カラスの巣窟③
「早起きは三文の徳」という。
一日三文だろうと、一年二年と続ければいつか大金持ちになるのではなかろうか。
意味は違えど颯太もまたそう思う人間だった。
颯太の朝は早い。おそらく太陽すらも驚くほど早い。それはこの別環境に置いても変わる事は無かった。
「九十八、九十九、百……」
空の静かな寝息と、颯太のカウントしかこの真っ暗な部屋には響いていない。
片手腕立て百回を両腕が終了。この後腹筋、背筋、握力と上半身を軽く温める。しかしここまでしかやらない。以前トレーニングのし過ぎで怪我を負った颯太は限界を知っているのだ。
「あとはランニング……」
自分の荷物からランニングシューズを取り出したのは良いのだが、全く土地勘が無いこの地で、果たしてどこを走ればいいのだろうか。
そう思っていたところ、部屋の前に人気を感じた。
「誰か起きてんのか」
軽くノックをして入ってきたのはミチルだった。
「風間、早起きだな。日課でもあるのか?」
「そうなんですけど……」
シューズに目を落とした颯太を見て気が付いたのか、
「ランニングコースか?」
「え、えぇ、この辺りの土地には疎くて……」
苦笑いを浮かべる颯太に、夜空は顔色一つ変えずに言った。
「この建物の地下二階は車両倉庫なんだが、今の時間は整備士も居ないから多少は走っても良いと思うが」
「そんなところあったんですね」
「昨日ゆきと一緒に見て回ったんじゃないのかよ」
「あ……島田さんは急用で何処かへ行ってしまったので」
それを聞いてミチルは少し笑顔になった。これがかなり美人なのだ。颯太は初めて見る笑顔に少しドキリとしてしまう。なにせ思春期真っ只中なのだから仕方あるまい。
「アイツらしいや。仕事が最優先だもんな。あ、私も人のこと言えないかも」
颯太は気になっていたことを満を辞して聞いてみた。
「夜空さんも早起きですよね」
「当たり前だ。仕事はいつでも山のようにある。風間もそのうち分かるさ。早く走りに行きなよ。朝飯になる」
片手を挙げて部屋を出て行く後ろ姿は、憧れの先輩像のようなものを感じた。
続けて颯太も部屋を出て、地下二階へと向かったのだった。
*
「ふーた、飯できてんぞ。いらねぇなら俺が食う」
朝のランニングを終えシャワーを浴びて汗を流し、気分すっきりのまま食堂に行った颯太に、空はご飯をかきこみながら言った。
「朝の挨拶も無しか……」
「うるへぇなぁ……めひ要らねぇほ?」
「チッ、口に飯入れて喋んな」
颯太は長机を挟んで対角の席に座った。すかさず島田が二人の丁度間に座ったのは無視でいいだろうか。
コーヒーカップを片手に脚を組む島田は何か言いたそうな顔をしていた。
「……どうかしたんですか?」
颯太は一応聞いてみたが、予想外の反応だった。
「うぅーん……そうなんだけどねぇ、うん、一応連絡だけしておくわ」
島田は少し間を置いて、
「明日任務があるわ」
「本当ですか!?」
颯太より先に食いついたのは空だった。
ここまで緊張からかあまり表情が変わらない彼だったが、その目を光らせ身を乗り出した。
「どんな、どんな蟲なんですか?」
島田はその細い手で優しく空の頭を撫でて、椅子に座らせた。
「恐らくアリの一種ねぇ、動きはそこまで早くは無いけどぉ、数が多いから面倒なのよ。あとちょっと大きいし。わたしは司令室から指示飛ばすだけなんだけどね」
元々颯太と空はこの【crow】の親であるヤシマ工業から派遣されたのだが、ここに来る前に一年かけて頭に入れた事前情報がある。
アリは大きく分けて黒と白がいる。特に差は無く、白だけは昼間行動が出来ない種なので、夜間任務になることが多い。基本頭を潰すか身体が半分以上欠損するかで蟲は消滅するのだが、アリは比較的体表が硬く出来ており、通常の銃弾は通らないらしい。
「黒ですか」
「黒よぉ、よく知ってるわねぇ」
追撃の頭撫で撫でをギリギリ回避した。
颯太にはまだ疑問がある。
「何か心配でもあるんですか?」
島田は一瞬口から空気が漏れたが、
「無いわよぉ? ふーくんと、そらくんは即戦力だからねぇ。期待してるわよ」
言い終わりにウインクをして、島田は席を立った。
それから暫く無言で朝食を食べ、自分の食器を洗っている時だった。
「なぁふーた」
食堂を出たはずの空が帰ってきて、問いかけてきた。
「島田、なんかおかしかったよな」
こういう時の空の察知能力は高い。バレバレの演技だった島田も悪いのだが。
「心配事でもあるんじゃない? ソラが迷子になるとか」
「は? なんで俺なんだよ。ふーたこそ足引っ張るんじゃねぇぞ!」
唾を撒き散らして憤慨する空は、乱暴にそう言い残して食堂を出て行った。
しかしどうも気になってしまう。
島田の一瞬の隙間が、颯太のその日の悩みの種となってしまった。
自分の配置や作戦を頭に入れるはずだった今日は、脳みその半分をその事に使ってしまったのだった。