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それって

「ひっどい顔してるよ、あんた。泥まみれだ」 


 三色に染められた髪に、胸元を大きく露出した奇抜なファッション。ほろ酔いなのか、顔は少し赤らんでいる。

 けれど、その声はとても優しい。安堵感で余計に涙が出そうだったけれど、他人に涙を見られるのは嫌で大きく唾液を飲み込んだ。


「マルグリット……さん」


 一度だけ訪れた、ファーマシーの店主だ。私のこと、覚えててくれたんだ。


「こんな時間にこんな場所で、一体なにやってんのさ。レイニィ地区は学生さんが来るようなところじゃないよ」


「私……だいじょうぶです」


 言葉が出なかった。なにを、やってたんだろう。色々なこと些細なことが気に食わなくて、みんなから少し距離を開けたくて、そしたらこの有様で、無力だなあって泣いてて。頼るべきなのに、羞恥心が邪魔をする。


「ばか。そんな様子で大丈夫なわけないでしょ。とりあえずうちにきな」


「迷惑、かけるから」


「子供が大人に迷惑かけて何が悪いのさ。ぐだぐだ言ってないでさっさと来な。夜が明けたらかえりゃいいんだから」


 手をぎゅっと掴まれた。泥まみれの手なのに、マルグリットさんは平然としている。

 親に手をひかれる子供のように、私は強引に引っ張られていく。

 まただ。また人に心配してもらってる。


……。


 マルグリットさんの家はひどく雑然としていた。

 脱ぎ散らかされた洋服。大量の資料本。酒瓶。酒瓶。酒瓶。時々よくわからない調合器具のようなもの。それらが床やソファーの上に転がっている。


「ほれ。とりあえずで悪いけど、これで体ふいときな。服は……まあそのへんから発掘するからまってな」


 マルグリットさんに言われたとおり水桶と布で体を拭いていく。服を脱いで改めて見てみると、かなり汚れている。割とお気に入りの服だったことに、今更ながらにショックを受けた。


「これでも相方がいたころはもうちょいましだったんだけどな」


 服の山に頭を突っ込むように発掘しながら、マルグリットさんがお尻越しに言う。


「相方……トレミエールさん?」


「なんだ、しってるのか」


「いえ。店の名前が」


 店名はマルグリット&トレミエールファーマシーなのに、マルグリットさんしかいない。

 少し、気にはなっていた。


「ああなるほど……。これでいいか、割と”まし”だ。今日はこれ着てな」


「ほらよ」と彼女が投げて渡したシャツは、私にはかなり大きそうだ。着てみると、膝上まですっぽりと隠れる。


「下着は流石にあたしのは嫌だろ? 今日はそのままで勘弁してくれ。ま、どのみちサイズも合わないな」


 マルグリットさんははははっ!とからからと笑う。ほろ酔い気分が残っているのか、かなり上機嫌な様子だ。


「……シャツ、ありがとうございます」


 想像すると、ぶかぶかどころか、すかすかになるよ、きっと。さっきから下着一枚で家中をふらふらしている彼女を見ていると、分かる。シュシュぐらいはありそうだし。


「おいおい。悪かったって。睨むなよ。別に気にすることないじゃない、乳の大きさぐらい。なあ?」


 くく、と私の肩に手をやって覗き込んでくる。顔と顔が近づいて、お酒臭いがする。

 そんな顔、して無いと思う。


「睨んでませんし気にしてません。こういう目なんです。……私だって好きでこんな目してるんじゃないです」


「はあん? エカルテ、今何歳つったっけ」


「14です」


「ふうん」彼女は肩から手を外した。


「ひゃあ!?」


 変な声が出た。だって彼女がふいに腰のあたりを軽くつまんできたんだ。


「あはは! ひゃあ、だって」


「……マルグリットさん、酔ってます?」


「酔ってない酔ってない」


「もう。絶対酔ってますよ」


 別の意味でここに来たのを後悔してきたよ。彼女は私を指差してひとしきり笑うと、ソファーの上の衣服の山を乱暴に下に落として、穴蔵を作ってからそこにどっかりと座った。「ほら、エカルテ。隣においで」とにやにやしながら、隣を指差している。

 またなにかされそうだけど、仕方ないなあ。


「いきます」


「本当に素直だよな、君」


「ええ?」


 隣に座った私の頭をマルグリットさんは軽くぽんと叩いた。


「まあ、なんだ。あんたぐらいの年齢の子ってさ、自分のことを世界で一番有能だって思ってるか、逆に一番無能だって思ってるか、どっちかなんだよな」


「そう……ですか?」


「ああ。容姿だってそうさ。自分のこと、世界で一番かわいいって思った次の瞬間には、世界で一番ブスって思ってる。そんな極端な容姿」


「別に、自分のことかわいいって思ったことだなんて……」


「あたしはそうだったってだけさ。あたしにも女の子だった時があったんだよ。笑えるだろ」


「……いえ、はい。今は?」


「さあねえ。どっちだろ」


 彼女は胸を張っていたずらっぽく笑う。

 私は、女じゃなかったよ。

 かわいいって、肯定できる日。来ると、いいな。

 コンプレックスまみれの体とおさらばできる日が、来ると良い。


「ま。夜も遅い。とりあえず今日は寝とこう。明日は学校?」


「いえ。休みです」


「そ。じゃあ朝は大浴場につれてってやるよ。きれいになって学校に戻りな。シエル、だっけ。あの子も心配してるんじゃないか? すごく仲良さそうだったもんな」


「すごく、してると思います。シエルは優しくて、いつも一緒に居てくれる大事な友だちだから」


 今頃、私が帰ってきてないと気づいて探しにでもでていないだろうか。

 …フリックだって。

 矛盾してる。心配かけたくない迷惑かけたくないって思ってるのに、やってることは真逆だ。空回りばかりしているのだ。


「その割に、随分辛気臭い顔してる。友達のことをしゃべる顔じゃないね。なんつーかさ。あんた大丈夫?」


 彼女は優しく頭をなでてくれる。

 撫でられながら、シエルによくこうされていたことを思い出していた。

 フリックに抱きしめられたことを思い出していた。

 身勝手だけど、急に寂しくなって、とても会いたくなったんだ。


「私、」


 マルグリットさんはほとんど他人みたいなもので、しかも大人だ。

 だからこそ、だろうか。自分の訳のわからない気持ちの理由を、訊いてみたかった。

 今日は色々あって、パンクしそうだったんだ。


「友達のこと、すごく好きなのに、ちょっと前までは優しくされると、子供扱いされてるみたいでもやもやしてた。でも、今はもっとひどくなってるんです。

 不安になる。相手が自分のこと嫌いじゃないかなって。こんなに優しくされて、迷惑ばっかりかけてるからいつか、嫌いになるんじゃないかって。捨てられたらどうしようって、そんなことばっかり考えてしまって。二人が、そんな事するはずない。そんなこと、思っちゃだめなのに。胸が苦しくなって……私、変、ですよね?」


 マルグリットさんはしばらく私の目をじっと見つめていた。

 茶化すでもなく、答えるでもなく、何かを見極めるような表情だった。

 やっぱり、私の言うことは変なんだ。困惑させるだけだった。

 そんなことを思いはじめた頃、ようやく彼女は口を開いた。


「エカルテ。それって、恋じゃない?」

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