彼女の話
『愛してる…』
最愛の彼はその一言を残して姿を消した。
「本日から東京第六支部に配属になりました、麻生佳奈です。」
私は先輩隊員らに敬礼した。
「ようこそ第六支部へ。君の噂は聞いているよ。トレーニングを首席でクリアしたんだってね。そんな優秀な君がうちの支部に来てくれて嬉しいよ。私はここの支部長の武田。よろしくね。」
武田支部長は30代前半くらいで体格もいい。支部長クラスにわりに温厚そうな雰囲気で、トレーニングの教官たちとは大違いだ。
私は差し出された手を取る。
「よろしくお願いします。」
「武田さんよぅ、そんな当たり障りのない挨拶はいいから、ズバッと聞いちゃえばいいじゃないですか。そんな優秀なのになんでうちの支部を志望したのかってね。」
そう口を挟んだ男は私と同い年くらい。プリン色の頭をした、いかにもチャラチャラした男。
「それは…」
「はいはい。人には色々事情があるんだから、詮索しないようにね。杉野君だってつつかれたくない過去の一つや二つくらいあるでしょ。」
武田支部長にそう言われて、杉野さんは黙った。
「失礼なところがあってごめんね。彼は杉野英斗君。こんな見た目でも腕は確かだから安心して。そして彼女は…」
「小森みさとです。よろしくお願いします。」
黒髪の美しい女性がお辞儀をした。こんな時代じゃなかったらモデルにスカウトされそうだ。
「さて、全員の自己紹介が済んだところでこの建物の案内をしようかな。小森さん、頼んだよ。」
「はい。では案内します。」
私は後に続いた。
「一階は支部室とお風呂場とお手洗い。二階は寝室です。」
一階を見て回り、最後に訪れた寝室は布団が二組置かれた洋室だった。二組ってことは今日から小森さんと相部屋か。まあシェルターでは女子部屋で十数人と雑魚寝してたわけだから、今更気にすることもないんだけど。
それにしても小森さんって華奢で美人だなぁ…腕も細いし。あんな腕で剣を振れるのかな。それに杉野さんだって、チャラチャラしてて戦闘する姿が想像できない。武田支部長は褒めていたけど、優しそうだし持ち上げているだけかも。いくら第六支部の管轄地区が他と比べて特殊だからって、まともに戦力になりそうなのが支部長だけって本当に大丈夫なのかな…この支部にいて、私は強くなれるのかな。
その夜、私は隣で寝ている小森さんを起こさないようにこっそり布団から起き出し、一階の執務室へ向かった。懐中電灯で照らしながら壁際の本棚を探していると、目的のファイルが見つかった。
『東京第六支部隊員情報』と書かれたファイルを開くと、一番に杉野さんの情報が見つかった。
杉野英斗。23歳。東京第一支部所属であったが、規律違反により四月から東京第六支部へ移動。
東京第一支部って、PBN駆除の最前線、湾岸地区を管轄しているところだ。
戦闘回数56って…すごい。武田支部長が言っていたことも嘘じゃなかったのか。それにしても『規律違反により移動』って一体何をしたんだろう。
ページをめくると、小森さんの情報があった。
小森みさと。24歳。三月から東京第六支部所属。
「戦闘回数、ゼロ…」
その時、顔にライトが当たった。
「詮索しないようにって昼間に言ったんだけどね。」
そこには武田支部長の姿があった。
「少し外で話そうか。」
外に出ると、空にはたくさんの星が見えた。
「寒くない?」
「いえ、大丈夫です…」
ファイルを漁っているところを支部長に見られたのは良くない。処罰もありえるかも…
「私達のことが気になっていたみたいだから、まずは私の話を聞いてもらおうと思ってね。他の隊員の事情を私から勝手に話すことはできないからさ。」
武田支部長の目線に促されて私は近くのベンチに腰掛けた。支部長も隣に座る。
「私は前まで自衛隊に所属していたんだ。でもPBNの襲来があって、自衛隊の戦力ではPBNに対抗できないって分かると、混乱も相まって自衛隊は事実上の解散になった。その後、特組が発足することとなって、私はすぐに入隊を決めた。自衛隊にいた頃から多くの人を守りたいっていう思いはずっと持っていたからね。トレーニングを終えて、配属の希望を聞かれたとき、私はこの第六支部を志望したんだ。同期からは嘲笑されたよ。そんな腰抜けだとは思わなかったってね。知っての通り、第六支部の管轄地区は東京の全支部の中で最もPBNの出現率が低いから。」
武田支部長は乾いたように笑った。
「私はね、別に命が惜しくてここを志望したわけじゃないんだよ。特組に入隊した時からとっくに覚悟はできていた。そうじゃなくて…第六支部の管轄内に妻と娘がいるんだ。同じ命を懸けるなら、自分の大切な人を守っているんだって誇りをもって戦いたい。そう思っているだけなんだ。だから周りから腰抜けだなんだって言われても、そんなことはどうだっていいんだよ。」
そう言って少し寂しそうに微笑んだ。
この人は…私と同じなんだ。
「私も、同じです。恋人がここの管轄内にいるかもしれなくて、それで志望したんです。」
言葉にしたら抑え込んでいた思いが止まらなくなった。
「突然行方が分からなくなって、心当たりもなくって…」
