始まり
「かいとくぅーん。コーヒーブレイクでもどうかしら?」
そう言ってノックもせず部屋の扉を開け放つのは島田だ。両手にカップを持っており、コーヒーの香りが程よく鼻に届いた。
「そうだな、そうしよう」
橋宮は自分の席を立ち、部屋の端にある低めのテーブルに島田を誘った。
革張りの長椅子に向かい合うように座ると、出されたコーヒーに口をつけた。
「美味しい?」
「あぁ、美味しいよ、流石ゆきだね」
ニカッと笑って対応するが、こう言う時の島田は何かしらの話を持ち込んでくるのが普通なのだ。だから橋宮は身構えていたのだが……
「今日は人を紹介するわ」
「……?」
そう言われて、橋宮は島田の後ろの扉に目を向けた。
バッと開け放たれた扉の向こうにいたのは、ピンク色の長い髪をツインテールで結んだ外国人顔の少女、リラだ。
「リラか! 帰ってきてたのか!」
「イェス! 無事帰還ですよ隊長さん!」
ハイテンションのまま島田の隣に飛び込んだリラは、敬礼の真似だけしてニコッと表情を崩した。
「寂しかったんですよー。誰もお見舞い来ないから……」
「ごめんな。忙しくて中々行けなかったんだ」
「いーよ。みんな大変そうだし!」
島田がチラリと橋宮を見た。そうだ。リラは気が付いているだろうが、忙しいなど嘘だ。本当はトーキョー全部の病院に連絡したが、見つからなかったのだ。
「じゃ、私はこれで失礼するねー。仕事が溜まってるみたいだしさー」
そう言って頭を下げてリラは部屋を出て行った。
扉が完全に閉まるのを待って、橋宮は大きく息を吐いた。
「急に呼ぶなよな……」
「ごめんねぇ。リラがどうしてもって言うからねぇ」
そうして橋宮は少し冷めたコーヒーを一口飲んで、
「それで、ゆき。リラの足取りは掴めたのか?」
その質問に島田は首を横に振った。
「分からないわね。ふーくんとそらくんが行ったポイントの監視ドローンも全部データが消えてるし……」
「怪しさ全開じゃねぇか」
「絶対何かあるわねぇ」
考え込む島田を見て、橋宮は昨日の出来事を思い出した。雷電が襲撃されたと言う……
「十二教会……」
そう呟くと、島田が目だけで質問をしてきた。
「昨日雷電が襲われたらしくてな」
「らいちゃんが襲われた……?」
「あぁ」
橋宮は昨日の出来事を粗方説明した。島田は「かいとくんの女嫌いは相変わらずね」なんて感想を残して再び考え込んだ。
「リラと十二教会が繋がってる……なんて線は無いわよねぇ……」
「分からねぇ。それに雷電を襲う理由もだ」
人間と蟲の調和と平和を願う宗教団体の過激派が、蟲を駆除する仕事の人間を襲ったと言うのは分かるが、なぜ雷電なのかと言うのが分からない。蟲関係の人間で雷電を知らない人などいないだろうに。
「敵対するとかなりの脅威になり得るから、らいちゃんを襲った……」
「弾丸も当たらない男を殺せると思うか?」
「無知だったなんてのは……無いわねぇ」
橋宮も考えるが、なにせ情報が足りなさ過ぎる。真っ白のジグソーパズルの角が無いようなものだ。
「ともかく、リラと雷電の動向は注意しよう」
「そうねぇ……何も無いと良いんだけど」
そう言って島田は自分のカップと橋宮のカップを持って立ち上がった。
「私も調べておこうかしらねぇ」
「よろしく頼む」
島田はウインクを残して部屋を去っていった。
橋宮は静かになった部屋で、再び思考の海に沈んでいった。
*
「失礼致します」
正座で引き戸を開けると、男は日の当たる縁側で猫を撫でながら体をこちらに向けた。
「遅かったね」
「申し訳ありません」
「優しい君のことだ。どこかで人助けでもしていたのかな?」
「……その通りでございます」
「そうかい」
ストレートの長い髪を腰の辺りで結び、黒を基調とした陣羽織を着る珍しい姿の男はにこりと微笑んだ。
「明日は」
「明日の出撃要請はありません」
「そうかい」
男はそれを聞くと、手元に置いていた刀を持ち上げて、
「少し相手をしてくれないかな?」
「承知しました。道場の準備をしておきます」
そう言い残して静かに戸を閉めて立ち上がった。
先程の人物は霜月家二十三代当主霜月燈耀で、霜月源次郎の実兄でもある彼は、全く働かない。撃破数ナンバースリーの弟に全て任せ、自分はいつもあの縁側に座っているのだ。
そのせいか、霜月家の従者の勢力は大幅に弟の源次郎に傾いている。
「こちら紀那、第一作戦終了」
『了解、速やかに第二作戦へ移行せよ』
「了解」
紀那は背中に忍ばせておいたトランシーバーで連絡を取った。
そしてその足で道場へ行くと、手袋と靴下を履き、電気をつけて防具や竹刀などの用具を準備して燈耀が来るのを待った。
しばらくして、外から足を音が聞こえると、道場の扉を開けて燈耀が入ってきた。
「待たせて悪かったね」
「いえ」
短く答え、紀那は準備に取り掛かった。それと同時に燈耀も準備する。
その姿に、目を細めていた。彼が面を着ける。
その時だった。
道場の中で大きな破裂音がしたかと思うと、燈耀が面を落として、口から血を吹いた。
「あ……え……」
溢れる血を手で受け止めようとするが、止まらない。突然の事に頭が追い付かず、ただ喘いでその場で倒れ込んだ。
「……お見事です」
「当たり前だろ」
「……?」
燈耀は首だけを後ろに向けた。背後に立っていたのは……
「……らい、でん! きさ……ま!」
拳銃を燈耀に向けた雷電だった。
「すまねぇな、燈耀。お前みたいな雑魚が頭にいると死にかけるんだよ」
「こんな、こと! すぐに……バレ……る! 馬鹿が」
雷電は向けていた拳銃を下ろし、ポケットから一つの徽章を取り出した。それは人間と蟲を象ったものだ。
「安心しろ。お前は十二教会の連中に襲われて死んだ、そう言う事にする」
雷電はそう言うと、徽章を床に転がした。
「じゃ、次はあの世で会おうや。あばよ」
そして二発の破裂音が響いて、遂に燈耀は動かなくなった。
少しして紀那は燈耀の目蓋を閉じさせ、手を合わせた。
「んな事しなくていいだろうが」
「いえ、これでも私の主人ですからね」
「……そうかよ」
手を合わせ終わると、紀那は立ち上がり、
「では行きますか」
「あぁ、クソ共の泣き声が早く聞きてぇ」
ニヤリと笑みを浮かべた二人は、道場を後にした。
その数時間後、霜月家二十三代当主霜月燈耀は自宅の道場で死体となって発見された。このニュースはすぐに知れ渡ったのだった。




