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交渉

 『こちら作戦完了』

 『こちらも作戦完了しました』


 管制室に届くのは殲滅戦の終了報告だった。前回の戦いが嘘のように、今回は被害が最小限で抑えられた。


 「お疲れ様、戻っていいわよ」


 島田が答えると、声の先で歓声が聞こえた。

 通信端末を切断し、回転する椅子に腰を下ろした。戦地に足を運ばない分、精神的な負担が大きい仕事なのだ。しかも毎回の作戦で担当する部隊が違うため、まず彼らとの意思疎通が大変だった。

 島田は大きく息を吐き、持ち込んだ缶コーヒーの側面から生える糸を引っ張った。

 缶の隙間で化学反応を起こし、その熱で中身を温めると言う最近の便利なコーヒーである。

 そしてプルタブを開けると、湯気が立つ香りの良いコーヒーが出来上がるのだ。

 いつからかカフェインが無いと生きていけない生活になっていた。日々精神力を擦り減らすストレスからか、それとも仕事量の多さで寝る時間を削るためだったかは忘れた。

 ともかく、島田にはコーヒーという物は欠かせない存在になっていったのだ。

 そして今回もそうだ。口に広がる苦味と、僅かな酸味の液体を勢いよく喉に流し込む。今更美味いとか不味いとかは関係無かった。

 そうして一息つくと、島田は再びモニターを操作し始めた。

 待機していた無人機や有人機、Cr-2などの運搬車両の電力供給を停止させなければならない。トーキョーのエネルギー自給率は軽く百パーセントを超えるが、節電と言うのは常に言われている。