五月の暖かい日だった。いつものように待ち合わせ場所に行ったら成海の姿はなくて、代わりに紙袋が置いてあった。中にはボイスレコーダーとお菓子が入っていた。ボイスレコーダーは何故か録音中になっていて、仕方なく録音を止めて再生してみるとたった一言だけが残されていた。一体どうしたんだろう。それにこのお菓子だって…配給が始まってから一度も目にしたことはなかった。成海のシェルターでも配給はなかったはず。そう考えるとわざわざどこかのシェルターまでもらいに行ってくれたんだ。そうだ…きっと私の誕生日が近いから。成海の考えそうなことだ。
でもそれなら直接渡してくれればいいのに。
嫌な予感がした。翌日、私は成海のいるシェルターへ向かった。成海の婚約者だと言ってシェルターの管理者に成海の情報を調べてもらった。成海は…いなかった。
「彼がシェルターを出るときに手続きをした管理者の人が教えてくれたんです。山井県までの地図はないかと聞かれたって。だから彼は山井県にいると信じて、彼を守るためにここにいます。」
第六支部は東京都の西部と山井県の一部を管轄している。武田支部長が言っていた通り、ここの管轄はPBNがそう現れないし、山井県は一度も被害を受けていない。だから成海が本当に山井県にいるなら、少し安心できる。
成海は機械が苦手だった。もしかしたらボイスレコーダーには別れの言葉を残そうと思っていたのかもしれない。でも操作を間違えて、一番愛しくて一番残酷な言葉を残していった。
ずっと前だけを向いてここまでやってきたけど、時々不安になるよ。私のしていることは本当に成海を守ることに繋がっているのかな。早く会いたいよ…
「そっか、それは辛かったね。」
武田支部長は私の頭の上にポンと手をのせた。
「話してくれてありがとう。一緒に頑張ろうね。」
「…はい。」
私は涙がこぼれないように星空を見上げた。
翌朝、私は杉野さんとともに武田支部長に呼ばれた。
「2人には第一支部へ応援に行ってもらう。何でも隊員が負傷して人員が足りないらしい。」
「武田さーん、麻生はまだ配属されたばっかりなのに第一支部なんて大丈夫なんですか?」
「今回は補欠だからすぐに戦闘に配置されることはないと思うし、もしそうなっても杉野君がどうにかしてくれるんでしょ。」
「いやー…」
「私、頑張ります!」
ついに戦闘か…!テレビでもトレーニングでもPBNの映像や資料は散々見てきたけど、実物は初めてだ。でもたくさん練習してきたんだから絶対出来る…!
支度を済ませて支部を出ると、建物の前には既に杉野さんの姿があった。
「お待たせしました!」
「おーう。」
実戦用の戦闘服は体にぴったりと張り付くウェットスーツのようなデザイン。一見薄そうに見えるが、PBNの攻撃を受けても破れないような強力繊維で作られていてその強度は高い。真っ黒な見た目がPBNとは対照的になっている。また靴はキックシューズと呼ばれるもので、踏み込んだ瞬間にギアを変えると垂直に10から15mも飛ぶことが出来る。
そして腰にはPBN用につくられた剣を刺している。剣は一本か二本か選ぶことが出来て、トレーニングの際に上官から適性を見て許可が下りる。杉野さんは一本、私は二本だ。
「じゃ、さっさといこっか。」
杉野さんは車の運転席に、私は助手席に乗り込んだ。
昔なら一時間はかかるだろう道のりを、車なんて特組関係か配給車しか通らないからかっ飛ばして30分くらいで第一支部に到着した。
第一支部の待機室で長椅子に座っていると、サイレンが鳴り響いた。PBNの襲来を知らせるアラームだ。隊員たちがバタバタと慌ただしく部屋を飛び出していく。
「麻生、しっかり準備しておけよ。」
杉野さんはニッと口角をあげた。
「今日は荒れそうだ。」
三回アラームが鳴って、部屋にはついに二人きりになった。
「杉野さん。」
「ん?」
「第一支部って前に杉野さんがいたところなんですよね。それなのにどうして…」
「あー、武田さん詮索するなって言っておいて俺のことは話したんだぁ。ったく、口が軽いんだから…」
「いえ、違うんです!私が勝手に支部室のファイルを見たので…」
「はっ、麻生って見かけによらず不良なんだな。」
「それは失礼なことをしたと思っています…」
「まあ、別にいいけど。隠す必要もないから。」
その時、四度目のアラームが鳴り響いた。
「じゃ、話の続きは戦いの後ってことで。」
私達はPBNがいる地点に急いで向かった。
「なに…これ…」
初めて見るそれは想像をはるかに超えるものだった。ビルくらい高さだと聞いていたけど、PBN被害の大きいこの地区では、それと肩を比べるようなものは何もなく、ただただその迫力に私はなんてちっぽけな存在なんだと思わざるを得なかった。
「はぁっ…はぁっ…」
上手く息が出来ない。恐ろしいのに、PBNから目が離せない。
鞭のような尾がしなり、こっちに向かってくるのを私は茫然と眺めていた。
「おい!」
その時、何かが私の体をさらった。
「麻生!お前、死にたいのか!」
ハッと気が付くと、目の前には真剣な顔をした杉野さんがいた。そして背を向ける。
「誰かが傷つくのを見るのはもう勘弁なんだよ…」
背中越しにそう呟くのがかすかに聞こえた。その背中には一筋、血が滲んでいた。
「杉野さん!血が!」
どうしよう…きっと私をかばってくれた時に出来たんだ。
「ああ?んなの大したことないって。」
杉野さんは腰につけた刀を抜いた。
「まあ、正気に戻ったなら実力を見せてもらうか。優等生ビギナーサン?」
ふっ。挑発してくるんなら、乗ってやろうじゃない!
