6.力の会得
禁書を持ち帰ったお嬢様は、しばらくその禁書を読み解くことに時間を費やした。
しっかりと保管されていたその禁書は、アレクシスが見つけられたような半端なものではなく、ただ読み解くだけでも時間が必要で、資格のない者には開く事すら出来ないようなものなのだ。
お嬢様は資格云々の話を丸々飛ばして読み始めていたが、なんかもうそのくらい普通にやる人なので誰も何も言わなかった。というか言えなかった。
お嬢様が禁書を得て数日間は、そうして静かな時間が流れた。
その間に王子がお嬢様との婚約を破棄する原因となるご令嬢はついに確定し、お嬢様にその報告もしたのだが「そういえばそんな話もあったわね」と返された。
ご令嬢のことに興味が無さ過ぎて、名前を覚えるどころか存在を忘れていたらしい。
せめて存在は覚えておいて欲しかったな、なんてアレクシスが頭を抱えている間に、お嬢様はついに禁書を読み終えた。
そして、その中に記されたとある儀式を行うために地下室に一人籠ることになったのだ。
儀式にかかる時間は行う人間によって変わるらしく、長ければ数週間に及ぶらしい。自分が戻ってくるまで誰も地下室には来ないように、と強く言い含めたお嬢様の背を見送り、アレクシスは不安そうにしているブランの頭を撫でた。
「アレクシスさん……お嬢様、大丈夫でしょうか……」
「止められないんだから、信じて待つしかない」
何日も飲まず食わずで行う儀式だ。無事に終えられたとしても、その後の疲労は想像できないほどの物だろう。
いつお嬢様が戻ってきてもいいように、アレクシスとブランは出来るだけ多くの時間この地下室の入口に留まるつもりだった。
どちらかが休むときも、必ず一人はここに留まろう、と。
もしお嬢様が階段の途中などで自分たちを呼んでも気付けるように、息をひそめるように静かに待っているつもりだ。
傍らには大判のブランケットも用意した。きっと、出てくる時には身体が冷え切っているだろうから。同じ理由で、暖かなお茶も置いてある。胃が弱っている時にも飲めるものだ。
冷めたら入れ替えに行くことにして、二人で何日でも待っている……つもりだったのだ。
お嬢様が地下室に向かって約二時間。まだソワソワとしているブランが落ち着くより前に、地下から足音が響いてきたのだ。
まさかなぁ、と従者二人は顔を合わせた。
多分会いた過ぎて聞こえた幻聴かなぁ、と。アレクシスはともかくブランはたまにある事なので、そんなこともあるかなぁと。
「案外、大したことも無かったわね」
ふわり、と髪を靡かせたお嬢様が、当然のように固まった二人の前に現れたのだ。
アレクシスは時計を確認した。何度見ても、二時間しか経っていなかった。
ブランは目を擦った。何度見ても、ちゃんとお嬢様はそこに居る。
「あら、待たせたかしら?」
そんな二人を見て、お嬢様は首を傾げた。
その仕草でようやく二人は無意味な確認作業をやめ、ブランはお嬢様に飛びつきアレクシスは頭を抱えてしゃがみ込んだのだった。
「わーい!おかえりなさいお嬢様ー!」
「いくら何でも早すぎる!何があったんですか何が!」
「ええ、ただいまブラン。何があったも何も、書かれていたほど大したことじゃなかったってだけよ。全部完璧に終わったわ」
全く持って意味が分からなかったが、お嬢様は実際こうして戻ってきているわけなので、分からないけどどうにかなったらしいと納得するしかないのだ。
ブランは既にお嬢様が無事戻ってきた喜びで全てに納得していそうなので、頭を抱えているのはいつも通りアレクシスだけである。
そしてそんなアレクシスを愉快そうに眺めていたお嬢様は、さて、と小さく呟いて笑った。
「いよいよ計画実行よ。さあ、いつもの部屋へ行きましょう」
暗殺計画はそんなに楽しそうに企てるものではないです、とアレクシスは脳内で叫ぶ。
だってここは隠し部屋の外なので。いつものように全力で叫んだら、ここまで隠してきた計画が明るみに出てしまうのだ。
それはいけないと考える冷静な頭があったせいで叫び損ねたアレクシスは、とりあえず既に歩き始めているお嬢様とブランの後を追いかけた。
そして隠し部屋に足を踏み入れ、しっかりと扉を閉めて向かい合うように座る。
普段なら従者と主人が同じ席に着くようなことはしないが、ここではそんなことを言っているとお嬢様からローキックが飛んでくるので速やかに席に着く。
ダンスやら乗馬やらで鍛えられたお嬢様の蹴りは普通に痛いのだ。
「いよいよですね!お嬢様!」
「ええ、いよいよね。ここまで長かったわ」
「普通に考えたらとんでもない速度だと思いますよ」
「私が長かったと思ったなら長いのよ」
「長かったですね!」
「くそ、これが数の暴力か」
多数決で負けたので「長かった」ということになった準備期間は、ようやくこれで終わりを迎えた。
つまりここからが王子暗殺計画の本番なのである。
「禁書には、お求めの力はございましたか」
「ええ。……私はこれから、王子に小さな呪いの種を植え付けるわ。それは私の手を離れて王子の中で育って行き、最終的には全ての活力を奪い取って死に至らしめるものよ」
「では、ここからまだ時間がかかるのですね」
「そんなに長くは無いと思うけれど……半年くらいかしらね。まあ、退屈はしないと思うわよ?王子にはこれから些細な不幸が降り注ぎ続けるだろうから」
クスクスと笑うお嬢様は非常に美しいが、今はそれが悪魔の笑いに聞こえてならない。
とはいえアレクシスも止める気などはなから無いし、ブランはものすごく純粋な目で「お嬢様がご機嫌で僕も嬉しい!」という顔をしていた。