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初任務③

 戻った車の中で、笑顔の彼女はこう言った。


 「無事で良かったね!」


 まるで他人事のように、傍らに仰向けで息絶える男を無視して、そう言ったのだ。

 颯太は全身の血が頭に上るような感覚を覚えた。


 「なに言ってるんですか……この人、死んでるんでしょ……なんでそんな」

 「リラ、何かおかしな事言った?」


 オカシナコトイッタ? 颯太はリラの言葉を心の中で反芻するが、全く脳みそが受け付けない。

 普段の笑顔のまま首を傾げるリラは、颯太の目には異形でしかなかった。


 「おかしいに決まってるじゃないですか! 人が死んでるんですよ! それなのに笑顔が出るなんて、普通じゃない」

 「普通じゃない? リラはこれが普通なんだよー? 常識は疑え! ってね、あ、今のちょっとカッコ良かったかも!」


 変わらず普段のスタイルを貫くリラに颯太の怒りは頂点に達した。

 素早くリュックの横から拳銃を取り出すと、その銃口の照準をリラの眉間に合わせる。赤いレーザーポインターが浮かび上がっていた。


 「なんなんですか、マトモじゃない、意味が分かりませんよ」


 リラは不服そうに薄紅の頬を膨らませて、


 「君こそなんなんだ! 来たばっかりだって言うのに、先輩に銃口向けちゃってさ! 人なんて死ねば肉塊と差異ないじゃん! なんでそんなモノのためにリラが悲しい顔しなきゃならないの? それにこの人、リラの知らない人。感情を向けるだけ無駄!」


 リラは言い終わると素早い回し蹴りで颯太の握る拳銃を落として、反撃させる間もなく顔面を殴り飛ばした。

 女性ではなかなか見ない機動力と攻撃力で颯太を圧倒したのだ。


 「――――ッ」


 倒れ込んだ颯太は、しかしそれでも憎悪の眼をやめない。何かリラが喋るほど、動くほど、その憎い姿を叩きのめしたい。

 折れた前歯からドクドクと血が流れるのを気にも留めず、歯を食いしばって立ち上がった。


 「……人の命を……軽く、見るんじゃない」


 颯太の脳裏には頭部の欠損した男の死体と、それを前に泣き崩れる女と、状況を理解し得ない小さな子供と、まだ歯も生えていない赤子が映っていた。

 忘れようと記憶の奥底に仕舞い込んだいつの日かの記憶。その景色が鮮明に浮かび上がり、再び颯太の血を暴れさせる。


 「その人だって……必死に、必死に生きて……」


 憎悪の炎を目に宿す颯太と対照に、リラは冷め切った目で颯太を見て、


 「だからリラには関係無いってさっきも言ったの! 仕事の邪魔だから少し黙ってて!」


 颯太が目を見開いた頃にはもう遅く、眼前に迫る拳を避け切ることは不可能だった。

 そうして鼻から口辺りに強い衝撃を受けつつ、記憶が僅かに霞んでいった。







 全隊のミサイルが撃ち終わり、空と橋宮はその場から離れていた。

 第二陣の狙撃部隊が余ったアリを撃破して今日の任務は終了、そう思っていた。


 『かいとくん』


 突然耳に響く短い呼び出し。普段の彼とは全く異なっていた。


 「ゆきか、どうした?」

 『予想通り出たわ、その地点から3500メートル先。そこも十分に射程範囲よ、気を付けて』


 島田は高速で警告だけ残して通話を切った。

 橋宮が誰かと話す姿を横目で見ていた空が問いかけた。


 「どうかしたんですか?」

 「うん、ソラ、君は車に戻っていた方がいい」


 突然の帰還命令に空は驚いた。それも、とびきり深刻そうな顔をして言ったのだ。何かあるに違いない。


 「なんでですか、俺出来ますよ」

 「いや、死ぬ。俺でもあやしい。来ない方が身のためだ」


 橋宮は空が言い返すのを手で制して、ニカッと笑った。


 「心配すんな、お前は強い」


 そして自前の銃を持ったまま、橋宮は颯爽と走り去っていった。

 背中が小さくなる。追う選択肢もあった。だが、出来なかった。

 怖かった。

 入隊して、リーダーだと自己紹介された。たった数日だが、その背中に憧れを抱いた。そんな憧れの男が来るなと言った。自分でも無理かもしれないと言った。

 怖い。

 初めての実地研修以外の任務で、勝手も分からない。だが、本能が訴えていた。


 行くと死ぬんだ、と。だが、


 「行かないと……」


 車の方へ向きかけていた足を戻し、橋宮の後を辿るように、周りに警戒を配る事も忘れずに、追い越す隊員とのアイコンタクトをして、一歩ずつ進んだ。

 そこでふと思い出した。新人が車に呼び戻されるなら……


 「ふーたも呼びに行くか……」


 ここまで特に何もしていないので体力は有り余っていた。これでは戻ってから大暴れしないと発散出来ない。


 「しゃーねぇな!」


 姿勢を低くして、さながらクラウチングスタートのような格好で脚に力を込めた。


 「全力全開! 未来のスーパースターが来たぜ!」


 地面を蹴る瞬間に、つま先に力を込める。次の瞬間、足元が爆ぜる感覚を味わいつつ、周りの景色が高速で過ぎ去っていくのが分かった。

 足を前に出す早さは徒歩と変わらない。違うのはその圧倒的な移動速度。地面を蹴るたびに速度が増していき――


 「ふーたぁ! 今すぐ橋宮さんの援護に……」


 車の地点まで戻った空は、そこで顔面を血で汚した颯太が倒れているのを目にした。


 「ふーた? おい!」


 慌てて近寄り、首筋を触る。脈が動いている感覚はあった。だが返事が一向に返ってこない。そして目を開けてくれないのだ。

 空の背中に嫌な汗が垂れる。これまでの人生の半分以上を共に過ごした仲だ。もし、もしが有れば。


 「……う……ううぁ……」


 突然颯太が口を開いた。呻き声でまともに喋れる様では無かったが、空はひとまず安心した。


 「ふーた、何が?」


 空の問いかけに、虚に眼を開けた颯太は、喘ぎ喘ぎ答えた。


 「……リラ……あいつ……っ……車持って、行きやがった……」


 空はハッと気がついた。ここにあるはずの車が無い。キーは隊員の指紋認証で起動する。他の人間が操作するのはほぼ不可能だ。

 空は慌てて島田に無線を繋いだ。


 「俺だ、今リラはどこにいる? どうせ位置情報なんかバレてんだろ?」

 「――そらくん? リラは丁度君たちから逃げる様に移動……車使ってるわねぇ……大体方向は富士山、旧山梨方面って所ねぇ……」

 「そうか、ありがとうございます」

 「あ、敬語使うそらくんもイイねぇ」


 聞き終わる前に無線を切った。

 空は颯太の傷を確認する。口の中を少し裂いているのと前歯の欠損だけで、他には特になさそうだった。


 「ふーた、立てるか?」


 颯太は一つ頷き、空の肩を持ってゆっくりと立ち上がった。


 「追いかけるぞ、俺の足なら問題ねぇ。しっかり捕まってやがれ!」


 颯太を背中に乗せた空は、再び地面を蹴る様に飛び出した。

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