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「二度とマウンドに上がるな」

長い沈黙が続いていた。

部室棟の2階の奥、その一室で長机を挟んでパイプ椅子に座った男女は、言葉を交わすことなく数分間硬直していた。室内の両端に置かれた大きな本棚には、文豪の全集や、薄い冊子のようなものが所狭しと整頓されている。その空間は、文芸部の部室であった。


この長い沈黙の間、置かれている状況がよく整頓できなかった翔は、目の前の女子が何か話し始めるのをひたすらに待っていた。しかし、この沈黙が何分続いただろうか、翔は無限とすら感じそうになるほどの時間をただただ過ごした。

「本…好き…なんですか?」

「え…え?」

「前に…図書室で見たから…」

…翔は、何のことか全く分からないながらに、何か言わないとまた沈黙が訪れるという恐怖から、とりあえず言葉をなんとか捻り出した。

「え、ええと、これまでその…あんまり読んでこなかったけど、これから読書でも趣味にしようかなって…」

「そう、なんですね…」


再び長い沈黙が訪れる。

すらっとした出で立ちなのだがいつも下を向いているせいか、非常に存在が希薄な女子は、いわゆる図書委員になりそうと言わんばかりの長い髪を三つ編みに結い、メガネをかけた見た目をしている。

「本田…」

「はい?」

「詠…」

「よみ…?」

今の今まで、初対面のような雰囲気を感じていたが、クラスの出席簿に名前があったことを思い出した。本田ほんだ よみ、が彼女の名前だった。


そしてまた、長い長い沈黙が訪れる。

さすがに耐えきれなくなった翔は、本田に対してこう言った。

「あの、本田さん。話したいことって何ですか?」

「………光ちゃん。」

思いもよらない人物の名前を耳にして、「ああそろそろ帰らなきゃなあ、ビラ配り終わった頃かな」と思う翔に対して、本田は言葉をぽつりぽつりとこぼしていった。

「東海林さん、光ちゃんから逃げてますよね…」

大きな息継ぎの後、

「ここの部室で良ければ…使っていいです…」

翔は、本田からの意外な提案に驚いた表情を浮かべた。

「つまり、ここを避難するときに使っていいってこと?」という問いかけに対し、控えめに頷いた本田は「本読むなら…ここにもたくさんあるから…」と答えた。

「読書始めるなら…この辺とか…」と椅子から立ち上がり、何冊か文庫本を本棚から取り出して翔におずおずと差し出してきた。

「あり…がとう…?」と気の抜けた返事を返し、おもむろにその本を手に取る翔。本田はそれっきり、鞄から取り出した本を読み始めてしまい、翔にそれ以上何か話しかけることはなかった。

翔はこれまで活字を自発的に読む経験が乏しかったので、勝手がわからないものの手に取った文庫本を読もうと試みたのであった。



ーーー


キィィィン、と鋭い金属音が何万人もの罵声を切り裂き、響き渡った。右打席から放たれた打球は、低い弾道で左中間を破り、ワンバウンドでフェンスまで到達した。塁上を埋めていたランナーがホームを駆け抜けていく。1人、2人、そして3人目が返って来る。キャッチャーのタッチをかいくぐるスライディングと、ホームベースの少し手前で一塁方向へと弾んだボールは、滑り込むランナーの方が早くホームへと到達した。歓喜しながらチームメイトと泥だらけのユニフォーム姿で抱き合う相手チームの選手達。だんだんと白んでいく視界が最後に捉えていた光景だった。


そこからのことは、よく覚えていない。

まるで、自分に何も関係のないニュースを見ているかのように錯覚し、ひたすらに何も感じることができない時間が過ぎていた。


自分と同じユニフォームを着た人間が、1人の人間の前に整列して集められている。その列の最前列、列の中心に立っていたことは分かる。しかし、そこまでにどうやって球場の外まで歩いたのか、どうやってその列に並んだのか、周りの人間が何という言葉をかけてきたのか、覚えていない。いや、きっと誰も何も話しかけなかったのだろう。


正面に立つ自分よりも大柄で、眼鏡のレンズ越しに直視することすら難しいと思える視線ではっきりと見つめる男は


「二度とマウンドに上がるな」


と、翔に言葉をかけたのだった。

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