初任務⑥
春先の心地よい風が吹く。
しかしそれが自然の風なのか無人迎撃ドローンの風なのかは分からない。
別部隊の緊急援護要請により出撃した無人迎撃ドローンだが、遙か先の蟲による狙撃によって一瞬で沈黙した。
風が止んだ。
*
鼓膜が震える。轟音が近くなっていた。つまりそれは目標の蟲に近付いている事を意味している。
リュックに入れて持ってきた外付け用電動ローラーを靴に装着してスケートの要領で移動していた。
「ゆき、聞こえるか?」
無線をオンにして、その先にいる島田幸先と繋いだ。
『はぁーい、かなり近い所まで来たねぇ』
「まだ来ないのか?!」
『……あぁ、アレねぇ……どうかなぁ……あと三十分ぐらいかしら』
橋宮は腕時計を見た。作戦開始から二十分。脚に能力がある隊員の損耗が激しくなる時間帯だ。
「間に合わねぇ! 繋がらないのか?」
『繋がっても私じゃ聞く耳持たないわよ?』
橋宮は舌打ちして無線を切った。
『彼』が居ないとここまで無能なのか……
唇を噛んでいても仕方が無い。橋宮はリュックから様々な小物を取り出した。
「見えた……サイズは……」
およそ大型のバス二台分だろうか。驚くほど大きくはないが、その破壊力は格別だ。頭には無数の目玉がギョロギョロと忙しなく動き獲物を捕捉し、その八つからなる脚を器用に動かして捕食しかかる。細かい動きのエサには胴体のあらゆる所から木の幹ほどの太さの物体を発射して捕獲する。
蜘蛛だ。
おそらく発射されているのは糸。鋼鉄のような硬さの移動兼攻撃用と、粘着質の巣を張る用。後者はまだ撃ってこないが、その射程範囲から高速移動は可能だろう。
「やっぱり蟲は嫌いだ」
橋宮は手に持った銃を発射した。白い弧を描いて飛んでいったのは絶対零度に極限まで近づけた液体を入れたカプセルだ。
それは蜘蛛の背中に着弾すると、瞬く間に白く凍らせた。
硬い殻であっても、金属ではないので凍らせて破壊する方は可能である。
橋宮は次々と発射し、全身を覆うように凍らせていく。それを見て他の隊員が破壊する。
「ラスト……! 次は……」
しかし橋宮も精一杯だった。蜘蛛の周りを回るように攻撃を仕掛けつつ、相手の攻撃を回避していたのだが、直接当たらないと学習した蜘蛛は橋宮の走る先に糸を出し、行手を阻む。
「クソが……! ハァ……ハァ……」
しかし蜘蛛もほぼ全身が氷に覆われている。胴体から出る糸は自分を破壊する。理解した蜘蛛は大きく嘶き、全身を揺すった。
「な……馬鹿な」
蜘蛛は体の表面の殻を取るように左右に揺れると、ボロボロと体が砕け始めたのだ。が、下から現れたのは新たな体表。使えなくなった殻を外し、その下に高速で新たな殻を成形したのだ。
「脱皮か。なら次は……」
橋宮は一旦その場を離れると、リュックからダーツを取り出した。そしてその先を持ってきていた小瓶の液体に少し付けた。
「毒なら流石に……」
殺虫用猛毒(通称)は、内部から細胞を破壊する猛毒で、殺虫用と言うが人間も例外ではない。
橋宮は建物の屋上に出ると、ダーツを親指と人差し指で握り本来なら顔の前に持ってくるのだが、大きく振りかぶると、目線の先――蜘蛛の関節目掛けてフルパワーで投げる。
橋宮の能力は腕。発射されたダーツは弾丸と変わらぬ速さと狙いを狂わない正確さで関節に飛んでいった。
「これで死んでくれ!」
この毒は即効性、動きは次第に遅くなり、やがて死に至る……はずなのだが、目の前の蜘蛛は際限なく糸を撃ち続けている。
外してはいない。銃より正確性に自信がある腕が、ここでミスをする筈がない。
「なんだよコイツ……」
傷が付けば脱皮を繰り返し、即死の猛毒さえ効果がない。攻略の糸口が見えない。
が、これさえ駆除出来ないようでは面目が立たない。八巻蟲研究所は二体撃破という報告を受けた。そもそも倒せないようでは、ヤシマの立場が危ういのだ。
橋宮率いる【crow】はヤシマの最大の戦力であり、そのチームリーダーを任される橋宮は、言わば顔なのである。彼はトーキョー国民とヤシマを背負っているのだ。
「八巻はナンバースリーの霜月源次郎が居る。アイツの刀で頭を落としたか……」
橋宮と同じく腕に能力が発現した霜月源次郎だが、彼は卓越した剣技に溢れ、常に隠して持ち歩くほどの愛刀【名光丸】はダイヤモンドさえ斬り刻む破壊力がある。
それに比べてどうだろうか。人より少し優れた能力があるものの、刀は振るえず頭は回らず気配りさえままならない。
「だぁ! 一発ぶん殴ってやる!」
周りの隊員に合図を出した。同時に攻撃を当てて蜘蛛の意識を散らして間合いに飛び込む――
「いける」
建物の屋上から、蜘蛛の頭の上に飛び込んだ。
上手いことに蜘蛛の無数の目は周りを囲む隊員に釘付けだ。
「とおぉぉぉりゃあぁぁぁ!」
届く。一撃でいい。腕には自信がある。
拳から放たれた一撃が蜘蛛の脳天を外殻ごと叩き割る――
そんな目の前まで迫った妄想が消えた。
一つの目がこちらをギョロリと捉えたのだ。
あと少しで届くはずの身体は、横から飛んできた糸に対応できない。
「がぁあ!」
横腹から糸が貫き、そのまま地面に文字通り串刺しにされた。
ドクドクと流れる血の熱さに呼吸を乱しながらも、すぐさま止血剤を腹部に塗った。この止血剤は傷口に塗ると膜を張って血を止める効果がある。インスタント血餅と言ったところだ。
「あぁぁくそ! 痛ぇ……痛ぇ……」
息を落ち着かせようと目を閉じた時、
『かいとくん!? 心拍数と呼吸回数が増大してるわ……大丈夫?」
「んなわけ、ねぇだろ……やられ……しまった」
『すぐ応急処置に向かわせるわ! 今ふーくんとそらくんが車を回収してそっちに向かってる』
「チッ……戻れって、言った、のに」
『とにかく、血を吸われないように動かないで』
ブツッと無線が切れた。すぐに止血剤を塗ったため出血は多く無い。
「(改造人体と装甲セルの増大、おまけにプロテクターまで着けてんのに貫通するか普通……)」
橋宮の脳裏に嫌な考えがチラつく。
「(まさか八巻の人喰い蜘蛛ってこいつなのかよ……)」
蟲は人の血を取り入れることで更なる進化を遂げる。この馬鹿げた射程距離も脱皮の速度も糸の破壊力も、もう既に進化した後だと言うなら、納得がいく。
「……クソがぁぁ!」
餌を一つ確保した蜘蛛は、その小さな人の声を無視して新たな餌の捕獲に糸を伸ばした。