混ぜると危険なカンケイ
「先生が理系だというお話は、こないだ聞きました。それに小学生達に立派に生物の授業されていたのも見ています……でもここは化学の実験室なんですが」
先生は制服のブラウスの上に、白衣を着用している。
実験の邪魔になると考えたのか、今日は『私、一日女子高生♥』のタスキはかけていない。
なぜ僕と同じ班に入って実験台を一緒に囲んでいるのか?
同じグループの生徒達が困惑しているので、たまたま(?)先生の隣に並んだ僕が聞いてみる。
「先生、……女子高生をやるのは、こないだの『1日だけ』だけだったんじゃないですか?」
「別にそんな約束していないわよ。ほら、今日はタスキもしてないし」
あの晩。先生の叔父の理事長さんに中国料理をご馳走になった帰り。
先生は愁いを帯びた瞳で僕を見つめていた。いったいあれはなんだったのか?
「実験の安全運用マニュアルを更新したいって化学の立花先生から相談があってね、今どんな感じか確認しにきただけよ」
実験用のテーブルに並んでいるビーカーやらガスバーナーやら天秤やらをいじりながら先生は答える。
それを遠目に、当の立花先生が不安げに見ている。
「それなら別に女子高生やらなくてもいいんじゃないですか?」
「いえ、こういうのは、ユーザーになりきって実際にどう使うのかを確かめないとね……思いもよらない使い方ををする奴がいて、思いもよらないリスクが発生しないとも限らないし」
ただ単に制服姿に味を占めただけだと僕は思う。いすれにしても、思いもよらない使い方をする、という意味ではこの校長先生がユーザーのモニターとしては適任かもしれない。
ということは、周囲は監視の目を光らせなければならないということだ。
「立花先生、リクエストがあるんですけど!」
はい、と彼女はまっすぐ手を挙げた。
「な、なんでしょうか? 校長先生」
「あら、今の私は、JK桜羽よ」
「桜羽君、なんだね?」立花先生、意外とノリがいい。
「あの、よくニュースでやってるじゃないですか」
「ニュース?」
「はい、学校の実験室で爆発が起きて窓が吹っ飛んだとか、ボヤ騒ぎで黒い煙が出たとか」
「え⁉」
「どんな実験をやったらそうなるのか、見せてもらえません?」
実験室がザワつき、立花先生は狼狽する。
「そ、それはちょっと」
「安全運用マニュアルをつくる上で、そういうの再現してみる必要があるでしょ、じゃなかった、あるんじゃないですか?」
「生徒達もいるので、そいういのは……安全対策を施して別の機会にでも」
「しょうがないわね……じゃあこういうのはどうかしら。ほら、よく夏休みにゲンゴロウ先生とかいう人がやっている実験。
「はい⁉」
「段ボール箱でボンとか叩いてバズーカ砲みたいに煙の輪っか出してるやつ。」
「あの、申し訳ないのですが今日やる実験の内容は決まっていまして……というよりカリキュラムで定められておりまして」
「ちぇっ、つまんないなあ」
本音が出た。校長先生、要はハデな実験を見てみたかっただけなのだ。
白髪で黒ブチメガネの化学教師は苦悩の表情を浮かべた。
「……じゃあ、ひとつだけですよ。校長、じゃなくて桜羽さん」
立花先生は、最前列の実験台で急きょ実験のセットを組み立て始める。
化学の先生は、二股の試験管の片方に銀色の金属片を入れ、もう片方に点滴器を使って液体の薬品を慎重に注いだ。小さな気泡がつき始める。
その泡を曲がったガラス管に通し、水を張った大きなガラスの容器に逆さまにいれてあるメスシリンダーに集めた。
メスシリンダーに蓋をし、水中から取り出す。近くの生徒に手伝ってもらい、蓋を開けてマッチの火を近づけた。
その途端、ポンというかん高い爆発音が聞こえた。
「亜鉛と希硫酸から水素を作る実験ね、なかなかやるわね」
拍手しながらJK校長が感想を漏らした。……知ってたのか。
「でも、もうちょっと派手な奴はないのかしら?」
立花先生は意を決して準備室に入り、大きな三角フラスコと、透明な液体が入ったガラス瓶二つ抱えてきた。
「この二種類の液体は、クエン酸と重曹の溶液です」
「あーこれ、あれでしょ! メントスとコーラみたいなやつ。やらせてやらせて」
化学の先生が説明を始める間もなく、なんちゃって女子高生は二つの瓶をひったくり、片方を三角フラスコにいれ始めた。
「あ、ちょっ校長、桜羽さん、量が!」
彼女は三角フラスコを満杯に満たすと、もう一つの液体を一気に注いだ。
その直前に高校生は部屋の後方に待避し事なきを得たが、立花先生は、泡の柱に直撃を受け、のけぞった。泡は天井にまで到達し、べたりとへばりついた。
「これよこれ! これが見たかったの……でもこの実験は屋外でやった方がよさそうね。立花先生、運用マニュアルに反映をお願いします」
そう言って校長先生は立花先生にタオルを渡し、掃除道具入れからモップを二本取り出すと、泡だらけになった床を拭き始めた。一本は僕に手渡され、強引に手伝わされた。
一通り部屋の中が片付くと、気を取り直して立花先生が口を開く。
「では、ここから当初の予定に戻ってみんなに実験してもらいます。」
先生は部屋前方の大きなホワイトボードに描かれた模式図を指しながら説明する。
「ベローズ時計反応というのをやってもらいましょう。この実験では、ヨウ素とデンプンの溶液を混ぜ、その反応を観察してもらいます。そしてなぜそのような反応が起きたかみんなで話し合いましょう」
それぞれの実験テーブルでは、立花先生の指示通り、ビーカーに入ったヨウ素水溶液と塩素酸カリウム水溶液を大きなビーカーに入れ混ぜ合わせる。そこに新たにでんぷんの水溶液を加える。
しばらく、何も起きない。
ところが我慢して様子を見ていると、ビーカーの中の液体が急激にすみれ色に変わった。複雑な分子構造が原因で化学反応は遅れて起きる『時計反応』というやつだ。
「わあ、すごい!」
校長先生は素直に歓声をあげた。どうやらこの実験、お気に召したようだ。わずかな対流でうごめくマダラなブルーを凝視している。そして僕の耳元でささやいた。
「ねえ、この二つの水溶液、まるで誰かさんと誰かさんみたいね」
「は⁉」
「一緒に入れて混ぜ合わせても、何も起きない」
「そ、そうですね」
「でも、ほら。しばらくすると、二人の間に化学反応が起きる」
そう言って白衣の仮装女子高生は僕を横目で見た。
同じ班の高校生はハラハラしながら先生と僕を見る。
多分からかっているだけなんだろうと僕は思う。
子供を甘くみちゃ、いけない。
だって、この実験にはオチがあるんだから。
「先生、じゃなくて桜羽さん、ビーカーをもう一度よく見てごらん」
先生の目の前で、ビーカーの中の溶液の色はすーっと、透明になった。
「残念でしたね。せっかくだけど、元通りに戻っちゃいました」
お返しだ。
その化学反応を見て彼女は呆然とし、僕の言葉を聞いて悔しがり、ボディブローパンチを繰り出してきた。
同じ実験テーブルの生徒達は、必死に笑いをこらえている。