2.お相手のご令嬢
お嬢様は、他人の顔と名前を覚えるのが苦手である。
とはいってもこれは個人的な関わりに限定されたものであり、家の付き合いなどで会う人たちのことはフルネームでもその時の髪の長さでもいくらでも覚えていられるのだ。
つまり、探さないといけない相手はこの家、オーウィアー家とは関わりのない人。そこまでは分かった。逆に言うと、そこまでしか分からなかった。
あまりに少ない情報量に、アレクシスの頭は早くも痛み始めた。ちなみに胃は強いので痛くない。
そんなアレクシスの様子を見て、ブランが横に駆け寄ってくる。
心配そうに見上げてくる様子はまさしくワンコ。お嬢様の暴走に燃料を追加するので困った後輩ではあるが、可愛がっていない訳ではないので心配してくれるのは普通に嬉しい。
「アレクシスさん、僕、そのご令嬢探せるかもしれません!」
「……うん?」
「お嬢様が覚えて無さそうな、でも王子と関りがありそうな人を探せばいいんですよね!とりあえずお嬢様がここ二か月とかであった人は皆覚えてるので、探してきますよ!」
元気よく言ったワンコ、ではなくブランに、アレクシスは目を丸くする。
そして、そうだった……とため息を吐いた。
ブランはお嬢様が好きすぎて、記憶容量のほぼすべてをお嬢様に使った結果他のことは覚えてないけどお嬢様の言ってたことは覚えてる、とのたまうことがよくあるのだ。
つまり、お嬢様がここ二か月で話した相手を覚えているというのも恐らく事実で、なんかもう任せればどうにかなるような気がしてきた。
流石にそれはちょっと引く、とかは言わないでおいた。
せめてもの恩情、もといツッコミ疲れである。
「分かった、じゃあご令嬢探しは任せる。俺はその間に禁書を探しておく」
「はいっ!」
元気に返事をして、さっそくブランはどこかへ向かって行った。
どうにかなるならもう何でもいいか、とその後姿を見送って、アレクシスは過去に見かけたことのある禁書について言及した書物を探しに行くことにした。
禁書そのものをすぐに見つけるのは難しいだろうから、まずは情報収集だ。
そうしてそれぞれ禁書とお相手のご令嬢探しに精を出して数日が経ち、お嬢様に呼ばれて隠し部屋にて進捗報告を行うことになった。
アレクシスの方はあまり進展はなく、見つかったのは禁書の特性や危険性などを書いた本ばかりだ。
お嬢様も流石にこの数日で見つかるとは思っていなかったようで、そのまま探せと命令が下った。
「あ、次僕ですね!えっと、まずこの二か月でお嬢様とお話していたご令嬢の中で、お嬢様が特に言及していなかった人たちをリストアップしてきました!」
「いや凄いなこれ」
「お嬢様が綺麗ね、とか何かしらの芸に対して凄いわ、とか言っていた人は、多分お嬢様少しは覚えていらっしゃると思うので!欠片も覚えてないなら何も言ってない相手だろうなって!」
酷い話だが、それが現実なのだから仕方ない。
お嬢様に覚える価値無しと無意識に判断されたのが探しているご令嬢だ。
ちなみにブランが持ってきたリストには十数人の名前があった。お嬢様、会話はするけど覚えていない人間が多すぎる。
「今後はですね、この中で既に婚約者が居たりする相手を除外して行こうと思います!」
「そうね、ありがとう。続けてちょうだい」
「はーい!」
リストの名前を全て見て、お嬢様はそっと紙を置いた。
本当に誰一人覚えていなかったらしい。
アレクシスはそれを見て痛み出した頭をそっと抑える。まあ、分かってはいたことだ。お嬢様が個人に興味を持つことはかなり珍しいし、それ以外は覚えていない。分かっては、いたのだ。
「あらどうしたのアレクシス」
「いえ、お気になさらず……」
ケロッとした顔で心配してきたお嬢様に返事をして、アレクシスはお嬢様の予定表に目を向けた。
婚約者の暗殺なんかを企ててはいるが、お嬢様はどこに居ても一目置かれる完璧なご令嬢である。
習い事や勉強などに加え、王子の婚約者としてこなしている仕事などで日々とても忙しいのだ。
そんな生活の中でこうして隠し部屋での時間を無理に詰め込んでいる状態なので、他の予定に影響が出ないよう調整するのはアレクシスの仕事なのだ。
影響が出て他者にこの部屋の事が知られるのは避けたい、とお嬢様も言っていたので、促せば素直に隠し部屋からは出てくる。
この隠し部屋の存在を知っているのはお嬢様と二人の従者、そしてお嬢様の父上、つまりは家の当主だけなので、安息の地として昔から隠されている。
「……さて、お嬢様。この後ダンスレッスンがありますので、そろそろ」
「分かったわ。……ああ、そうだアレクシス。ブランが欲しい本があるらしいの。見繕ってきてくれるかしら」
「畏まりました」
隠し部屋から出て、優雅に部屋を出て行ったお嬢様を見送って、アレクシスは横に来ていたブランに目を向ける。
孤児院から引き取られた時には文字の読み書きが出来なかったブランだが、欲しい本があると言い出すなんて、成長を感じてちょっと嬉しくなってしまう。
多分お嬢様も同じことを思ったのだろう、なんて考えながら何が欲しいのかと問えば、語彙力を鍛えたいのだと。
「まあ、良い事だな」
「はい!やっぱりお嬢様を称える言葉はいくらあっても足りないですからね!」
「あ、そういう?」
ちょっと思っていたのとは違ったが、悪いことではないだろうからまあいいだろう。
どうせ禁書探しにあちこち行くのだから、一、二冊くらい見繕ってくることにした。