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過去

 平日の昼は人気が少なく、動きやすい。

 一応能力行使は処罰対象らしいが、人目がなければ気にする事もない。

 そうやって、サングラスをかけて相変わらず筋肉の浮き出るピチピチな服を着る雲切雷電は、ビル群の屋上を飛ぶように走っていた。

 そして目的の建物が見えてきて、足を止めた。

 全面ガラス張りの建物の屋上、そこに人知れず佇む異常なバーだ。

 異常と言うのは、真っ黒に塗装された外観もそうだが、まずその入店の仕方。それは屋上に降りた理由でもあるのだが、ここは上からしか入れない造りになっているのだ。

 だからここはアンダーグラウンドの住人の秘密基地のようになっている。


 「……いらっしゃい」


 雷電が入店すると、部屋の立体音響から鳴るジャズと、渋い声のマスターがお出迎えだ。

 このマスターもそちら側の人間だが、表向きはバーのマスターと言ったところだ。


 「……席」


 マスターが目配せしたのはカウンターの一番端の席だ。しかし、そこにはもう一人座っている。


 「……お、来たね」


 雷電が近付くと、席に座っていた男は立ち上がり、握手を求めてきた。

 雷電は適当に手を退けてから、席を一つ空けて隣に座った。


 「あーあ、相変わらず警戒心が強いねぇ……」


 そう言う男は、左手でグラスを傾けた。いや、正確には右手が無いから左手を使っているのだ。ここにはそう言う人が多い。どこかで落とした、交番に行っても無かったなんて冗談はもう聞き飽きたほどだ。


 「マスター、いつもの」


 雷電はその男の言葉を無視してマスターに注文を入れた。慣れているのかマスターは棚から琥珀色の瓶を一つ取り、グラスに注いでいく。

 そしてそれを雷電の前に音も無く置くと、再びカトラリー磨きに精を出すのだ。


 「はぁ……多少楽になったか……」

 「雷電は今日もサボりかな? 仲間大丈夫なのかよ」


 そう訊いてくる男を少し睨んで、


 「仕事を譲ってるだけだ」


 と、もう一口酒で喉を潤した。


 「ところで、分かったのかよ。例のあれは」


 雷電の問いかけに、男はタバコに火をつけて、


 「分からん」

 「チッ……能無しが」

 「おいおい、これでも医学界では有名なんだぜ?」

 「俺にとっちゃ能無しなんだよ」


 男はハハ、と薄く笑い、タバコの煙をふぅーと吐き出した。白い煙が舞って、消えていく。


 「それも解毒剤入りか? 雷電」


 男が指しているのはこの酒だ。常温のグラスに常温のまま入れただけの酒。なら良かった。


 「七年前の毒がまだ効いているとはね。本当にどうなっているんだか」


 何も答えなかった。


 「妹もそうなのか?」


 だから不躾に踏み込んで来た質問には自制が効かなかった。


 「っ……ごめんって」


 気が付けば男に掴みかかっていた。今力を入れれば腕など軽く砕け散る。そうしないのは、彼の持つ知識と技量に賭けているから。


 「チッ……早く見つけ出せ」


 手を離すと、男は少し震えながら席を立った。マスターと小声で何か話しながら代金を支払って出て行った。

 その背中を目で追っていたが、やがて見えなくなると、グラスを傾けて回想に浸っていた。



 しばらくして、マスターが小さく咳をした。


 「……まだ、誰にも話していないのですか?」


 と、彼は雷電の目を、特に左目を見てそう言った。

 ほとんど喋ることのないマスターが自分から話しかける事に驚いた雷電は、しばし何のことか考えて目のことだと気付く。


 「あぁ、そうだな。ほとんど話してねぇ」


 マスターは、「そうですか」と呟いて、手元に目を落とした。


 「あなたがここに転がり込んで来てもう何年経つでしょうね……」

 「過去の話か? ジジィ臭くなったな」

 「そりゃもう還暦はとうに過ぎてますから」


 穏やかな口調で話すマスターの声は、どこか懐かしくて気分が良かった。


 「悪の道から戻った貴方が、今度は戦地に行くとは、親心とはこう言うものなのでしょうか」

 「知らん」


 一蹴された回答に押し黙る。別に雷電は意図した訳ではないが。そして、暫くの沈黙の後、またマスターが問い掛けた。


 「まだ、戦うんですね」


 その言葉で雷電の脳裏に浮かんだのは妹の顔だった。

 実際には妹でもなんでもない。蟲から逃げている最中に拾ったのだ。その時はまだ赤ん坊だったのに、今ではもう十を数えるようになっていた。

 だがそんな月日も、雷電に与えるのはいつも苦痛だけだった。両親の安否不明、妹の原因不明の難病、日々の生活が精一杯だった。せめて妹にはと、盗んできたミルクを与えたりしていたが、自分は汚い泥水を啜って生きていた。

 そんな生活で、雷電はいつしかアンダーグラウンドの住人になっていた。盗みも人殺しも薬物にさえ手を出した。仕事は全て完遂し、ミスターパーフェクトなんて呼ばれることもあった。

 そんな時だった。ある男がやって来たのだ。彼は「雷電を引き取りたい」と言って現れた。

 当時腕に自信があった雷電はそれを断り、殴りかかった。当然、周りの人も雷電が勝つことに賭けた。

 だが結果はその逆、いや真反対だと言っていい。

 雷電はその男に一つの傷もつけられないまま負けたのだ。

 そして彼はこう訊いてきたのだ。


 「なんでココに居るんだ?」

 「……妹の、治療費のためだ」


 そう答えると男は大きく笑い、


 「そうか! ならいい仕事がある。ついて来い」


 ニカッと笑う顔に腹が立った。どれだけ努力してこの世界で生き延びてきたか、知らないくせに。偉そうな態度でいるのが気に食わなかった。


 「嫌に決まってんだろ! 大体俺はここで」

 「ダメだ。ここに居るといずれ死ぬ。お前が死ぬとその妹はどうなる? 誰が金を払う? ……分かるだろ」


 睨む視線は、怒りそのものだった。まるで誰かに兄弟を殺されたことのあるような、そんな怒りに満ちた眼をしていた。


 「…………でもここは稼げるんだ」


 それに、なんで自分だけなのだろうと疑問に思った。なぜここの住民なのか。なぜ自分なのか。

 しかし、その疑念はすぐに晴れた。いや、無理矢理だが。


 「俺たちにはお前が必要だ。お前も安全な金稼ぎを望んでいる」

 「勝手に決めてんじゃ」

 「利害の一致だ。さぁ行こう!」


 そして彼は白い歯を見せてニカッと笑い、


 「俺の名前は橋宮海斗。歳はお前の一つ上だ」


 その時何故か、逆らうことが出来なかったことを覚えている。





 グラスの中で氷が溶ける音が鳴り、雷電は思考の淵から戻ってきた。

 気が付けば人が増えていた。

 そろそろ、仕事は終わっただろうか。


 「マスター、また来る」

 「……あぁ」


 代金を支払い、カランコロンと鳴る扉を音も無く開けて外に出た。

 眩しい光に眼を細めて、その景色を見た。




 緊急避難命令を知らせるサイレンと、真っ赤なランプがあちこちに灯っていた。

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