第1話
フレイヤが『それ』を初めて見たのは、16歳の時だった。王国の騎士団入団試験に合格してから初めて赴いた戦地。そこで『それ』を見たフレイヤは、身体中が震え上がり皮膚が裏返るのではないかと言うほどの衝撃を受けた。百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、何度も何度も聞いた伝承のどれよりも心踊る光景を目にしたのだ。
『聖剣』
かつて伝説の騎士が手にしていた剣であり、手にした者に絶対の勝利を約束するという栄光の剣。その影響力はとても大きく、今現在に至っても世界各地に数多の伝説が語り継がれているほどである。
剣術を嗜む者ならば一度は手にしてみたいと考える代物であり、フレイヤも2年前に聖剣の猛威を目撃した日から、聖剣の持つ不思議な魅力に取り憑かれた人間の一人となっている。
現在フレイヤは18歳、まだまだ若輩者であり、騎士団内での立場も決して高い訳ではない、しかし、彼女は運の良さにかけては恵まれている方だと感じることが往々にしてあるのだ。
例えば、たった今彼女が置かれている状況。それは彼女にとって最も幸福であり幸運な状況なのではないだろうか。彼女の右手にはあの聖剣が握られており、周りには数人の団員しかいない。フレイヤより年齢は上だが、役職も剣の腕もフレイヤより劣る、不真面目な団員達だ。
「フレイヤ隊長、その剣ってまさか……」
団員のひとりが目を見開いてフレイヤに聞いた。
「聖剣、でしょうね」
フレイヤが背を向けたまま答える。
「本当にこんな祠に聖剣があるなんて……」
「これで俺達も更に上の役職に任命かァ!?」
「報奨金がどれだけもらえるか今から待ちきれねぇなぁ」
興奮気味に団員達が話し出す。
今回の任務は国王が直々に騎士団へと命じた大規模な聖剣捜索任務であり、見つけた者には多大な報酬を出す事が確約されている。フレイヤ達は数十年前に滅びた村の祠の調査に派遣されており、期待値が低い場所であったため人選も適当だった。
フレイヤの任された隊に集められたのは、まともに訓練も行わず、毎夜酒盛りをしているような団員達であり、フレイヤの心象も当然良くはなかった。彼らの隊長としてフレイヤがあてがわれたのも、容姿の優れた女性であるフレイヤがいる事により、少しでもやる気を出させる為という側面が大きかった。それに気付いていたフレイヤは当然良い気持ちはせず、騎士団へのある種落胆に近い感情を抱いていた。しかし、聖剣を手にしたフレイヤは既にそんな感情は忘れ、あるひとつの思いつきに口角を歪めていた。
「隊長、早速そいつを持って帰って国へ報告しましょう!」
団員の1人がフレイヤに駆け寄る。しかし、フレイヤは剣を片手に硬直しており、まるで話を聞いていない様子だった。
「隊長……? どうしたんですか?」
団員達からは見えていないが、その時既にフレイヤの顔は快感で歪みきり、目には涙が溜まり、口元は緩みきっていた。そしてフレイヤは小さく連続して息を吐くように小さく笑い、肩を震わせた。
さすがに様子がおかしいと思った団員がフレイヤの肩を掴んだ瞬間、団員の右肩が血飛沫をあげ、祠の中に悲鳴が響き渡った。
「ぐぎゃああああァァあァァッ!!」
「叫び声まで下品なんですね」
ふふふふふ、と不気味に笑いながらフレイヤは言った。
右腕を失い倒れ込んだ団員以外は、何が起きたのかわからいといったように慌てふためいていたが、時間とともに冷静さを取り戻して状況を飲み込む。
「フレイヤ団長!? いったい何を!?」
「何を? 見て分からないんですか? ようやく手に入れた聖剣の切れ味を試したんですよ? 」
フレイヤは刀の血を振り払いながら他の団員へゆらりと歩み寄る。仲間を傷付けられた事により頭に血が上ったのか、団員達は思い思いの言葉を口にする。
