悟りと煩悩のエプロン校長
「はい、これ」
「?」
桜羽校長先生がモジモジ、上目遣いで赤いリボンのついた包みを差し出した。
「何ですか? これは」
「もう! せっかくのプレゼントなんだから『ありがとう、嬉しいよ! 開けてもいいかい?』って返してくれないかなあ」
そう言うと頬を吹くらませた。訳の分からない状況の中、即興でリアクションする才能を僕は持ち合わせていない。
「……開けた方がいいですか?」
「……どうぞ」
さらに不機嫌になった。
リボンをほどき、包装紙を開くと、そこから出てきたのは、ライトグリーンの厚手の布に白い紐がついたモノ。広げてみる。
「エプロンですか!?」
「そう、私とお揃い!」
そう言って、先生はカバンから赤いエプロンを取り出し、両手に持って自分の体にあてた。
「あの……いつものことではありますが、状況がまったくわかりません」
「ついて来ればわかります」
そう言って、僕に『勉強があるんで』と言わせるヒマを与えずに、彼女はくるりと向きを変えるとスタスタと歩き始めた。
先生がガラリとドアを開けたその場所は、調理実習室だった。
僕は初めてここに入ったが、アイランド型の洗い場やコンロなどが並んでいて、なかなか設備が充実している。
部屋の中はいい匂いが漂っている。
「桜羽先生、お疲れさまでーす!」
先生が入るや否や、調理台を囲んでいた女子生徒達が元気に挨拶した。人数は、いち、に、さん……全部で八人。よくみるとその中に男子部員が一人だけいた。みんな思い思いのデザイン、色合いのエプロンや三角巾を着けている。
そして先生が連れてきた僕を物珍しそうにジロジロ見た。まだ状況が把握できていない。
「みんな、頼もしい助っ人を連れて来たわよ」
そう言って僕を八人の前に押し出した。
「アシスタントのメガネ君!」
「助かりまーす!」と喜ぶクッキング部員たち。
「だからその呼び方やめてくださいって……え!? アシスタント?」
ヒソヒソと、こんな生徒いたっけとか、二年理系クラスの男子ねとか、名前は榊原君って言ったっけ、ああ最近桜羽先生が連れまわしている子ねとか、僕のことを色々言っているのが聞こえてくる。
「あの、先生、詳しく説明してもらえませんか?」
「あら、説明が必要? この様子を見たらわかるでしょ」
「まったくわかりません」
「しょうがないわね。じゃあ教えてあげる……二週間後に学園祭が控えています」
「はい?」
「で、わがクッキング部では、お店を出すことにしてるの」
「『わがクッキング部』って?」
「私、この部の顧問をやってるのよ」
「初耳です……先生、料理得意なんですか?」
「秘密です」
「……それはいいとして、学園祭に出るクッキング部と僕になんの関係があるんですか?」
「榊原君は、クラスの出し物とか参加してるの?」
「演劇をやるんですが、舞台セットの準備と撤去を」
「まあ、地味な役まわりね」
「ほっといてください」
そう。大事な土日を学校行事でまるまる潰されるのはごめんだ。前日に舞台用の造形を作ったら、片づけまでずっと時間が空くので、その間図書室で勉強していよう、という魂胆だ。
「じゃあ学園祭の間、ヒマでしょ。だから手伝ってもらうの。下ごしらえと洗い場とホールを」
「え!? そんな強引に。お断り……」
と言いかけたが、顔の前で手を組み、期待のまなざしで僕を見つめる女子たちの姿が目に入った。
「……わかりました。僕でよければ手伝います」
わあっと歓声をあげる女子たち。
「ええほんと! すごく助かるわ」
「学園祭の人気の出し物だから毎年忙しくて」
「イケメンが接客してくれたら女子たちも来てくれるしね」
と、口々に感謝の言葉。
「あら、君、イケメン枠に入ってるみたいよ。よかったね」
校長先生はちょっと面白くなさそうにフンッと息を漏らした。
「ありがとう、榊原クン! ……で、さっそくなんだけど、君って土曜のお昼とか何食べてる?」
部長と名乗る、銀縁メガネでお下げの子がいきなり聞いてきた。質問の意図がわからなかったが、とりあえず答える。
