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白桜染紅  作者: 森陰 五十鈴
桜の章 白桜染紅
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六、日輪背景

 静かに障子を開けて廊下に出た煌利(こうり)は、重い溜め息を吐いた。部屋を辞する直前までの颯爽とした身のこなしを忘れ、だらだらと日の当たる廊下を歩く。白い足袋が踏むのは、艷やかに磨かれた板。顔を上げ、右に向ければ、そこには見事な松の庭園。如何にも格式の高いこの場所は、煌利にとっては肩の凝る場所でしかない。

 早く詰所に帰りたい、と内心独りごちる。それが行動にも現れた。板の上を滑るように、素早く煌利の足が動く。


「終わりましたか」


 廊下の角に差し掛かると、庭の影から狐面が飛び出した。人目を避けるようにひっそりと佇んでいたのは、志炯(しけい)である。


「長かったですね」

「まあな」


 颯季(さつき)を連れ帰った燈架(とうか)と話してすぐ、煌利は志炯を連れて、この日規(ひのり)の屋敷へと赴いた。無論、燈架が神隠し事件の妖と遭遇したことを報告するためである。

 日規は、煌利たち妖祓いを統べる家柄だ。朱門をはじめ、五家の妖祓いは全て日規に従い妖の討伐を行っている。加えて日規は、帝をはじめとした苔生(たいせい)国を統べる(すめらぎ)の一族と縁深い。――日規が、国の在り方の一部を担っているほどに。


「燈架が妖を(ほふ)ったことを非難された。せっかくの〈花守〉の手懸かりが失せたとご立腹だ」

「未だ行方知れずの子が見つからないのを差し置いてですか」


 黒狐面の下から、木々も枯らさんばかりに冷え冷えとした声がする。志炯の静かな怒りに内心で狼狽えつつも、表面では呆れ顔を装って煌利は頷いた。


「〈庭〉に関心があることを、最近は包み隠そうともしない。どうも下らない思惑を抱いているようだ」


 志炯は言葉を返さない。だが、面の下のその顔は、眉間に深く皺が刻まれていることだろう。現に本人も知らず、拳が硬く握られている。


「付き合わせて悪いな」

「……いえ。自分から言い出したことですから」


 煌利は小さく息を吐き、腕を組んで庭を眺めた。日溜りに満ちたその内庭は、よく手入れのされた松だけでなく、椿の生垣で青々としていた。塀の向こうから飛んできた雀たちが芝生に集まり、囀り合う。生に満ちた輝かしい庭だ。

 これほど見事な庭があるというのに、日規は在るかどうかも定かではない庭に執着している。

 志炯と共に日規の邸を後にした。


 真新しく白く立派な数寄屋(すきや)門を潜り抜け、帰途に差し掛かる。日規の屋敷は、明都を見下ろす小高い丘の上にある。多段に折り返された道路を下っていくと、新緑の木々の合間から湖を見ることができた。陽の光を反射するそれは、まるで鏡のようだ。麗らかな春の眩しさに、煌利は目を細める。

 ふと、緩やかな坂を菫色の番傘を差した男が登ってくるのに気が付いた。すらりとした長身痩躯。長く伸ばし、結もせずに下ろした髪。色素の薄い肌。女と見違えそうなほど(たお)やかな美貌。水を湛えたように静かな眼が煌利たちを映すと、薄い唇が僅かに持ち上がった。


「これはこれは。何処の猿かと思えば、朱門のご頭首ではないか」

「……汀花(ていか)


 言い聞かせるかのようにゆっくりと明瞭とした言葉に、煌利は不機嫌な犬のように唸る。しかし、汀花と呼ばれた男は気にも留めず、煌利の後ろに付き従う狐面に目をやった。


「そちらは志炯か。息災のようでなにより」


 煌利相手の小馬鹿にした態度とうって変わり、労るような声掛けを受け、志炯は軽く頭を下げる。その表情は相変わらず面で見えないが、相手に敬意を払っているのが窺えた。

 汀花は満足そうに頷くと、再び半眼の煌利へと意識を向けた。


「どのような用事でここに?」

「神隠しの件だ。燈架が妖と居合わせた」

 

 ほう、と汀花は目を細める。彼の尖った相貌にかかる傘の陰が色濃くなった。


「それで?」

「叱られたよ。なにぶん燈架が〈花守〉の手懸りを斬ってしまったものでな」


 煌利は頭を掻き、大袈裟に溜め息を溢した。


「全く、潔癖な日規らしくねぇったら」

「そうでもないさ」

 

 汀花の返しに、煌利は片眉を持ち上げる。薄く微笑む汀花の眼差しは凍てついていた。


「日規はそんな潔いものではないよ。好き嫌いがはっきりしていて、嫌いなものには容赦がない。最早差別とも称せぬ、徹底的な利己主義さ」

「……お前こそ容赦ない」


 批判を咎めるでもなく苦笑を浮かべる煌利に、


「我ら玄門(げんもん)も嫌われているからね」


 朱門と同じ妖祓いの一門である玄門頭首は、皮肉げに唇を歪めた。嫌われている、とは言うものの、汀花自身も日規をよく思っていない。互いに嫌い合っているのを、煌利は静観しているしかなかった。此度燈架のことについて咎められているものの、煌利たち朱門は、日規から〝気に入られている〟立場である故に。

 かといって、煌利自身は日規を庇う気はない。心情としては、むしろ馴染みの深い汀花寄りだ。


「だからこそ、奇妙ではある」


 皮肉げな様子から一転、神妙な様子で疑問を浮かべる汀花に、うん、と煌利は促す。


「それほどの妖嫌いが、何故妖の〈庭〉とやらに関心を払う? いくら皇の求めとはいえ、有り得ぬだろう」

「俺が日規だったら、その〈庭〉とやらを壊すことを考えるが」

「この単細胞め」


 汀花が肩を落とす。志炯も呆れたように首を振るのを見て、煌利は不貞腐れた。


「まあ、可能性はなくはないが」

「なら良いだろう」

「気になるのは、きっかけの方だ。何故今〈庭〉を探す気になったのか」


 これまでもその存在は知っていたのだから、いつでも探すことはできただろう、と汀花は話す。


「神隠しが原因だろう?」

「ここ一月(ひとつき)の事件でここまで騒ぎ立てるか。此度の件は偶然。日規の騒ぎ立て方を見るに、それ以前より目を付けていたとしか思えん」


 顎に指を当て、汀花は深刻そうに考え込む。

 反応したのは、これまで影のように沈黙していた志炯だった。


「では、誰かが唆した、と……?」


 二人で真剣に考え込む様子に、煌利は感心とも呆れとも取れぬ息を漏らした。


「どうした?」

「いや。お前こそ、ずいぶんとこの件を気に懸けていると思ってな」


 少し揶揄気味に言うと、汀花は不愉快そうに鼻を鳴らす。


「私が気に懸けるのは日規だ。また犠牲が出るようでは敵わん」


 汀花の視線が自分から逸れ、下の景色に向いたのを見て、煌利は口の中が苦くなった。なだらかな斜面の下には、水鏡のように穏やかな水面の湖がある。彼の湖には、かつて日規を脅かした脅威が封じられているという。その封印を維持するのに、水を操る玄門が犠牲を払っていることを、煌利は知っている。

 汀花が日規に懸念を抱くのも、無理からぬことであろう。


「それに私も、〈花守〉を調べているのだよ。おそらく神隠しとは別件の、な」


 そして、煌利もまた、日規に対しての疑いを深めずには居られなかった。

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