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拒否できぬ依頼。1

 運命のその日。

 泣き虫で一つ年下の可愛くて大好きな幼馴染み、ハインリッヒを護るため。

ヴィルヘルミーナは、孤児院を訪れた希代の暗殺者と呼ばれた男に、その身を委ねた。



 暗殺組織・アゼルフス。

 ビュッテルン帝国内どころか他国にも名の知れている組織の本拠地は意外に小さい。

 下級貴族の屋敷程度の広さしかなく、帝国の中心地からも離れた場所にある。

 当然だが関係者以外立ち入り禁止。

 しかも組織の中でも幹部と呼ばれる数人しか出入りを許されていないので、大きくある必要がないのだろう。


 末端まで数えれば数千とも謳われる巨大組織。

 そのトップであるアブグルント唯一の直弟子と認識されている、ヴィルヘルミーナは本拠地に住まうのを許可された数少ない一人。


 女性の部屋とは思えない必要最低限の家具が置かれた部屋で、愛用している武器の手入れをしていたヴィルヘルミーナは自分を呼ぶ声に、手を止めて顔を上げる。


「ミーナぁ?」


 ヴィルヘルミーナを愛称で呼ぶのはアブグルントだけだ。

 本当はもう一人、アブグルントとは比べようもない甘い声でそう呼んでくれる相手がいたのだが、今は離れて久しい。


「何ですか、師匠」


 扉を開ければアブグルントがとことこと部屋へ入ってくる。

 中央に置いてあるテーブルに手を置きながら、どっこいしょ! との掛け声とともに椅子へ腰を下ろした。


「何か飲みます?」


「うーん。これ!」


 差し出された小袋を受け取り、中身を確認する。

 爽やかさの中に僅かな甘みを感じさせる心地良い香気が鼻を擽った。


「……強烈な毒草を出さないでください。私も訓練はしていますけど、これを飲んだら死にますよ」


 香りの良さを高く評価され毒素を排除した茶葉も高値で売買されているが、一般常識の欠如した師匠のことだ。

 自分のコレクションの中から適当に選んだに決まっている。


「ミーナなら大丈夫だと思ったんだけどなぁ。鍛え方が足りてないよね」


「師匠以外の誰一人として生き残れませんよ。自分の体質が異常だって、いい加減理解してください。ルブロイトのファーストフラッシュがありますので、そちらのストレートで良いですね?」


