9.従者の見た夢
喧騒の中で、アレクシスは叫び出したい衝動をぐっとこらえて台の上に現れたお嬢様を見ていた。
処刑のためになのか、長く綺麗だった髪はバッサリと短くされてしまっている。
服も、普段の仕立てのいいドレスとは比べ物にならない質素なものだ。かろうじて清潔ではあるようだが、ただそれだけ。
それでも、お嬢様はいつも通りだった。真っすぐに前を向いていて、その目には恐怖も絶望もない。
手枷をはめられていても、胸を張って前を見据えていた。
両脇に居る騎士が戸惑ったような顔をしている。本来なら彼らが引き摺ってでも処刑台の上へ連れて行くのだろうが、お嬢様があまりにも迷いなくそこへ自分で歩いて行くからだろう。
その姿は、とても罪人などとは思えない物だった。
着ている物が違っていても、髪を整える事すらせず短く切られていても、手首に枷をはめられて一歩進むたびに鎖が音を立てても、それは決して、彼女を損なう物にはなり得なかった。
この程度で霞むほどお可愛らしい女じゃないの。なんて、いつものように凛とした声が聞こえてきた気すらしていた。
民衆が騒めいている。彼女が一体何をしたのだと。
あんなにも堂々としているから、罪などあるのかと疑問に思う者が現れているようだ。
その声を後押ししたくてたまらない。けれどアレクシスは、お嬢様からどこにも加わるなと言い含められていた。
何が起こっても、誰が何をしても。その全てに加わってはいけないと。
何を見咎められるか分からない。誰がどこから見ているか分からない。だから、どの声にも同調するな。どの声にも反論するな。
それはアレクシスを守るための言葉であり、同時に最後になるだろうお嬢様から言いつけられた仕事だった。全て見て、全て覚えて、この場には現れる事が出来ないご当主に報告する。それを完遂した後でないと、アレクシスは動けない。
「この者の罪状を述べよ!」
苛立ったような、王子の声が響いた。
もっと静かに感情を出すことなく声を出せないのか、ととっさに思ってしまうくらいには、苛立ちが目に見えている声だ。
お嬢様がただ歩くだけで民衆の心を掴んでしまったことを認識するくらいの知能はあるらしい。
それを見て声を荒げていては自分とお嬢様の格の違いを自ら証明していることになると思い至れる知能は、残念ながらないらしいが。
そんなことを考えながら、読み上げられる罪状を聞く。それらすべてを覚える。
覚えながら、民衆のざわめきが大きくなっているのを当然だ、と傍観する。
読み上げられる「罪状」は、全て処刑などという結論に至るまでもないものだ。
そもそも王子の八つ当たりに近しいものばかりで、貴族の腹の探り合いなど知りもしない民衆でもあんまりだと分かってしまうくらいの横暴な処刑。
今、王都に王妃殿下がいらっしゃらないからまかり通った馬鹿のすること。
「何か申し開きはあるか!」
何故だか知らないが少しだけ自信を取り戻したかのように威張っている王子に言われ、お嬢様は呆れたようにため息を吐いた。
小さく肩をすくめるのは、きっと王子も見慣れた仕草だろう。
それなりに気を抜いている時にしかやらない仕草。それだけで、緊張も何も無いのだと雄弁に語る仕草。
「やった覚えも無いことを並べられて、いう事なんて一つもないわ」
くだらない。そう言った声が聞こえた気がした。
けれど、それをわざわざ声に出すお嬢様ではないのでこれは聞きなれすぎて聞こえた幻聴だろう。
お嬢様はそれきり、王子を一瞥もしなくなった。処刑人に何かを言って、自らギロチンに首をかけた。
あぁ、と小さく声が漏れたのは仕方ないことだろう。
どうしようもないのか。こんなくだらない八つ当たりで、お嬢様が死んでしまう。
自分の口を押えて何も言わないようにしながら、アレクシスはお嬢様を見上げる。不釣り合いなくらい凪いだ表情は、処刑台から浮いて見えた。
止められない。自分では、止められない。
見ていることしか出来ない。瞬きも忘れて、ただすべてを見て覚える。
馬鹿になったかのように、お嬢様に言われた最後の言葉だけを繰り返し脳内で唱える。
そんなことをしていたら、どこからか小柄な影が飛び出した。
「お嬢様!お嬢様っ!」
見覚えのありすぎる姿。同じように、何もするなと言い含められていたはずなのに抑えきれなかったようだ。
ブランを見つけて、お嬢様も少しだけ目を丸くした。駄目よ、というように口が動いだが、それでもブランは止まらない。
それを見て、よくやったと褒めたい気持ちと何してんだと頭を抱える気持ちがせめぎ合い、最終的によくやったという気持ちが勝った。
「何だあいつは……捕らえろ!何をしている!」
王子に言われて、横に居た騎士がブランを捕らえてお嬢様から少し離れた場所に連れて行く。
その状態で処刑を実行しようとしたらしい王子だったが、彼は知らなかったのだろう。
ブランの声は、やたらとよく響くのだ。そしてものすっごく聞き取りやすい。スーッと息を吸い込んだブランに、アレクシスは咄嗟に耳を塞ごうかと真剣に考えて、塞がないで置いた。
「馬ァ鹿!馬ァ鹿!!王子のバーカ!!お嬢様がいなきゃ書類もまともに作れないくせに!期限ぎりぎりになった書類自分じゃ間に合わないからってお嬢様に任せきりにしてるくせに!催し物の内容把握も、実際の進行も、当日に会う人も、全部全部お嬢様が居なきゃ理解出来てないくせに!お前が思いつきでめちゃくちゃやったのを、お嬢様が他の人と一緒にしりぬぐいしてんだぞ!!お前なんて居なくても仕事に問題ないけど、お嬢様が居なきゃ手が足りないところはいっぱいあるんだ!冬を越せなさそうな村への支援も、夏の水不足の対策も、全部全部お嬢様がやってんだ!お前は最後に出来上がった書類見て、内容も読まずに判子押してるだけだ!!お嬢様を処刑なんてしていいわけないのに!そんなことも分かんない馬鹿王子!!お前なんかが王になったらこの国滅ぶわ馬鹿王子ー!!」
それは、しんと静まり返った広場に馬鹿みたいによく響いた。
全て聞いて、あぁ全部事実だなぁと思いながら、アレクシスは痛み出した頭をそっと押さえるのだった。