴れようとする人物の両腕をアブグルントががっしりと押さえ込んだ。
息が吸えずに混乱する人物の瞳を穏やかに微笑みながら、凝視するアブグルント。
自分が経験した過去の恐怖を凌駕したのであろう人物は、想定よりも早く崩れ落ちた。
それだけ、アブグルントの穏やかな微笑は恐ろしいのだ。
長く勤める幹部ですら、あれだけは死ぬまで慣れない、と苦笑するほどの代物。
「ええ。今のは悪くない反応でした。鞭の使い方も上達していますね」
「ありがとうございます。精進します」
二体の遺体を足元に置きながら、師匠と弟子らしい会話をする。
他に見守っている者たちがいたなら、きびすを返して逃げ出すだろう。
場違い過ぎる光景なのだ。
「では、行くよ」
「はい、向かいます」
アブグルントの指示に従って悪徳領主の寝室に忍び込む。
フードを外して、静かに悪徳領主を優しく揺り起こし、やわらかく微笑んでみせる。
それだけの仕事だった。
「お疲れ様」
ヴィルヘルミーナに両腕を突き出した状態のまま、悪徳領主はベッドに突っ伏した。
アブグルントが背後から悪徳領主の首を切り裂いたのだ。
ヴィルヘルミーナは顔に飛んだ血飛沫を指の腹で丁寧に拭った。
「終了です……ねぇ、ミーナ」
「はい」
「こいつの暗殺命令、誰が出したか知ってる?」
「いえ」
「ジークヴァルト殿下だよ」
「は?」
王子たちの間では、悪徳領主はまだまだ泳がせておくという認識で統一されていたはずだ。
ジークヴァルトもつい数日前、いい加減に処分したいのだがなぁ……と溜め息を吐いたくらいだというのに。
「ミーナに手をつけようとしていたみたいでね。よりによってうちに誘拐の依頼を出してきたんだよ。うちは暗殺専門だって有名なのにさ。馬鹿だよね?」
ふと自分の今の仕事は暗殺と関係ないのでは? と首を傾げたが、直属の上司に当たるヴェンデリンを暗殺から守るために排除したり、先手を取って暗殺を画策している相手を暗殺したりしているので、一応問題ないのか……と納得した。
「いいかい。ミーナ。君が最終的に帰る場所が何処なのか。ちゃんと認識しておくんだよ」
今更の確認だ。
ヴィルヘルミーナが帰る場所はアゼルフスに決まっている。
暗殺を引退しても住んでいいと、既に許可は出ていた。
生きて引退できたら、アゼルフスでのんびり組織の家事をして過ごすつもりでいる。
けれど。
そうなるとハインリッヒとはどうなるのだろう。
彼を連れてはいけない。
ヴィルヘルミーナはハインリッヒに、自分の手が血で塗れているのだと、知られたくなかった。
暗殺という仕事を嫌悪してはいないが、ハインリッヒは好まないだろうとわかっている。
ハインリッヒとともにあるならば、ヴィルヘルミーナは組織を捨てなければならない。
孤児院よりもよほど帰る家と認識できた初めての場所を、ハインリッヒのためとはいえ、捨てる覚悟はなかった。
今はただ。
ハインリッヒに暗殺組織に属していると、知られたくないのだ。
「ミーナ?」
だから重ねて問われたけれど、曖昧な微笑を浮かべるだけで、頷けなかった。