「こちらこそ勉強させていただきます。プリン先輩?」
「言うじゃねえか。行くぞ!」
私達はPBNに向かっていった。
トレーニングでは、第一選択として心臓を狙うと教えられた。心臓に攻撃を与えられればそれが致命傷となる。PBNの臓器の配置は人間とあまり変わらないが、体がとにかく大きいためにキックシューズをもってしても上部への攻撃は難しい。そのため第二選択となるのが大腿への攻撃だ。太い血管が通っているため出血によるダメージを与えられるし、歩行を封じれば被害の拡大も防げる。何より心臓よりも低い位置にあるため、キックシューズを利用すれば容易に届くことが大きな利点だ。
杉野さんは大きく飛び上がり、PBNの大腿部へ着地した。身のこなしが軽い。そして斬撃を加える。白い毛皮が赤く染まっていくのが分かる。やっぱり実践では大腿への攻撃が有効か…
その時、PBNの尾がしなった。このままじゃ杉野さんが危ない…!
「はぁっ!」
私は二本の剣でしなる尾を地面に叩きつけた。力強く暴れようとする尾を必死に押さえる。
「麻生、サンキュ!」
そう言って杉野さんは大腿へ二度目の斬撃を与えた。尾を押さえられたPBNは鋭い爪のついた左腕を杉野さんに向かって打ち出した。
「よっと。」
杉野さんは近づいてきた左腕に飛び移り、上へと駆け上がった。そして、腕を踏み台にして、心臓の位置へ飛び移った。そして、心臓を一突き。
崩れ落ちるPBNをまるで空を舞っているかのように、部位ごとに解体していった。杉野さんが地面に着く頃には、もう巨大生物の脅威はなく、大きな塊がいくつも積みあがっているだけだった。
「心臓が第一選択。トレーニングでも習っただろ?ま、俺ぐらいの天才じゃないとこう上手くは行かないと思うけどな。あと、PBNが倒れる前に体を大まかに解体する。こうすることで巨体が倒れることによる二次被害を防ぐことが出来る。」
杉野さんはニィっと笑った。
「どうだ?あまりにも凄くて感動したか?」
「…まあまあですね。」
「ちぃっ、素直じゃないな。」
「杉野さんに言われたくないです。…ぷっ」
私達は顔を見合わせて笑った。
その後、私達は第一支部でシャワーを浴び、第六支部へと帰ってきた。
前を歩く杉野さんはなぜか建物の裏手に回った。
「いいか。戦闘が終わったら、まず裏口から中に入る。そしてシャワーを浴びる。これ、絶対な。」
確かに、さっきも返り血でベトベトだったもんな…
「支部内を汚さないようにするためですか?」
「まあ、それもあるが…」
2人で裏口から中に入る。杉野さんが執務室のドアを開けようと手を伸ばすと、突然扉が勢いよく開いた。
「2人共、お帰りなさい!」
とびきりの笑顔で迎えてくれた小森さんとは対照的に、扉が顔面にクリーンヒットした杉野さんは苦々し気な顔を浮かべた。
「これは不可抗力、だろ…」
そう呟くと、杉野さんの鼻からつぅーっと血が流れた。
「杉野さん、血が!」
何か拭くものを…私はあたりを見回した。
「血…」
「え?」
小森さんはその場に倒れた。
「もう!こういう大事なことはちゃんと説明しておいてください!」
「悪い。戦闘後さえ気を付けていれば、大丈夫だと思ってたんだけどな…」
そう言って杉野さんはバツが悪そうに頭を掻いた。
小森さんが気を失って倒れた後、杉野さんは小森さんを支部室のソファに運んだ。小森さんは「血を見ると気を失ってしまう体質」らしい。
数分もすると小森さんは目を覚ました。
「ごめんなさい、驚かせちゃって。杉野君も、怪我させてごめんね。」
「俺の方は別にいいよ。」
杉野さんはそっぽを向いた。
「私も大丈夫です。ちょっとびっくりしましたけど、これからは気を付けられますから。」
「ありがとう。」
小森さんは微笑んだ。
「あー、ハラ減った。夕飯にしようぜ。」
「そうだね。今日は麻生君の初戦闘お疲れ様記念ってことで盛大に…って言いたいところなんだけど、配給だからいつもと変わらないな。」
そう言って武田支部長は笑った。
代り映えのない夕食を終えると、武田支部長と杉野さんは2人で部屋の奥へ行ってしまった。杉野さんに今日の戦闘記録の書き方を聞こうと思っていたのに。
仕方なく過去の記録を見ながら作業していると、小森さんが隣に来た。
「麻生ちゃん、それ終わったらちょっといいかな。」
私達は寝室へ移動した。
「麻生ちゃんには私のこと、ちゃんと話しておきたいと思ったの。」
小森さんはそう口を開いた。
「私ね、昔から血とか人が痛がってるのがダメで、本当は医者か看護師になりたかったんだけど、それで諦めたの。誰かの命を助けられる仕事にずっと憧れてた。でも突然こういう時代になって、こんなありえない状況なんだから、こんな時ぐらい自分のやりたいことを突き通してみようって思って、特組に入ったの。トレーニングが始まって、頑張ってみたんだけどやっぱりだめで。」