「そうだな、土曜月イチの特別授業の登校日は、帰りにコンビニ寄っておにぎりとか。休みの日はだいたい母に作ってもらってるかな」
「お母さん、どんなもの作るの?」
「うーん、なぜか土曜は手抜きっぽいのが多いな。朝の食材を刻んだ焼き飯とか、焼うどんとか」
「そうそう、ソレ!」
なぜかみんな嬉しそうだ。
「今度の学園祭のメニューのコンセプトなんだけどね『土曜のお昼の手抜きランチ』なの。見てみて」
彼女が指し示した調理台に並んでいるのは、ケチャップと玉ねぎまみれのナポリタン、真っ黄色なカレーライス、もやしどっさっりのインスタントラーメン、目玉焼きが載った焼きそばなど、確かに『土曜のお昼あるある』だ。
「今、試食してメニューを考えてるところ。よかったら一緒に食べて感想聞かせて。あと、お母さまから焼き飯と焼うどんのレシピ、聞いてきて」
「手抜きだからレシピってほどではないと思うけど、いいよ」
土曜の学園祭初日。
『サタデーずぼら飯店』と名づけられたクッキング部の臨時食堂がオープンした。厨房は調理室、食事場所は隣の一年生の教室。色褪せた暖簾が入口にかかっていたり、紙に書かれたメニューがずらりと壁に貼られていたり、学園祭らしからぬ、古ぼけた食堂のような装飾が施されている。
メニューとして採用されたのは、もやしオンリー・サッポロ一番みそ、チクワこんにゃく入り焼き飯(ちなみにうちの昼ご飯だ)、ケチャップ&つけて・かけてみそナポリタンに厚焼き玉子サンド。
オープン早々、僕は校長先生と一緒に呼び込み、接客、食器の回収、洗い物と目の回る忙しさだった。先生は、お揃いのエプロンだと言って嬉しそうに働いている。
「あの……これ、人使い荒すぎません?」
「そうかしら? 気の持ち方次第でしょ。かの北大路魯山人さまも『いいかね、料理は悟ることだよ、こしらえることではないんだ。』っておっしゃているのよ」
「……難しくてよくわかりません。だいたい僕、料理をこしらえてもいないです」
まあ、そんなこんなで学園祭初日は、大盛況のうちに品切れとなった。前年当日比、百五十パーセントの売り上げだそうだ。
二日目で最終日。
登校してみると、調理場の入口に大きな看板が立ててある。
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クッキング部×生物部コラボ
校長センセのマグロ解体シ・ヨ・ウ
十二時実演!
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何だこりゃ!?
十時にオープンした『サタデーずぼら飯店』は、昨日と同様に大盛況。忙しく接客する校長先生に看板のことを問いただしてみたが『見てからのお楽しみ♥』とはぐらかされてしまった。
十二時少し前。
ホールの教室は一時クローズされ、部員も来場者もみんな調理室に集まる。部屋の中はぎっしり満員だ。
真ん中の調理台には……まじにマグロ!? 全長一メートル五十センチはあろうかと思われるマグロ(種類はよくわからない)がドーンと置いてある。
部屋の照明が落ち、調理台真上の照明だけが灯る。
そこに、料理人が入場し、拍手が起こった。
その正体は……校長先生! 彼女の出で立ちは、すし職人が着るような調理用白衣に白い帽子、手には刀のような、やたら長い包丁が。両手を下方に広げてあいさつする。
そのドヤ顔からは、何者かになり切っているのがわかる。多分、よくテレビに出てくる寿司屋チェーンの恰幅のいい社長あたりだろう。
調理台の前に立つと一礼し、無言で作業にとりかかった。
先生を男女五人の生徒が取り巻いており、こっちは実験用の白衣を着用している。入口の看板から推定すると、彼ら彼女らは生物部の部員だろうか。
そのうちの一人の女子生徒が一歩前に出て説明を始めた。マグロの種類、その生態、絶滅の恐れ、国際的な条約、国内での完全養殖の取り組みなど。
そして校長先生は長包丁をふるい、ザクッ、サク、スーッとマグロ肉を切り分け始めた。
マグロの解体が始まると、女子生徒は指し棒で示しながら、マグロの体の構造を説明し始めた。
