束の間の
「また任務放棄したのかしら? そろそろクビになっちまうよ」
クスクスと笑う声が打ちっぱなしのコンクリートの壁に反響して耳障りだ。
それに今日は疲れていた。放っておいて欲しかった。
「うるせぇ……。まだ足りねぇんだよ」
「あら、霜月家の当主を殺してネクストワールド社の研究施設を破壊してもまだ足りないのかしら。やだーこわーい」
身体をくねらせて変な声を上げる女を無視して溜息をついた。
今回破壊した研究施設はクローンプロジェクトの主力施設だと言う話だった。確かに人工子宮の中で培養される胎児が無数にいた。これは推測に過ぎないが、培養した胎児を別の容器に移し替え、成長を促進させて一気に成熟させるのだろう。施設には成人のような大きくなった人型の塊もあった。その顔が男女とも同じな事は不思議だとは思わなかった。
「まさか私情で動いてるなんて事は無いでしょうね?」
考え込んでいた雷電の肩を叩いて首を傾げた。雷電は一歩離れて、
「私情じゃねぇといえば嘘になる」
「じゃあなんなの? なんでこのプロジェクトを止めようと思うの?」
「……クローンも生きている人間だ。データを取るために戦地に身を投げられる道具じゃねぇ。治療も受けられず怪我や欠損は殺されるだけの人形じゃねぇ。命の冒涜だよ」
「はぇー。ま、でもエゴじゃん。てかあんたも人殺してるけど」
雷電は出かかった声を飲んだ。
その通りだ。誰かが死ぬことを嫌う自分は、誰かを殺すことしか方法を思いつかない。矛盾していることは承知だ。
「そういえばあんたIERHの登録派遣戦闘員だったな。その辺の規約も含まれてんじゃ?」
「関係ねぇよ。俺の、エゴだ」
「ふーん」
女は興味なさそうに「頑張ってよね」と一言残してその場を去った。ハイヒールの響く音が消えてから息を吸った。
そしてさっきの単語を口の中で呟いた。
IERH。国際緊急対策本部。
雷電が派遣戦闘員として登録されている国際組織の名前だ。世界中から人間離れの身体能力を持った人たちが集められ、蟲による危機的状況の国の手助けをする役割を持つ組織であり、世界平和を望む組織だ。
規約としてクローンの製造は禁止されている。それを取り締まるのも役割の一つだが、あまり重要視されてはいないのが現状だ。
とはいえそもそも無理矢理登録されたため、その規約を遵守しなくても怒られはしないだろうと言う考えだったが、
「……俺は、命を弄ぶ奴は許せねぇんだよクソ……」
吸っていたタバコを地面に落とし、踵で踏みにじると、胸ポケットから拳銃を取り出して残りを確かめた。
この男の仕事はまだ終わらない。
*
バッタとコオロギの任務から帰還した次の日、颯太の姿は基地内のトレーニング施設にあった。
「それにしても、島田さんも筋トレするんですね」
「あら、当たり前じゃない。座ってばかりだと肉が付いちゃうからねぇ。それに、ふーくんとジムデートだなんて……」
「橋宮さんも居ますけどね」
濃緑の長い髪を短く結ってランニングマシーンに乗るのは島田幸先だ。男だが女のよく分からない人物だが、指揮官としての腕は相当なものらしい。
そしてルームの真ん中で大きな唸り声を上げるのは【crow】のチームリーダーの橋宮海斗だ。腕に能力を持ち、普通の人の数倍の力を発揮する特殊戦闘員の一人。
「でもまぁそらくんが来れなかったのは残念ねぇ」
「無理させましたからね……」
空は颯太の同期であり昔からの親友だ。昨日の任務中に酷使した脚の回復が遅れ、今はトーキョー3区内にある病院で治療中とのこと。本人は残念がってはいたが、細胞活性剤によるキャパオーバーが響いたのか今も歩けないそう。
「あ、そうだ。ふーくんとそらくんの昨日の件」
「……はい」
昨日の件というのは、『狩人』と呼ばれる特殊戦闘員と共に指揮官の命令を無視し、敵陣の中央を無理に突破した事件だ。
「結果的に好転したとはいえ、指揮官の命令を無視した行動はダメね。処罰の内容だけど」
颯太は覚悟して頭を下げた。
「毎朝わたしの部屋に来て肩を叩きなさい」
「……は?」
頭の中で回っていた減給や出撃停止処分などが崩れ、謎のワードに支配された。流石に開いた口が塞がらない。
「これで毎朝二人の顔が見れるわぁ……ふふ、ふふふ……」
「いやですよ!」
「あら、わたしの役職知ってるわよねぇ……」
島田幸先は指揮官だ。人が違うとはいえまた逆らうことになるとどうなるだろうか。
「ぱ、パワハラ、ですよ……」
その言葉を聞いた島田はにこりと笑うだけで何も言わない。
「えと……分かりました……」
そしてそう言うと島田の顔が晴れやかになり、走るのをやめて颯太の顔を胸に押し付けた。もちろん筋肉質の硬い胸板だが。
「そうこなくっちゃ!頑張ってよねぇ」
「……はい、頑張ります……」
颯太は無理矢理島田を引き剥がして足早にその場を去った。
島田はその背中が遠くに帰るのを待った。
「ちっ……狩人ね……クソ機械化人間が」
そう誰にも聞こえないように溢して、ランニングマシンを起動させた。