 好ましい茶葉を用意していないと強引に毒草を推し進めてくるので、回避しようとしたら無駄に詳しくなってしまった。

 ルブロイトはビュッテルン帝国一の紅茶専門店だ。

 昔から飲まれている物は勿論、新作にも外れがない。

 好みがうるさい癖に、新しい物にも興味津々なアブグルント対策として最適な店だった。

 今では先方から新作が発売される度に連絡の手紙が届く程度には良客となっている。


「一応、砂糖とミルクも用意しておいてくれる?」


「はいはい」


 砂糖は角砂糖。

 紅茶の中でほろほろと崩れていく様子を観察するのが大好きなのだと、幾度となく聞かされた。

 今日はルブロイトの新発売品、薔薇の飾りが施された角砂糖を綺麗に並べる。

 貴族夫人や令嬢に人気が高く非常に品薄だが、店長は常にヴィルヘルミーナの購入分を避けておいてくれた。

 やり手の店長のことだ。

 ヴィルヘルミーナの師匠を慮っているのだろう。

 お気に入りの茶葉も角砂糖も、ミルクですら常備されているのだ。

 ミルクは陶器製のミルクピッチャーにたっぷりと、魔法で適温に温めておくのも忘れない。


「仕事が入ったんだけど、どうする?」


 差し出したカップを覗き込んで角砂糖を入れる。

 崩れきってからスプーンで混ぜて、ミルクを入れるのが、アブグルント好みの紅茶だ。

 拘りがあるらしく、どれほど忙しかろうと疲れていようと一連の流れは変えない。


「どうするって……拒否できる依頼なんですか?」


「できるけど、しない方がいいんじゃない?」


 今までの経験上問われたところで選択肢があった試しはない。

 拒否するにはリスクがありすぎるのがアゼルフスの仕事だった。


「長期依頼で女性限定。ミーナ以外だと死ぬと思うよ」


「はぁ? 敵対組織への侵入ですか?」


「王城のメイド。将来的にはメイド長になってほしいんだってさ」


「……王城は暗殺組織に頼まねばならぬほどに、人材不足なのですか?」


「あーねぇ? ほら、今の王様って真実の愛を貫いちゃった阿呆だからさ」


「本や舞台にもなってますからねぇ……それでも政治はしっかりやっているじゃないですか」


 だからこそ生かされているという話は暗殺者の間では有名は話だ。


「正妃は一人しか産んでないのに寵妃は五人も産んでるじゃん? で。正妃とその実家がばんばん暗殺者を派遣してくるから、いい加減面倒になったらしくって。寵妃の長男からの依頼」


「寵姫様の御長男……」


 王城には幾度か潜入した経験があるので間近で見ている。

 黒髪に蒼目で文武両道のできた王子だ。

 正妃の息子である弟王子も懐いている。

 王や寵妃の信頼も厚い。

 ヴィルヘルミーナは恐れ多いが彼を、尻拭い上手の苦労人と呼んでいた。


「まずは、三男王子についてもらって、仕事の様子を見つつ長男王子の専属メイドからメイド長就任を目標、だってさ」


「だってさって……」


 簡単に言ってくれる。

 王宮に上がる、新人メイドの死亡率の高さを知っているのだろうか。

 正妃の王子付きなら大丈夫だが、寵姫の王子付きメイドになった日には大変だ。

 まずは三日、次に三ヶ月、今の所、三年生きながらえたメイドはいなかったはず。


「ミーナは優秀だからねぇ。正妃から自分の王子に付けって言われる可能性も高いんだけど。頑張って寵妃の王子様に仕えてほしい感じ」


 本当にアブグルントは軽く言ってくれる。

 正妃の命令を一介のメイドが断れるはずがないというのに。


「正妃暗殺の話は出ているんでしょうか?」


「現時点では微妙かなぁ。王様は了承しているんだけど、御長男が渋っているらしいよ? 弟にとっては実母だろうからって」


「……次期王は御長男様で確定しておりますよね?」


「長男だし優秀だからねぇ。母親の身分は元男爵令嬢だけど公爵家に養子に入ってから婚姻を結んでいるから、本来は問題ないんだけど。正妃と実家が権力に物を言わせてるみたいだね。次男は長男を慕っているから、長男に王になってもらって自分は王を支えたい! って、ずっと主張しているらしいけど……やっぱり子供の意見は無視されがちだよね?」


 正妃本人と実家の暗殺で、全て上手くいきそうだけど、それでは恐らく駄目なのだろう。

 もしくは時間が必要なのかもしれない。

 

「はぁ……では資料をいただけますか」


「そうこなくっちゃ!」


 一見ボロボロに見えるが、長年使っている良質なマジックバッグである肩掛け鞄から書類が取り出される。

 本並みの厚さがあった。


「情報量が多すぎません?」


「王族だもん。仕方ないよね。いいじゃん、ミーナは読書が好きでしょう?」


「読書は好きですけれどね。物語が好きなんです」


 思い切り虚構の。

 現実では実現し得ない幸福な物語が。


「集中したいだろうから、僕は行くね。他に用事が入らないように人払いもしておくから。準備は何日必要かなぁ?」


「読むのに三日、それ以外で四日いただければ」


「ふふふん。さすが僕の唯一の愛弟子! 優秀だね」


「愛弟子とか虫唾が走るので止めてくださいよ」


「つれないなぁ。こんなに可愛がっているのに」


 さらっと頭を撫でられた。

 反射的に手を叩かなかったのは、叩けば叩くほど執拗に撫でられるから。

 昔は散々嫌がったものだ。

 今はどうやらヴィルヘルミーナの髪の触り心地が好みなのだと知って、大人しくしている。

 組織の幹部たちが、頭を撫でられて生きているのは、ヴィルヘルミーナぐらいだろうよ! と笑って言っているほど、アブグルントはヴィルヘルミーナを可愛がっているらしい。

 希代の暗殺者に可愛がられるとか不幸でしかないと思うのだが、不思議と嫌な感じはしなかった。


「じゃあ、頑張って。僕も時々様子を見に行くから」


「来なくていいです」


「愛弟子の心配をする師匠の心を少しはわかってほしいなぁ」


 と、わざとらしく大きな溜め息を吐いたアブグルントは、音もなく扉を開けて出て行った。


「……何度挑戦しても私の部屋の扉、音をさせずに開けられないんですけどね?」


 しみじみアブグルントは化け物だと思いつつ、ヴィルヘルミーナは自分の紅茶を淹れたあとで、集中して資料を読みふけった。


 