ヒレ、骨格、エラ、内臓などの基本構造に始まり。
マグロ肉が切り離され、先生が高々と上げて見せると、その部位の説明が加えられた。背の中トロ、腹の中トロ・大トロ、赤身、かま、テール、ほほ肉から脳天まで。
来場している子供からお年寄りまで、熱心に見聞きしている。
マグロ肉は、校長先生からクッキング部員にうやうやしく受け渡され、別の調理台に運ばれた。そこには大人の調理人が二人ほど控えていて、早速さばき始めた。
一通り『解体シ・ヨ・ウ』が終わり、先生が一礼すると大きな拍手が湧き起こった。
「みなさん、本日はご観覧ありがとうございました! 日曜の午後の特別メニューとして、中トロ丼、ヅケ丼、中落ち丼、カマ・テール焼きを隣の食堂でお出ししまーす! ぜひご利用ください」
そう案内すると、理科室、じゃなかった調理室にいた来場者はわれ先にと食堂に向かい行列を作った。
それからはもう、昨日に増した忙しさだった。校長先生は、エプロン姿に戻っている。
手を動かしながら先生に話しかける。
「あの、お見事な包丁さばきでした。あと、マグロの説明と料理を組み合わせたのもいいアイデアですね」
「ヘヘン! なかなかのもんでしょ」
すごくご機嫌だ。
「でも、ココのコンセプトは『土曜のお昼の手抜き食堂』ですよね? ちょっと違いません?」
「いいかね、料理は悟ることだよ。それに今日は日曜だしね」
意味がわからない。
「……偉人の名言をゴマカシに使わないでください」
こうして、手抜きメニューとマグロ丼は好評のうちに完売し、めでたく『サタデーずぼら飯店』は閉店した。
それから一か月後。
クッキング部と学食の業者さんのコラボで『月いちサタデーずぼら飯店』がオープンした。特別授業のある土曜日に、通常の土曜は休業している学食を間借りして、学園祭のメニューにさらにバリエーションを増やし、格安で提供している。しかも小学生以下の子供は無料で食べられる。
午前の授業が終わって僕も利用してみたが、たまたま校長先生がもやしサッポロみそを食べていた。僕は玉ねぎだらけのカレーを配膳口から受け取り、先生の向かいに座る。
「なかなかの盛況ですね。気のせいか、お年寄りと子どもたちが多いですね」
おばあさんグループと小学生が楽しそうに話しながら昼食をとっている。
「付近の小学校と敬老会に案内したからね。以前、『この辺、こども食堂がない』って福祉ボランティアの方が言ってたんでね」
「なかなかいいとりくみですね……でも材料費とか光熱費とか大丈夫なんですか? 結構安く出してますけど」
「ふふっ、クラファンで結構集まってるから大丈夫。情報システムの滝田先生が勧めてくれて、サイトも立ち上げてくれたの」
「へえ、そんなことまでやってるんですか!」
「出資してくれた人は、いつでもタダでココを利用できるようにしてるの。便利ね、ふるさと納税って」
「あー! クラファンの意味わかってないでやってるでしょ」
「いいかね、料理は悟ることだよ」
「だから、そうやってごまかすの、やめてください」
先生はラーメンのどんぶりを傾けてスープを飲んだあと、ぽそりと言った。
「あー、今度榊原君と一緒にエプロンしてお料理を作りたいな」
「え!?」
「なんなら私、裸エプロンでもいいわよ」
「……スマホのボイスメモ、オンにしました。さあ、どうぞ」
先生は舌をペロンと出して笑ったが、一つ聞いておきたいことがあった。
「あの、マグロの解体ショーの後、丼ものやカマ焼きをメニューで出してましたよね?」
「そうだけど?」
「そのメニューの中に、生物部の部員が説明してくれた大トロ、ほほ肉、のど肉、脳天なんかの高級・希少部位のメニューは無かったと思うんですが」
「なんのことかしら?」
先生はキョロリと斜め上に視線を向ける。何かまずいことがあった時にやるクセだ。
「それらは、どこに行ったんでしょうねえ……たまたま先生がお帰りになるとき、大きなクーラーボックスを抱えているのをお見かけしたんですが?」
「……ごちそうさま!」
手を合わせてアイサツをすると、先生はトレーを持ってそそくさと食器返却口の方に去って行った。