「このアマァ! 気でも触れたか!」
「欲深な奴め! これだからお前のような奴は信用できんのだ!」
次々と放たれる罵詈雑言にフレイヤは呆れるようにため息を吐いた。
「貴方達は本当に賢くないんですね」
「何ィ!?」
団員達は激高しており、今にもフレイヤに掴みかからんとする勢いだった。
「私と相対して勝てると思いますか? 私がこの人を斬った剣筋が見えましたか?」
フレイヤは心の底から疑問に思い吐き出す。相手との力量も読めず、挑発のような言動を繰り返す思考回路が理解できないからだ。しかし、フレイヤにとって今そんな事は些末な問題であり、自分でも愚問だったなと頭の中で反省した。フレイヤの心には今そんな事よりも心躍るものがあるからだ。
「聖剣ってね、すごいんですよ? 握った瞬間分かりました。剣に選ばれるってこういう事を言うのかな、なんというかですね、握った瞬間ビビッときたんですよ。この剣の握り方だとか使い方だとか、どんな力を持っているかだとか 」
フレイヤはまるで一日の出来事を親に話す幼子のように純粋な顔で語り出した。
「これでも完璧な聖剣じゃないんですもんね。聖剣の一部が埋め込まれた剣でこの感覚なんですから……ああ私も純粋な聖剣を握ってみたかったなあ……」
歓喜や落胆を体全体を使って表すフレイヤは平時ならばとても可愛らしく見えるだろうが、先程自らが斬った人間の血溜まりの上でそう話す彼女は、団員達の目にとてもおぞましいものに見えた。
そして、彼らもまた怒りを忘れ、平常心すら失ってしまっていた。それも状況を見れば当たり前のことで、自分達より格段に強い少女が聖剣を手にしており、明らかに殺意を持ってこちらに向かってきているのだ。膝は笑い、汗が滲む。手に持っている槍がこれほど役に立たないと感じた事は無かっただろう。
先程まで呻き声を上げていた団員は事切れたのか静かになり、残された三人の団員は動きたくても動けない状況にあった。そんな中でフレイヤはまるでお花畑にでもいるかのように軽やかに自分の体を操っている。そんな異質な空気の中で、一人の団員が口を開いた。
「俺らと違ってあんたは真面目な奴だと思ってたが、一体なぜこんな事をするんだ……?」
そう言った団員の首は、言い切ると同時に地面へと落下していた。
「奴、とか言わないでくれますか? とても不快な気分になるので」
フレイヤは頬を膨らませてそう言う。そして、ぷすっと頬の空気を吐くと笑みを浮かべて続けた。
「ただまあひとつ答えるならば――」
フレイヤはリズムをとるように右足のつま先をトントンと地面に当てはじめる。そして一度軽い跳躍を挟んだ後に一気に地面を蹴り、二人の団員の喉元を目掛けて刃を薙いだ。
「気分がとても良く、そして気分がとても悪かったんですよね」
返り血を身体中に浴びながら、誰も聞いていない中フレイヤは笑いながら言い放った。そして顔にかかった血を拭い、聖剣に付着した血を拭き取ると鞘に収める。そして両腕を組み考え事を始めるも、すぐに何か思い付いたかのように笑顔で話し出す。
「そうですねぇ……聖剣は入手したものの祠が崩れてしまい、すんでのところで私は脱出するも貴方達は潰されてしまった、という筋書きにさせてもらいますねっ!」
そう言うと、倒れている四人の団員はまるでいないかのように祠の出口へと向かい、祠から出るついでに天井を切り付けた。すると祠はまるで何かに勢いよく吸い込まれるかの様に崩落を始め、ものの数秒でただの岩山になってしまった。
「ちょっと強引かな? 返り血もすごいし。でも、聖剣を持って帰ればそんな事気にされないよね」
フレイヤは崩れた祠を見て満足気な笑みを浮かべると、王国に向かって意気揚々と歩を進めた。もちろん例え国に対しても、聖剣を渡すつもりなど毛頭無いのだが。