そう言って窓の外を見ながら自傷気味に笑った。
「学科は大丈夫なんだけど、実技訓練で訓練生同士の模擬戦闘をやったりするでしょ。我慢して訓練するんだけど、血を見ると気を失っちゃうからね。教官たちの間で私は適正なしって判断されて辞めさせられるところだったの。でもね、武田さんがそんな私を迎えてくれた。実戦では何の役にも立たない私に、『ここにいていいんだよ』って居場所をくれた。杉野君もね、あんな感じだけどほんとはすっごく優しいの。麻生ちゃんに私のことをちゃんと説明しなかったのは、きっと私に気を使ってくれたんだと思う。」
小森さんは私の方を向いた。
「私はこんなだから、これからたくさん迷惑をかけると思う。…ううん、かけてしまう。でも、私に出来ることは何だって頑張るから、どうか、私のことを認めてくれないかな…?」
そう言って私を見つめる瞳には、不安の色が滲んでいた。
「困難があっても強い信念を持ち続けるなんて、誰でもできることじゃないです。私はそんな小森さんのことを仲間として誇りに思います。」
きっと今までたくさん悔しい思いをしてきたんだろう。それでもあきらめないで苦しみながら頑張っている人を認めないなんて間違ってる。
「…ありがとう。」
小森さんはやっと笑顔を見せた。
しばらくして私は執務室に戻った。部屋には武田支部長が一人、ソファに座っていた。
「あれ、杉野さんと一緒じゃなかったんですか。」
「少し前に見回りへ行ったよ。彼の日課なんだ。夜は犯罪が増えるからね。もう帰ってくるんじゃないかな。」
「そうですか…」
さっき書いた記録のチェックをしてもらいたかったんだけど…
「麻生君と少し話したかったんだ。杉野君が帰ってくるまででいいからさ。」
「はい。もちろんです。」
私は武田支部長の隣に腰掛けた。
「初めての戦闘はどうだったかな?」
「初めは…すごく怖かったです。本物のPBNを目の前にして、特組の一員なのに恥ずかしい話ですが体が動かなくなってしまいました。」
「それはそうさ。誰だってあんなのを見たら体がすくんでしまうよ。」
「支部長も、ですか?」
「もちろん。私も特組隊員になって戦闘に出るまでは実物を見たことが無かったから、最初に見たときは『こんなものと戦うのか』って茫然としたよ。」
こんなに頼りがいのありそうな支部長でも初めはそんな風に思ったんだ。
「杉野君が褒めていたよ。状況を見てよく動けていたって。」
杉野さんがそんなことを言ってくれたなんて…
その時、扉がガチャっと開いた。
「今戻りました。」
「それじゃあ、私はこれで。2人共、今日は疲れているだろうから早く寝るんだよ。」
そう言って武田支部長は部屋を出て行った。
「武田さんと何話してたんだ?」
「杉野さんが私のことを褒めてくれてた話とかですかね。」
「ちょっ、武田さん…まあ、いいや。事実を言っただけだしな。ところで麻生。」
「はい。」
「俺に聞きたいことがあるんじゃなかったか?」
「あ!そうなんです!今日の戦闘記録のチェックを…」
「ってそっちか。…それは確認しておくから、俺のデスクに置いておいてくれ。そうじゃなくてだな…」
「はい?」
「なんで俺が第一支部から移動になったのか聞きたかったんじゃないのか?」
「はっ!完全に忘れてました!」
「お前なぁ…」
杉野さんはハァっとため息をついた。
確かに忘れてはいたんだけど、それはきっと今日一緒に過ごして杉野さんへの不信感が無くなったから、あえて確かめたいと思わなくなったんだろう。
「ついでだから説明しておく。俺はトレーニングを終えて第一支部へ配属となった。俺は優秀だったから上官たちはそれを望んでいたし、俺も最前線で戦いたいと思っていた。」
「昼間も思いましたけど、自分で天才とか優秀とか言います?」
「実際そうだったんだから仕方ないだろ。そこで俺は若手のエースとして多数の戦闘に参加した。周りも俺の活躍を認めていた。…しかしあの日、俺への評価は一変した。お前、主獣と系獣の違いは知ってるか。」
「学科で習いました。主獣は今まで一度も駆除できていない個体の呼び名、系獣は特組の開発した武器で駆除可能な個体の総称、ですよね。」