 「面倒ねぇ……」


 一つ一つ手動で切っていく。機械化の進む社会に置いて、こんな原始的なのはあり得ない状況だ。

 そうして全て切り終わると、救護班が引き上げるまでに少しの時間ができ、それが一時の休憩となる。

 と、管制室の自動ドアが開く音がした。


 「あら? 私を癒しに来たのかしら?」


 現れたのは戦闘服を着崩した二人――颯太と空だった。


 「島田、今いいか?」

 「いつでも私は空いてるわよぉ?」


 笑みで返すと、空も颯太も笑わないまま、真剣な眼差しを向けてきた。


 「島田さん」


 切り出したのは颯太だった。


 「どうしたの?」

 「リラの事なんですが」

 「あぁ……」


 島田は何となく察していたが、いざ聞かれるとどう説明するべきか悩んだ。あまり大事にしたくない案件である故、彼らにどこまで伝えるべきか。


 「あの子は昔から良く今回みたいな事があってねぇ。あんまり珍しい事じゃないのよ」

 「そうなんですか?」

 「そうよぉ」


 島田は長い濃緑の髪をかき上げた。


 「多分誰も心配してないわぁ」

 「そうか。ならいいんです」


 空は島田の目を見た。島田もその目を見つめ返し、空が目を逸らしてこの一幕は終わった。

 管制室を出る時、颯太がこちらを向いて、


 「何かあれば俺たちにも言ってください。一月とちょっとですけど、俺たちも一員なので」


 そう言ってお辞儀して行った姿を見ると心が痛んだが、優しい彼らを巻き込むわけにはいかないと心に決めたのであった。







 薄暗い室内に大きく響いたのはヤシマ工業製の対蟲狙撃銃の射撃音だ。

 耳を貫くような音が響くため、基本的には耳に防音のヘッドホンを着けて入る。

 ミチルと霞もその例外無く着けていた。


 「やっぱり聴こえにくいな」

 「そう、だね」


 隣を歩いていても声を張らないと聴こえない。特に霞の声は普段でも小さいので、ミチルは全て拾う努力を欠かさない。

 ここは地上に本部を置くヤシマ工業の室内射撃場だ。およそ三百メートルまで目標の設定が可能で、雪や雨、夜や霧など様々な天候が用意される。


 「練習に付き合わせて悪いな」

 「ううん、丁度練習したかったから……」


 二人はそんな会話を繰り返して練習台に入った。

 板で仕切られた小部屋に白い台が一つ付けてあり、その上に持ち込んだ銃を取り付ける形になっている。弾などはヤシマ工業から支給される。


 『ヨソラミチル様。距離二五〇メートル、天候夜』


 手元のパネルに映し出されるのは、ミチルの練習データだ。前回は百発撃って命中は九十七発。眼に覚醒を持つ人間故にこれ程の精度を出せるが、本人は満足しなかった。


 「今日はいけそうな気がする」


 そう言って自前の狙撃銃であるMR-2A型を台に取り付け、弾丸を装填した。

 もちろんスコープなど付いていない。自分の目がスコープに代わり、あるはずのないレティクルが浮かんでくるのだ。

 息を整える。呼吸をするタイミングがズレれば、僅かでも外してしまうのだ。

 そして人差し指をトリガーに掛けて、引く。

 口径九.七ミリから放たれる弾丸は一秒も掛からず目標に命中する。

 そして次々と現れる二百五十メートル先の目標を狂う事なく射抜いていく。それは周りの人間が手を止めて見惚れてしまうほど正確で丁寧なものなのだ。

 そして毎回だが、撃ち終わりに次の弾を装填する動きも実に無駄が無い。

 集弾率の高いボルトアクション方式の狙撃銃も、これ程の人間が持てばもはや外す方が珍しくなってしまう。


 「ミッチーすごい……」


 横では霞が小さく手を叩いていた。

 そして全ての目標を撃ち終わると、銃から身体を離して息を吸った。


 「ふぅ……ダメだ」

 「なんで!?」


 ほぼ完璧と言える射撃に首を振ったミチルに、霞は驚いた。普段なら目に見えるミスが一、二回ほどあったが、今日は分からなかった。


 「まだ狙えた。まだ精度を上げられる」

 「えー……もう十分、だと思うよ……!」


 そう言う霞の頭に手を置いて、首を振った。


 「優しいな、霞は」

 「そうかな……」


 そうしていると、パネルに先程の結果が表示された。


 『命中率九八.九パーセント』

 「まだまだか」


 そう溢すミチルだが、このスコアは並の人間ではない事は、周りの人間の反応を見ていれば分かる事だ。全長一一二〇ミリ、重量一〇.六キロを持ち続ける事でさえ大変なのに、それに加えてこの正確な射撃技術は彼女を含めてもほとんど居ないはずだ。

 だから彼女もその実力を隠す事をせず、むしろ誇りに思い日々の鍛錬を欠かさない。

 直接戦闘に参加できる能力ではない彼女の、努力の証だった。

 そして再び装填していると、後ろから手を叩いて声をかけてくる人物がいた。


 「少しお話宜しいでしょうか」

 「……誰だ」


 話してもらえると分かったのか、その人物は被っていた帽子を取り、シワの多い顔と白髪まじりの髪を晒して一礼した。


 「私は霜月家の執事をしております、矢田宗次郎と申します」


 ミチルは霜月と言う名前で思い出した。昨日の事だ。現存する由緒正しき武家の霜月家の二十三代当主が死んだとか。


 「……霜月家……なんの用で?」

 「えぇ、源次郎様の二十四代目の式典が近日行われるのですが、その護衛をして頂きたいと思いまして」

 「断る。なぜ私が霜月家の護衛をしなければいけない。他にもいるだろ」


 そう言って矢田の交渉をぶった切る。ぶっきらぼうに答えるのは相手の戦意を喪失させるためだ。

 だが、この男も全く引かない。


 「先代の燈耀様が亡くなられた事件は知っていますでしょう?」

 「あぁ」

 「それでは話が早い。恐れているのですよ、私たちは。再びあのような事件が起きる事をね」

 「その護衛を? だから他の人を当たってくれ」


 ミチルは手で追い払う仕草をすると、遂に背中を向けた。そして防音のヘッドホンを着けようとすると、


 「お待ち下さい。あなたは十二教会のかの男を知っているでしょうか」


 ミチルはその言葉に手を止めた。これまで起きた有名人の殺人事件のほぼ全てに関わっていると言う男の噂。警察の方でも足取りを掴めないでいる幻のスナイパーなどと呼ばれているのだ。


 「知っているが」

 「でしょうね」


 矢田はチラリとミチルの左腕を見た。綺麗に治っているとはいえ、よく見れば丸い傷跡が付いている。


 「あなたは会ったことがある、と思うのですが」


 ミチルは咄嗟に左腕を隠したが、それが今の質問の答えになるとすぐに気が付いた。しかし遅かった。


 「私たちのところに優秀な狙撃手が居ませんで、噂によると【crow】に腕の立つ狙撃手がいるらしいと聞いて来てみた訳ですが、断られるのなら仕方ありませんね」


 ミチルは思い出していた。作戦終了の合図の後に響いた銃声を。目の前で頭から血を噴き出して痙攣する戦友の姿を。建物の上から笑みを溢す男の姿を。再認識した憎悪を。

 絶やす事のない復讐の炎が、燃やす先を見つけた。


 「確実にその男は現れるのだな?」


 その言葉に矢田は少し笑みを浮かべて、


 「えぇ、彼の動向からしてほぼ間違い無く」

 「そうか、そうか……少し、考えさせてくれ」


 そう言うと矢田はシワの多い顔を更にシワを寄せてにこやかに笑った。


 「では決まりましたらこちらへご連絡下さい。それでは失礼致します」


 一礼をして、帽子を被り歩いていく矢田の背中を見ていた。彼が本当のことを言っているのなら。

 ミチルは渡された紙を見つめた。

 そしてその紙を丁寧に畳んで胸ポケットに収めたのだった。

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