出来ること
「う……」
うめき声で我に返った。薄暗い日光ながら、なぜかしら草木は青々と茂り、むしろ私達のいた土地よりもすべてが大きく育っているようだ。もしかしたら自分たちが縮んだのではないかとすら思えた。
高い草に埋もれるようにして、フリックとシエルが倒れていた。私は慌てて駆け寄って、叫んだ。
「フリック! シエル!」
「……エカルテ? え? ええ? なに、ここ?」
シエルが頭を抑えながら上体を起こす。空を見上げ直しては、何度も目をしばたかせている。
「私も、いま気がついたところで、わからない。それより、フリックが――」
「! フリック!」
シエルが叫んで、しゃがみ込む。私もその隣に座り、彼の顔を覗き込む。
彼から返事はなかった。ぐったりと手足は弛緩し、顔面は死人のように青白い。
どすぐろい赤に染まった服。しゃがみこんで顔を覗き込むと、わずかにまぶたが痙攣し、荒い息が口からは漏れている。
できることを、考える。感情は波のようにうねっていたけれど、頭はひどく冷静だった。
絶対に、死なせたくない。授業で習ったこと。本で呼んだこと。思い浮かぶことはそう多くはない。
止血しなきゃ。
服の袖を破くのと、地響きのような振動を感じたのは、同時だった。
「エカルテ!」
シエルが顔を上げ、私も立ち上がった。
もうもうと土煙を上げて、何かが近づいてくる。
「私が、守るから」
こんなときなのに。こんなときだから、だろうか。魔力の高ぶりは収まらず、充足感すらある。
この土地の空気中の魔素が全て自分のものになったかのようだった。もう、間違えたくなかった。
「無理しないで」
「……」
不安そうに言うシエルの顔は見られなかった。
3頭の、赤黒い鱗をもつ人間の倍以上ありそうな、大きなトカゲたち。図鑑でみたことがある、偽竜類のようにも見えた。
その上にまたがっているのは、うさぎのような大きな耳を持つ女性たちだ。
純白の毛皮を身にまとい、その手には弓を携えていた。
私達の前にトカゲを止めて、リーダーと思しき女性が、そのまま見下ろしながら、言った。
「フロロ族のファスである。質問だ。先程の光はなんだ。アルカはなぜズメウとマディともにいる」
私達を警戒の滲んだ目で見据えるファスの背後で、他の女たちは油断なく弓を私達に向けていた。
警戒はされているけれど、相手が人間であることはありがたかった。
言い争う時間も惜しい。素直に全てを話そうと思った。
できるだけ、冷静に。敵意がないことを示さなければならない。
フリック。絶対助けるから。
「私はエカルテ・シルフィード。こちらが、シエル・シルフィード。私達は……家族です。光については、よくわからないのです。私たちは気づいたらここにいました。
不躾なお願いかとは思います。ですが、ここに倒れている私の友人を助けて欲しいのです。彼は怪我をしていて、今にも死にそうなのです」
「血の匂いがするな。しばし待て」
リーダーと思しきファスが獣じみた鼻をひくつかせる。それから後ろの女達を振り返る。
私達にはわからない言葉で話をしている。
しばらくすると、彼女たちの弓が降ろされる。
「乗れ。我々の集落に案内しよう」
拍子抜けと同時、疑念がわかなかったかと言えば、嘘になる。
こんなにあっさり?
それを察したのかどうかはわからないけれど、ファスは言葉を継いだ。
「フロロは傷ついた者を見捨てない。相手がマディでもだ。それに、族長もきっと喜ばれる」
考える余裕も、時間もない。今は信じるしか無いと、思った。
……。
「ファスさん。本当に、ありがとうございます」
神に感謝するって、こんな気持なのかもしれないと、聖神の熱心な信者だった父の気持ちが少しわかった。フリックを運び込んでくれたフロロ族の人々。傷口の手当や薬まで分けてくれた彼女たちには、感謝してもしきれない。
ティピーと呼ばれる彼らの住居は、簡素ながらこの土地独特の樹木で作られ広さも私達3人が横になっても十分に余るほどに広々としている。
移動する途中に聞いた話では、ここはやはり私達が常闇の大陸とよんでいる魔族の住む土地であることは間違いないようだった。彼らの言葉でフズキ――樹の土地と呼ばれるだけあり、樹木や草木は異常なほど成長しているものばかりが、目に飛び込んできていた。
「かまわない。まろうどはもてなすのがフロロの主義だ。それに――」
ファスがちら、と寝かせられたフリックに視線を向ける。幾分かは顔色を取り戻したけれど、目をさます様子は無いし、呼吸も荒いままだ。「覚悟はしておけ。彼は血を失いすぎている」
「……」