「そうだ。主獣は尾の先が二股に分かれているから一目で区別できる。主獣と呼ばれる一体だけが国の持つ全ての戦力を持ってしても、海へ追い返すことしかできなかった。その日は俺が戦闘に参加するようになって初めて主獣が第一支部管轄地区に現れた。その時は俺がこいつを倒すんだって本気で思ってた。でも支部長からの指示は『遠距離からの威嚇射撃』だった。そんな攻撃、主獣どころか系獣にだってかすり傷にもならない。そんなことは全員分かっているはずなのに、気休め程度に発砲してただ壊されていく街を眺めていることしかできない。そのことに我慢できなくて俺は隊列を飛び出して主獣へ向かった。俺をきっかけにして、同期の、同じように初めて主獣との戦闘に参加した奴らも隊列を飛び出した。…今なら分かるんだよ。どうしたって太刀打ちできないんだから、接近戦なんてリスクは冒すべきじゃないってさ。結果は散々だった。主獣にたどり着く前に仲間の発砲に被弾する者、主獣の攻撃を受けて倒れる者、崩れた建物の下敷きになる者…本当にひどい光景だった。奇跡的に命を落としたものはいなかったけど、俺は危険行為を扇動したとして処分を受けることになった。表向きには規律違反ってことでな。除籍になってもおかしくないくらいだった。それを武田さんが拾ってくれたんだ。武田さんは初めて会った時、『私は自分の命を守って戦う。だから君も安心して戦いなさい』って言ってくれた。俺にはその頃、仲間の命を背負う自覚も実力もなかった。それを武田さんは分かってて声をかけてくれたんだと思うよ。…どうだ、失望したか。」
「いえ…」
思っていたよりも重たい話でなんて言葉にすればいいか分からない。1人で主獣に向かっていった気持ちは痛いほど分かるし、私だってもしその状況なら思いとどまれていた自信がない。それに、自分の行動で結果的に仲間を危険な目に合わせてしまった悔しさは計り知れない。
「ここはいいよ。主獣は一度も来たことがないし、系獣だってそう多くは来ない。この建物で留守番しているのが一番の仕事みたいなもんだ。俺にはちょうどいい。」
「嘘ばっかり。」
「あ?」
「じゃあ何で今日の戦闘であんなに動けたんですか?それは日々訓練を重ねているからでしょ!?毎晩自主的に見回りをしているのは犯罪で傷つく人を守りたいからでしょ!?」
「おいっ…お前…」
涙が勝手にこぼれてくる。
「それにっ…それに!主獣を自分の手で倒したいって、本当は思っているんでしょ!?自分の心にまで嘘つかないでよ!」
「…分かったから、もう泣くな。」
「杉野さんならいつか主獣を倒せるって、私はそう思います。もしまた弱気になることがあったら、私が無理やりにでも前を向かせてやります。」
私はもっと強くならないといけない。強くなって、この人が一人で抱え込んでいる使命を一緒に背負ってあげるんだ。
「…お前、いい女だな。」
「よく言われます。」
「ははっ、そういうことはまずそのぐしょぐしょになった顔を拭いてからにしろよな。ほら。」
そう言って杉野さんは大量のティッシュを私の顔に押し付けた。
「…ありがとな。」
ティッシュのせいで、杉野さんがどんな顔をしているのか分からなかった。
初めての戦闘を終えてから、私は第六支部の管轄地区や他支部の応援で戦闘経験を積んでいった。
「じゃあ、留守を頼んだよ。」
そう言って武田支部長と杉野さんは他支部の応援へ出発していった。
「麻生ちゃん、また聞いてくれない?」
「もちろんです。」
小森さんは机に地図を広げた。
「目撃情報を繋ぎ合わせて主獣の移動経路を地図に起こしてみたんだけど…」
小森さんは戦闘に参加しない分、支部の事務作業を引き受けてくれている。それだけでも大助かりだって武田支部長は言ってたけど、こうして独自にPBNの研究を行っている。支部長や杉野さんに話すのは勇気がいるみたいで、発見したことをまず私に話してくれる。
地図には海側から内陸に向けて数本の矢印が引かれていた。
「この線が一番初めに現れた時ね。その隣が二回目で、その隣が三回目で…」
「これ、段々私達の支部の管轄地区に近づいてきてません…?」
「そうなのよ!それに矢印の方向を見て。五月以降に現れた時の線はみんな同じ方向を指しているの。だからもしかしたら主獣は何か目的があって侵攻してきてるんじゃないかなって。」
「目的って、もしかして…」
矢印の先は山井県を指していた。
「うん。山井県に何かがあるんじゃないかと思うの。それが物質なのか、地形そのものなのかは検討もつかないんだけどね。」
「この研究が進めば主獣を倒すカギになるかもしれない…すごいです、小森さん!」
「そうかな…えへへ。」
小森さんは照れたように笑った。
山井県って聞くとどうしても思い出してしまう。