 アブグルントに宣言した一週間後。

 ヴィルヘルミーナは王城で面接していた。

 

「……君は暗殺組織で冷遇されているのか? アブグルント唯一の直弟子と聞いているのだが……」


 メイドが座るには高級すぎるソファの、対面に座っている第一王子ジークヴァルトが額に皺を寄せた難しい顔で問うてくる。


「いいえ。普通にどころか……孤児だと思えば随分と裕福な生活をさせていただいておりますが……」


「女性の荷物に、それは少なすぎると思うけど?」


 一緒にいて正妃に怒られないのだろうか。

 ジークヴァルトの隣に座る第二王子テオドールが首を傾げる。


「自分で用意したものはもっと厳選しておりました! ただそれはないだろうと、幹部たちに一からひっくり返されまして……この状態なのです」


「やー、頭悪い俺でも、年頃の女性の荷物にこれはないと思うぞ?」


 当初仕える予定になっている第三王子ヴェンデリンには深い溜め息を吐かれてしまった。


「第三王子のメイドとして仕えるのだ、最低限の装いはしてもらうぞ」


「あ、兄上! 俺だと上手く手配できないと思うんだ!」


「……少しはそういったところも勉強しろ。テオ、頼めるか?」


「はい、兄上! お任せください。品の手配もウェンデの調教も!」


「調教ってテオ兄……俺は猛獣か何かかよ……」


 がっくりと肩を落としたヴェンデリンがテーブルの上に並んだカップを手に取る。

 中に入っている紅茶がたぷんと揺れた。


「ヴェンデリン王子、毒です」


「え?」


「紅茶に毒が仕込まれています。僅かですが香りがします」


「えぇ?」


 ヴェンデリンの手から素早くカップを取り上げたジークヴァルトが、カップに鼻を近づけようとするので。


「失礼します!」


 ヴィルヘルミーナはカップと鼻の間に己の掌を差し入れた。

 手の甲にキスをされてしまったが、気にしている場合ではない。


「匂いでも毒を受けます。この国の毒ではありません」


「母上か……はぁ、ウェンデごめんな」


「令嬢をメイドにするとこれだ。ヴィルヘルミーナのような孤児の、積極的な採用を考えねばなるまいな」


 しょんぼりとする三人を視界の端に入れつつ、ヴィルヘルミーナは紅茶を布に吸わせて皮袋に入れると丁寧に締め上げた。

 珍しい毒なのでアブグルントに渡すつもりだ。

 アブグルントの喜ぶ顔が脳裏に浮かぶ。


「……ヴィルヘルミーナ、お前は主たち以外の前では笑わぬように」


「うん、驚いた。いいかい? 特に男性の前では笑ってはいけないよ?」


「破壊力すげぇなぁ、おい。俺、はき違えないように気をつけねぇと」


 メイド足るものむやみに感情を表してはいけないのは承知している。

 わざわざ指摘しなければいけないほどヴィルヘルミーナは不快な表情をしていたのだろうか。

 幹部どころかアブグルントにも評判の笑顔だったのだが、王族や貴族たちの感じ方は違うのかもしれない。


「メイドは感情を乗せぬものでございます。以降、更に慎重にいたしますので、御容赦くださいませ」


「む! 笑うなと言っているのではないぞ!」


「僕たちの前ではいいからね。むしろ笑って!」


「おう! 俺の鍛錬中とか、その笑顔で応援してくれ!」


「畏まりました」


 仕事の前に必ずする挨拶としては、頑張っていってらっしゃい。

 帰宅時の場合は、おかえりなさい、お疲れ様。

 その挨拶時は笑顔で頼む! と言った幹部の顔を同じ顔をしている王子たち。

 やはり自分の笑顔はそれなりに好評なのだろうか? と思い直したヴィルヘルミーナはもう一度、畏まりました、と頭を下げておいた。 

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