「あの…」
陽川光によって、元館川大翔洋のエースだったこと、野球を辞めて転校してきたこと、そして光の勧誘の対象として狙われていること、初日にしていろいろなレッテルを貼られ、噂が噂を呼ぶ状況で始まった翔の学園生活は、休み時間のたびにA組に喧騒を呼び込んだ。
光の話をひたすら相手にせず「もう野球をやらない」という翔と、ひたすら話し続ける光。こんな光景が日常となっていた。
翔は、最初のうちでこそ否定してやり過ごそうとしていたものの、次第に休み時間になった瞬間に校内をさまよい、結果的に校内のいろいろなところをうろつくことによって、より一層その存在を学年中に知らしめることとなった。
また、話を聞かされているうちに分かったこともあった。光は入学して間もなく、野球同好会を立ち上げたこと。今はまだ9人集まっていないので部活として認められていないこと。所属している人間のこと。男子のみ、というルールが撤廃された高校野球で本気で優勝したいということ。…そして、光が一度決めたら折れない人間であるということ。実際、そのせいでこうして休み時間の度にどこか一人になれる場所を探しているのである。
「ようエース様、今日はどこで避難してたんだ?」
「お前に言うとあの女に筒抜けになるんだろ、話す義務はない。」
「まあそう言うなって〜オレとお前の仲じゃんかよ。」
「だいたいあの野球バカと同じ同好会のお前と、仲良くなったつもりもないんだがな俺は。」
「エース様は孤独を好むタイプってことね、なるほど〜。」
と、翔に気安く話しかけている生徒は鉢屋 悠。学ランの下にTシャツという出で立ちで、自分の前の席であり男子用の制服を着ているということから翔も気を許していたが、どうやら鉢屋もあの「同好会」の一員であるらしかった。それが分かる前にどこで昼休みに時間を潰してたか話してしまい、屋上はもう光からマークされる場所になってしまった。「ハチから聞いたよー!一緒にお昼を食べよう!」と、昼休みに翔のもとへ光が駆けつけ、男子校出身者なら誰もが憧れる「女子と昼休みに屋上で昼を食べる」というシチュエーションを本人が望まない形で叶えてしまった。
しかし放課後だけは、光は翔に直接絡んでくることはなかった。下駄箱の前で「部員募集中!貴女も一緒に甲子園を目指そう!」と書かれたビラを大声を出しながら配っているのであった。それも放課後の30分ほどの時間だけであり、ある程度の時間が過ぎてからはピタッと止むことも、転校してからの何日かで分かったことであった。
そのため、翔はそのビラ配りをやり過ごすため校内で時間を潰し、家に帰るということが習慣になりつつあった。
ある日のこと、例のごとく校内をうろついていた翔は、文化部の部室棟のあたりまで足を伸ばしていた。日課になりつつある「徘徊」のおかげで、転校してからだいぶ校内については分かるようになってきたが、文化部の部室棟には来たことが無かった。
「あの…と、東海林くんですよね…」
と、後ろから突然話しかけられて思わず
「は、はい、そうですが!?」と敬語で改まって答えながら振り返ってしまった翔。
そこには、一人の女子生徒の姿があった。
「ご、ごめんなさい急に話しかけて…」
「は、はあ…」
「あの…」
「…何か?」
部室棟の廊下で、聞こえてくる吹奏楽部のものであろう楽器の音を聞きながら、静かに女子生徒は言葉を紡いだ。
「良かったら、少しお話していきませんか…?」