「山井県に私の彼氏がいるかもしれないんです。いろいろあって行方が分からなくなっちゃって…成海っていうんですけど、臆病で、でもすっごく優しいんです。小さい頃に近所の中学生がいたずらで公園の遊具に落書きをして問題になったんですけど、その犯人が分かる前に成海は自分がやったことでもないのに落書きを一人で掃除していました。私はその姿を偶然見て、優しいんだなって感動したんです。それから公園でこっそり成海のことを見るようになって、そのおかげもあって成海が中学生たちに囲まれているのを私が助けたりして…その後も色々あって付き合うことになったんです。私は成海みたいに優しくないから、せめて守ってあげたいんです。だからもし山井県に主獣が向かっているんなら、早く対抗できる方法を考えないと…成海が怖がっちゃうから。」
「そうだったんだ…麻生ちゃんは彼のこと、ずっと好きなんだね。」
「…はい、大好きです。」
その時、地面が大きく揺れた。
「地震?」
小森さんはそう言ったけど、これは違う。去年の冬に感じたものと同じ。
「小森さんはここで待っていてください!」
私は部屋を飛び出した。
外へ出ると白い巨体が100mくらい先に見えた。1人だけど行くしかない。走っていると今更のようにサイレンが鳴り響いた。
PBNと向かい合ったところで二本の剣を抜く。武田支部長や杉野さんと何度も倒してきた相手じゃないか。もう一人だって戦えるはず。
私は左手の刀を前に構えて盾にしながら、右手を振りかぶった。
「はぁぁっ!」
そしてPBNの左足目がけて右手の剣を振り下ろす。その時、PBNの尾がしなった。
初めは尾で攻撃してくるのもいつもと同じ。私は盾にしていた左手の剣で尾の攻撃を受け流そうと、目線をうつした。まずい…
私が戦っているのはいつもの系獣じゃない…尾が二股になっている…これは主獣だ…!
私は攻撃をやめて距離を取った。ついにうちの管轄地区にまで来るなんて…
どうしよう。まだ主獣を倒せる策なんて、私にはない。いずれ主獣襲来の連絡は伝わるだろうけど、このままじゃ応援が来るまでに近くの街が全壊してしまう。でも、私にはどうすることも…
私に戦意が見えなくなったからか、主獣は私を無視して移動し始めた。向かう先は、小森さんが言っていた通り、山井県を向いていた。
あきらめちゃだめだ…成海がきっといるから、守りたいから…!
「やぁぁぁぁっ!」
私は後ろから飛び掛かり、主獣の背中に切りかかった。お願い、動きを止めて…!
二本の刀は少しの切り傷も付けることが出来ず、私の手から滑り落ちた。私は鞭のようにしなる尾で地面に叩きつけられた。
「ぐっ…」
主獣は私を敵と認めたのか、こっちに向かってくる…いいぞ、こっちへ来い。
足には上手く力が入らない。武器も向こうへ飛んでいってしまった。それでもいい。這ってでもやつを引きつけて時間を稼いでやる…!
「こいやぁぁア!」
その時、突然やつの動きが止まった。私はもう戦えないと気づかれてしまったのか…
いや、そうじゃない。主獣の下腹部付近が赤く染まっている。今の武器では少しの傷でもつけられないっていうのに。
主獣は海へと帰っていった。その陰から現れたのは、赤く染まった私の剣を握りしめた小森さんだった。
「はぁっはぁっはぁっ…」
「小森さん!」
小森さんは真っ青な顔で無理に笑顔を作った。
「私っ…分かったんです!主獣を倒す…ほう、ほ…」
そのまま意識を失って倒れた。
「小森さん!」
どうしよう。今すぐ駆け寄りたいけど、私も…危機が去って気が緩んだら全身が裂けるように痛い…誰か…
そこで意識が途切れた。
目を覚ますと、そこは執務室のソファの上だった。ソファの前では三人が話している。
「あれ、みなさん…痛っ。」
「あー、そのまま横になってていいから。応急処置はしたけど、もう少しで救護員が来てくれるからそれまで我慢な。」
そう言って、杉野さんは起き上がろうとした私を支えながら寝かせてくれた。武田支部長が口を開く。
「麻生君も目を覚ましたところで、小森君。どうして主獣に剣を刺すことが出来たんだい?」
「はい。私はPBN最大の謎について明らかにするために色々なデータを解析していました。」
「最大の謎というと?」
「PBNがどうやって発生しているのか、ということです。最初の個体がどうやって発生したのかは分かりませんが、その他の個体は最初の個体のクローンなのではないかと仮説を立てました。」
クローン…
「正確に言えば全く同じではないですが、それに近いと考えています。PBNは雌雄がないですが、多細胞生物でも無性生殖によって個体を増やす生物がいます。その方法を参考にすると、PBNの体のある一部分が突出し、それが成長してやがて分裂することで新しい個体になるのではないかと考えました。」
「でも、体の一部が突出したPBNなんて一回も報告されてないぞ。」