「食え。食って寝ろ。もう、彼の運命は人には届かない場所にいってしまった」
ファスが大皿をどさりと丸木のテーブルの上に置いた。紫や紅といった、棘の生えた毒々しい色の果実がもられていて、初めて見るものばかりだった。言い残して、ファスは出ていく。
しんと、沈黙がおりて、向かい側に座ったシエルと目があった。
「食べよう、エカルテ。特にあなたはずっと食べてないでしょ」
「……うん」
シエルが果物に手を伸ばした。かぶりつくと、しゃくりといい音がした。見た目よりは、柔らかいみたいだ。
私も手を伸ばしたけれど、どうしても口に運ぶことができなかった。
シエルも、フリックも、私のせいでこうなった。なぜあのとき素直に寮に戻らなかったんだろう。
後悔が胸と喉を渦巻いて、吐きそうだった。
「エカルテ。意外と美味しいよ、これ」
「……うん」
「ごめんは、なしだからね」
「っ」
ぴしゃりと、突き放すような言い方だった。
怒っているのだ。当然だ。目を上げると、けれど彼女は微笑んでいた。穏やかな口調で、彼女は言う。
「しっかりしな。わたしもフリックだって、後悔なんてしてない。ましてや謝ってほしいわけじゃない。理由は分かる? わからないんだったら、自分で考えて」
「それでも、オレがいなければフリックはまっとうな女の子に恋をして、今こうして死にかけることだってなかったよ」
自分でも驚くぐらい、冷たい平板な声だった。吐き出した泣き言は存外心地が良かった。それが、最低だと思った。この言葉がシエルを傷つけると私は知っている。
本当の理由はなんてとっくに、わかってる。シエルもフリックもいつでも、何度だって言ってくれた。ただ、オレなんかがって、思ってしまう。根っこがどうしたって、変わらない。
私の言葉に、シエルは表情ひとつ変えなかった。柔和に微笑んだままだ。
無言で立ち上がる。静かに歩いてきて、私を見下ろす。ふわりと、シエルの匂いがした。正面から、オレの頭が胸元に抱かれていた。心臓の音がした。温かい音だった。
「こうやって触れ合うことが、お互いに傷をつけているんだろうね。お姉ちゃんはね、それでもあなたに逃げないでいてほしい。きっとそれがあなたがあなたであるための痛みだから。
いっぱい泣けばいいよ。わがままだって言えばいい。辛いときはいつまでもわたしが支えてあげる。でも、その後は、ちゃんと考えて。出来ること、やるべきこと、自分で見つけて。あなたはそれが出来る人だよ。
ねえ、エカルテ。あなたが今出来ること。本当に言いたいこと。やりたいことは、なに?」
「出来る、こと」
心臓の音がする。私のものとシエルのものが混ざった音だった。
私はフリックを助けたい。そのために、何が出来る。考えろ。
出来ること。
心臓。はっとして、シエルから、体を離した
失敗するかもしれない。失敗したら、フリックは死ぬかもしれない。それでも、私は、やるべきだと、思った。オレに、出来ることなのだ。
ベッドに寝かされたフリックの顔を覗き込む。あどけなさがともすれば、男女とも区別のつかなさすら残している、見慣れた顔だ。
赤い髪を、手でそっとかき分けた。隆起した喉仏が、少しだけ上下している。今にも絶えそうな小さな呼吸だった。
君は、いつも私を守ってくれた。命を分け与えてくれた。
だから、今度は私の番だ。
私はひざまずき、彼の片手を両手で包み込む。顔に似合わないごつごつした手は彼が歩んできた道そのものに思えた。ずっと、頑張ってきたんだよね。フリック。
「ねえ。シエル」背後のシエルに振り向かずに言った。「情けないこと、言う。たぶん、泣くから、ぎゅってして、ほしい。オレ、弱からさ」
「……何をするの?」
「フリックとオレの第二心臓……魔力を吸収している器官を同調させて、私の生命力を、分け与える。大昔には、回復魔術っていうのが、あったんだって。それを、やってみたい。彼の痛みを、私にもらう。できるか、わかんない。でも、このまま、何もできないのも嫌だ」
「エカルテ……頑張れ!」
「……うん!」
シエルのぬくもりを背中に感じつつ、フリックの手を強く握った。
フリック。帰ってこいよ。
肩に痛みが走った。めまいがするほどの痛みだ。頭の中がちりちりと焦げ付き、吐き気がこみ上げてくる。体中が暑いのに、怖気が止まらなかった。
こんなに。君は、こんなにも痛かったんだ。
フリック。私は、君が死ぬが、君が居なくなるのが、本当に嫌みたいだ。
結局、私は涙をこらえきれなかった。痛いって叫んだ。涙だか鼻水だかわからないもの顔が汚れる。それでも、シエルは、ずっと私の背中を抱いて、なでてくれていた。
夜が明けるまで、そうしていた。