杉野さんが口を挟んだ。
「それが海中で行われていたとしたら?私達には検知できません。もしこの仮説のように個体を増やしているとしたら、突出する起点となる部位は皮膚が薄いのではないかと考えたんです。また、主獣だけ尾が二股に分かれていて攻撃も効かないことから、主獣が親、系獣はその子と考えました。そして主獣の過去の戦闘データを解析して、尾の付け根から1m上、そこが起点になっていると予想しました。一か所でも体に傷を与えられれば、組織の結合が弱まり、他の箇所も抵抗力が下がる可能性が高い。効率性を考えると、起点と心臓の二点を正確に攻撃出来れば、主獣を倒すこともできると思います。」
小森さんは申し訳なさそうな顔をした。
「確証はなかったので誰にも話していなかったのだけど、そのせいで麻生ちゃんに怪我を負わせてしまったね…ごめんなさい。」
「謝らないでください。小森さんが来てくれたおかげでこの程度の怪我で済んだんです。私を助けてくれてありがとうございます。」
私は小森さんに手を伸ばした。
「…ええ。」
小森さんは優しく手を握った。
小森さんの見つけた主獣の弱点と山井県に目的があるという情報はすぐに特組の本部へ伝えられた。数日後、本部から重要事項を連絡すると通達があった。
本部からの無線機の前で、私達4人は緊張した面持ちでその時を待った。
『…これから特別害獣駆除組織の最重要任務の概要を伝える。主獣の目的は山井県在住の22歳、佐野成海である可能性が高いと…』
「え…?」
「しっ!」
杉野さんは私の口元を手で押さえた。
なんで今、成海の名前が…?血の気が引いていくのを感じる。
『佐野成海を囮として主獣を引き付け、選抜部隊によって駆除を行う。なお、佐野成海に違和感を持たれないよう、彼が現在居住している村にのみ避難勧告を発令しない。実施は一週間後とする。』
無線はプツンと切れた。
「麻生ちゃん!今言っていた成海君ってもしかして…」
「…そうですよ。佐野成海は…私の行方不明になっていた彼氏です。」
いったいどういう事なんだ。成海が主獣の目的?それに囮とか言っていた…?
「俺は納得できない。一般人を囮にするとか、避難勧告をしないとか、つまりその人達は被害を受けても仕方ないって…そんなの、あんまりだろ…!」
「私もそう思う。今回の本部の決定は道理に反している。そこでみんなの意見を聞きたい。」
武田支部長は私達の顔を見回した。
「恐らく私達は選抜部隊に選ばれないだろう。だから、選抜部隊に先回りして住民の命を守り、主獣も倒す。どうだろうか。」
「俺もそうしようと思ってたところだ。」
「作戦に必要なデータは任せてください!」
「麻生君、君はどうする。」
「やります。誰も傷つけさせたりなんかしません!」
それから私達は何度も話し合って計画を立てた。決行は本部の選抜部隊と同じ一週間後に決めた。近隣の村人の避難は本部に任せた方がいいと判断したからだ。
そして一週間後、その日は来た。
「ちょうど一週間後に主獣が現れるなんてな。」
そう言って杉野さんはニヤッと笑った。いつ主獣が現れるかは予測できないため、任務発表の一週間後から最初に現れた日を任務決行日と定めていた。
東京の全支部には任務決行日に主獣が現れても攻撃しないようにと通達されていた。そのため私達は心置きなく第六支部を出発することが出来た。
朝のうちに待機場所と決めていた村へ到着した。村人の避難は完了しているから巻き込む心配はないし、ここならすぐに目的の村へ行ける。本部の選抜部隊は目的の村を挟んだ向かいの村に待機しているらしい。
「計算上はあと30分後に主獣が村へ到達します。」
小森さんが言った。
作戦としては武田支部長が成海を見つけて護衛。そのあと小森さんが村人を避難誘導し、私と杉野さんで主獣を倒す。単純明快な計画。ヒーローのような必殺技はない。選抜部隊を出し抜くための小細工もない。でも私達にはそれが一番力を発揮できると信じている。
でも一つ、問題があった。
「さっきから双眼鏡で観察していますけど、人は見当たらないし、村の位置が特定しづらいですね。」
待機場所に到着してから交代で一時間程度観察していたが村人を一人も見つけることが出来なかった。それどころか木々に覆われていてどこからどこまでがその村なのか判断が出来ない。選抜部隊ではない私達は目的の村の正確な位置を表した地図や住民名簿を持っていない。あるのは小森さんが探してくれた、等高線の書かれた広域地図だけだ。
「あっ!」
小森さんが声をあげた。
「どうしたの?」
「もう、来た…」
小森さんの視線の先を追うと、数百メートル先に主獣の姿が見えた。
「やつも何か感じたか…麻生、行くぞ!」
杉野さんに続いて走り出そうとした時、
「ああああああ!」
遠くから叫び声が聞こえた。
「成海だ…成海の声だ!」
その声は、ボイスレコーダーが壊れるほど聞いた、成海のものだった。
「私、行ってきます!」
私は駆け出した。
成海の位置と得られた村の情報を無線で連絡し、私は杉野さんと合流した。
「何だお前、また泣いてるのか?」
「な、泣いていませんっ!」
「ふん、まあいい。麻生がこっちに向かってる間に武田さんが例の彼を発見したって連絡がきた。小森も住民の避難を始めてる。選抜部隊の方もじきにこの異変に気付くだろうよ。」
約30m先には主獣が荒い息を立ててこっちを睨みつけている。杉野さんは剣を抜いた。
「最後の戦いだ。気合入れろよ!」
「言われなくても!」
私は腰に差していた二本の剣を構えた。
主獣は前回初めてダメージを負ったからか、前よりも警戒心が強い。尾を体の周囲にしならせて私達を近寄らせないようにしている。
「じゃあ、俺からだな。」
そう言って杉野さんは華麗な身のこなしで尾の攻撃を躱しながら接近していく。杉野さんが主獣の足先に向かって剣を振りかぶると、尾の攻撃は杉野さんに狙いを定めた。
今だ。
私は動きが読みやすくなった尾を二本の剣で捕えようとした。しかし、直前で尾は軌道を変えた。
「そんなに上手くはいかないか…」
その時、ある方法が閃いた。私はまっすぐに主獣へ向かっていった。
「おい!早まるな!」
尾が無茶苦茶な動きで振り回されている。杉野さんみたいに全部を躱すなんて私には無理だ。剣でいくつかの攻撃を叩き落とすので精一杯。いつかは、
「ぐっ…」
「麻生!」
私は尾を躱しきれずに弾き飛ばされてしまった。でも為すすべもなく地面に叩きつけられた前とは違う。
主獣は私の方に近づいてきた。やっぱり。前は私を敵だと認めたんだと思っていたけど、きっとそうじゃない。こいつは、冷静に冷酷に、私にとどめを刺しに来たんだ。
尾がしなる。
「まさかまだ動けるとは思わなかったでしょ!」
私は飛び起きて、剣で尾を押さえた。今回は受け身を取って倒れたからまだ動ける。
「杉野さん!」
「おう!」
私が尾を押さえた隙に、杉野さんが尾の付け根から1m上の位置に剣を突き刺した。主獣の体に血が滲む。
「こいつの攻撃は俺が全部引き受ける。だからお前は…心臓を突け!」
その言葉に突き動かされて私は走った。私に向かってくる攻撃は杉野さんが捌いて道を開いてくれる。
「行け、麻生!」
私は主獣の左腕を踏み台にして大きく飛び上がった。そして二本の剣を振りかぶる。
「ああぁ!」
心臓の位置は小森さんが試算してくれた。武田支部長が正確な刺突を訓練してくれた。杉野さんがここまでの舞台を整えてくれた。だからこの一撃は、私達みんなのものだ。
「いっけ…!」
二本の剣は、主獣の体に吸い込まれていった。白い体が赤く染まっていく。その時間が何十分にも感じられた。
やがて巨体は傾き始めた。私は急いで剣を体から引き抜き、巨体を解体した。
地面に降り立って最恐の跡形もなくなった主獣を見て、ようやく一息ついた。
これで、終わったんだ…
「いい動きだったな。」
そう言って杉野さんが私の隣に立った。
「ありがとうございました。本当に主獣を倒せたのは杉野さんのおかげで…ああっ、武田支部長と小森さんにもお礼を言わないとで…」
「まあ落ち着け。そういう事は後でたっぷり聞いてやるから、まずは彼のところに行ったらどうだ。さっきだってまともに話してないだろ。」
「で、でも…こんな血だらけだし…」
「ばぁか。」
杉野さんは私の背中を押した。
「早く行ってこいよ。」
主獣が倒されると少しずつPBNの出現頻度は減少していった。そして10月に現れたのを最後に、PBNが私達の前に姿を見せることはなくなった。主獣を倒して3か月後のことだった。
PBNが現れなくなったことで特組は解散となった。第六支部でお世話になったみんなも別々の道を選んでいった。
そして私は…
「どうしたの?」
成海が不安そうに私の顔を覗き込む。
「ううん、何でもない。ちょっと考え事してた。」
PBNの脅威が去ったことで生活は少しずつ元に戻ってきている。私達は今、仮設住宅で2人暮らしを始めた。
そんな風に以前の生活を取り戻すことが最優先課題となり、PBNの研究は打ち切りになった。だからPBNがどこで誕生したのかも何で成海が狙われたのかも謎のままだ。
「そっか。お昼ご飯できたよ。」
でもそれでいい。
「ありがとう。…ねぇ、成海。」
「うん?」
能天気そうな顔で首を傾げる。
だって今が幸せだから。
君もそうでしょ、私だけのヒーロー。